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そして狂った芸術家と冷徹なビジネスマンは音楽を消した

こんにちは。曲がりなりにも作曲をしてネットに置いている人間です。全然売れていませんが、めちゃくちゃ調子に乗って自分のことを「芸術家、ビジネスマン」と言いました。

聴いてくださっている方は本当にありがとうございます。そして謝りたいことがあります。
大したことないのかもしれませんが、大したことがあるかもしれないことです。


作品を公(インターネット)に投稿した時点でそれは自分だけのものじゃない

ということに今更気がつきました。

ここ最近、過去に自分で作った曲を見返していて、「これはクオリティが低いな…」と思った曲はネットから完全に削除して、さらには自分のパソコンに保存していた楽曲のプロジェクトデータそのものまで消してしまった曲もあります。
ほんとに、過去の楽曲データを今見ると、「ここはこうできるのにな…」と思うところが大量にあるんですよ。

でも良く考えたら、どんなに低クオリティであっても、それは聴いてくれていた人がいたのだなと。いや、よく考えなくてもすぐわかる当たり前のことなのかもしれないですけど、僕は今になってようやく気がつきました。

レコードやCDなどの物理媒体が主流だった時代には、それを購入してくれた人に対して「やっぱそれクオリティ納得できないから返してほしい」と言うことはできません。しかし現代では、個人が数回のクリックで有無をいわせず全てを消すことができてしまいます。

誰かの思い出を勝手に消すことができてしまう

楽曲って、聴く人それぞれに色々な思い出が詰まっていて、もはや人生の大きな一部であったりするわけです。後述しますが、僕はBUMP OF CHICKENの「ロストマン」という曲にとても思い入れがあります。

で、もし仮にこの曲がどうやっても今後二度と聴けなくなったとしたら、結構絶望すると思います。眠れない夜に一人でそこに思いや苦悩を重ねていた(いる)ので。

僕は性格的に、人生のあらゆることをスッキリサッパリさせておきたい人間です。例えば持ち物も、「これいらないな」と思ったら割と容赦無く即座に捨てます。曲もそれと同じで、自分のYouTubeチャンネルをごちゃごちゃさせるのが嫌で、いかに本質まで突き詰めて整理するのか、ということに血眼になっていました。

ほとんどの場合、色々なものを捨てることでスッキリしてストレスが減るんですけど、後悔していることもあります。それはある時期ミニマリストを目指そうとして、過剰な片付け(物を捨てる,手放す)をしてしまった時期です。

僕はゲームが大好きなのですが、昔遊んでいた3DSやその関連のソフトを全部売ってしまったんですよ。それもはした金額で。このことを非常に後悔しています。その後本体とソフトを買い直しましたが、全く同じ機種であるはずがないし、セーブデータもない。そして思い出は当然ない。あるのはただ同じゲームのソフトウェアデータだけ。

そして、これと同じことを自分の楽曲に対してやってしまったのではないかと気がつき、ハッとしました。3DSやそれにまつわる思い出は僕とそのわずかな周辺の人たちだけの問題なのでそこまで大きな精神的ダメージはなかったのかもしれませんが、楽曲をインターネットに公開して、それを聴いてくれた人がいた時点で、さらにいえばそこに高評価やコメントをしていただいた人がいてくれた時点で、もうそれは僕一人だけの楽曲ではないのだな、と。

やってしまいました。ごめんなさい。なんでもかんでも手放せば良いというわけではない、ということをまたしても身をもって学ぶことになってしまいました。

歳をとる毎に技術は向上するけど、感性は穏やかになってしまう

「ロストマン」。初めてこれを聴いた時はあまりにも衝撃でした。こんな神曲が世の中にあったのか、と。これは藤原基央氏が23歳の時に書き上げた曲らしいですが、この時の彼の感性と歌声が好きなんですよ。

もちろん、今の優しさに満ち溢れた44歳である彼の作る曲も好きですが、しかし23歳当時の若さ故のザラザラした荒削り感というか、生きることに対する情熱と疑問を全力でぶつけてくるこの感じ。ジーパンTシャツと汗で小汚い感じ(”ユグドラシル”当時僕は2歳のベイビーだったのでライブに行っていません)。苦悩に満ちた初期衝動っていうんですか。それが好き。

で、もちろんBUMPと僕なんかを比べるのはあまりにも恐れ多過ぎて比較対象として間違っているかもしれませんが、一応曲を作っている人間の端くれとして思うことは、やっぱり歳をとると人間は穏やかに、丸くなって"しまう”ものなのかな、ということです。
”しまう”と否定系で書いたのは、僕は日々穏やかな心を保ち続けたいと思っているし、優しい人間になりたいと思っているけれども、それは何か作品を生みすにあたってマイナスなんじゃないか、とも思うからです。

ディスるわけじゃないですけど、例えばなんでしょう。金持ちの家に生まれて慶應幼稚舎に入れられてそのままエスカレーターで大学まで行って超有名企業に余裕で就職して出世コースとんとん拍子で成り上がって俺の人生最高ウェイ!みたい人が、生きることの苦しさとかつらさとか、そういう苦悩に満ちた曲をめちゃくちゃすごいクオリティで発表したとしても、僕はスッとそれを受け取ることができない気がします(もし実際ここに書いた経歴の人がいたらすんません。思いつきで書いてるので許してください)。

だから、何か作品を生み出す人間というのは、悩みがあればあるほど良いものを作れると思っているので、穏やかに丸くなって”しまう”、と書きました。

そして穏やかになることとは別のこととして、僕は作曲を始めて2年弱なのですが、結構音楽の技術が向上したなぁと自負しています。しかし、全体像がなんとなく見えてしまったからこそ、曲を綺麗に丁寧に作ろうとしすぎてしまうというか。

仮にまた初期衝動が現れてめちゃくちゃな曲を作ろうとしても、きっと完成したら一度冷静になってあらゆるところを修正しだすのだろうな、と思います。そしてそれはもはや作曲当時の気持ちは残っておらず、平凡で「AIの自動生成で良くね?」みたいな個性のない曲になるのかもしれません。

さらに思うこととして、坂本龍一氏の「音楽は自由にする」という本の中に、(割と冒頭)

あるレバノン人の青年が、イスラエルの空爆で愛する妹を失ってしまう。そしてその青年が、悲痛な思いを、音楽にする。でもそれは、彼が音楽にしている時点で、どうしても音楽の世界のことになってしまって、妹の死そのものからは遠ざかっていく。

音楽は自由にする(新潮文庫)

という文章があり、僕が音楽についてあれこれ語る資格があるのかないのかは知りませんが、とにかくこれに強く共感しました。

そして、初期衝動をあとから修正しまくることも、似たようなことなんじゃないか、と感じました。

ビジネスに傾倒しすぎた

最近は曲を作るにあたって、ビジネス、つまり金銭を得ようとすることに貪欲になりすぎていた気がしています(お金を得ることを否定したいわけでは全くないです)。
ありがたいことに、これを書いている今はYouTubeに692人のチャンネル登録者の人がいてくれています。そこで僕は調子に乗って「再生数の収益化(1,000人)までガンガンいこう」「どうやったら再生数が回りまくるのか」ということばかり考えて、本当に自分が表現したいものや、爆発させたい感情がなんだったのか、ということを置き去りにしていました。

きっと、本当に良いものをつくったら、売れる売れないとか考える暇もなく、それは自然に評価されるものなのだと思います(それでもある程度のマーケティングは必要だと思いますが)。

そもそも自分はどうして曲を作ることを始めたのだろう、と思い返してみると、低スペックなMacBook Airで「何このアプリ」と思ってなんとなくGarageBandを開いてみて、マリオカートDSのレインボーロードの曲を適当に耳コピしてみたらなんかよくわからんけど音が出てとんでもなく楽しかった、という最初がそういえばありました。

それからはどハマりしてあれこれと試行錯誤して、自分の成長に喜んで、でもある時は音楽が大嫌いになって、そして自分の人生そのものも大嫌いになって、だけどもある程度時間が経ったらまたちょっと元気になって。
そしてその波の高さは落ち着いたものの、波の周期がやってくることに今も変わりはありません。

ところで、この記事は文字数が6,653文字もあります(引用部も含みますが)。そして気になったのでつい癖ですぐにGoogleで「note 適正文字数」と調べて、どうやら2,000字以内に収めるのが読まれやすくてちょうど良い長さらしいことを知りました。

ですが僕は文章を削ったり、記事を分割したりする気は全くありません。そして有料化するつもりもありません。
もちろん投稿する前に何度か読み返していますし、有料noteを批判するわけでもありません。
言いたいのは、思ったことをそのままぶつけていたらいつのまにかこの長さになっていた、というただそれだけです。

これには、「長文は読みにくいから嫌」「わかりやすく簡潔に短くすべき」みたいな風潮が好きではないということがあります。

この文章は論文ではありません。いや、論文も、そもそも「世の中をこうしたい」「これが言いたいんだよ!!」という熱い情熱がないと良いものは書けないことを僕は知っています。いくらフォーマットに沿ってわかりやすく簡潔な文章が書けたとしても、そこに書いた当人の確かな思いがないと、説得力のある人に響くものはできないでしょう。

音楽や文章に限らず、僕はすべての芸術作品と呼ばれるものに対して、「わかる人だけわかればそれでいいじゃん」という考え方をとっています。だって、全人類にウケるものなんて存在するはずがないじゃないですか。そして、万人に受けづらいというのは、それはその作品が尖っている、つまり個性の塊であるからということです。めちゃくちゃカッコよくないですか、そういう作品って。

YouTubeコンテンツIDに翻弄された

この項はちょっと技術的な話になります。

コンテンツIDについて↓

Content ID(YouTube の自動コンテンツ識別システム)を使用して、著作権で保護されたコンテンツを YouTube 上で簡単に識別、管理できる

https://support.google.com/youtube/answer/2797370?hl=ja

Content ID で一致が見つかると、一致する動画に Content ID の申し立てが適用されます。Content ID の申し立てでは、著作権者の Content ID の設定に応じて、次のいずれかの対応が取られます。動画を視聴できないようにブロックする
動画に広告を掲載して動画を収益化し、場合によってはアップロードしたユーザーと収益を分配する

https://support.google.com/youtube/answer/2797370?hl=ja

という仕組みがYouTubeにはあります。誰かが自分の曲を動画で使っていたら、その再生収益を自分がもらえる、というものです。

最近僕のこの曲が急激に再生されていて、(といってもGoogle広告を打っている)

これをきっかけにSpotifyやAppleMusicなどのストリーミングサービスに自分の曲を配信するか、と思い、ついでにこのコンテンツID制度について真剣に考え始めたところで「この曲登録できないじゃん」ということに気がつきました。

×

フリー素材の音源を含む楽曲
(GarageBandのループ音源素材・サウンドエフェクト音源素材など)

https://support.tunecore.co.jp/hc/ja/articles/360007010512--YouTube-収益化-登録できない楽曲は

このハーバリウムという曲の1分12秒くらいから流れる水の音は、Logic Pro(作曲ソフト)に付属しているサンプル音源をそのまま(重ねたりもしつつ)使っています。

なので、この曲をYouTubeコンテンツIDに登録することはできません。

これに気がついてから、すぐに他の曲のプロジェクトデータを見直してみました。すると、結構色々な効果音素材をそのまま使っていることに気がつきました。そして焦って、「また全て一から作り直すしかないか!?」と思い詰め、実際ある程度の曲はネット上から(そして自分のパソコンからも)削除してしまいました。

これがもしかしたら誰かの思い出を消してしまっているのかもしれない、とは一切思わずに。
金に目がくらむとはまさにこのことですよ。

同じものは二度とできない

ちょうど最近こんな記事を書きました↓

過去に今とは違うところにブログを書いていた時期があったのですが、その当時の低クオリティな記事は全て消してしまっていて、そのことを後悔しています。

年齢を重ねて言葉をより上手に扱うことができるようになったとしても、その時に書くことができる文章は、やはりその時にしか持ち得ない感性によるものであると思うからです。

文章と同じことを僕は繰り返してしまっている。

美容整形依存症と同じだったかもしれない

あんまりこういうセンシティブなことを書くと炎上するかもしれませんが、言いたいので書きます。

僕は、美容整形手術を何度も繰り返す人が行くべきなのは整形外科医院ではなく、心療内科や精神科だと考えているタイプの人間です。

顔って、その人がそれまで生きてきたものの蓄積であって、生き様そのものだと思います。シワやちょっとしたバランスの違いも、その人にしかない素敵な個性であって、それがその人はその人である、ということを物語っています。
それを「なんかちょっとこの辺が気になる」とか「周りの人と比べて劣っている」とかいう人に対して、「マジでそういうのやめろ、ありのままの自分を好きになってくれ、あなたはそのままで十分美しい」と僕は言いたい。

これからAIが主軸の時代がやってくると思いますが、「何が人間を人間たらしめるのか」みたいなことが非常に重要なテーマであると思っています。

で、何が言いたいかというと、僕は自分で生み出した楽曲作品に対して整形依存症になっていたのではないか、ということです。

僕は曲を作るにあたって、DTM(デスクトップミュージック、コンピュータで曲を作ることの総称)で全て作業しています。音源も全てソフトウェアです。なので作業が最初から最後までパソコン内で完結する、つまりいくらでも手軽に修正が繰り返せる、ということです。

そして、時を経るごとに作曲や編曲の技術は向上するので、やっぱりどうしても過去の曲を振り返ると全てが低クオリティに聴こえるのですよ(「今も全部低クオリティだろボケ」というアンチ意見もあるかもしれないがそれはクソどうでもいい)。

そしてこれがこのままずっと続くのだとすると、歳を取ればとるほど過去のものが不満に思えてくる。そうすると、僕はずっと作っては消して作っては消して、を繰り返すのかと。
これを突き詰めると、世に何も残さず一生を終えることになるな、と気がついてしまいました。

何かを作るのってものすごく難しい

僕はこれまでの人生でずっと、消費者としてだけこの資本主義社会を生きてきました。そして曲がりなりにも作品を作って世の中に発表してみて、その厳しさ(楽しさももちろん)を知りました。

これから作り直したい衝動が発生した時は、原曲はそのまま取っておいて、新バージョンとして投稿したいと思います。

音楽に限らず、この記事だって僕の内面を全て曝け出しているので大分恥ずかしいです。しかしそれと同時に思っていることを誰かに届けたい、「いいね」やコメントなどのWeb上に現れる反応がなくてもきっと誰かに届いている、と信じているので公開しています。そしてずっと残します。

反省しています。

ここまで長文読んでいただいてありがとうございました。この記事は初期衝動的に言いたいことをガーっと書くことができました。

これからはもっと慎重に自分の楽曲を扱おうと思います。改めて、もし僕が勝手に消した曲に思い入れを抱いていだたいていた人がいましたら本当にごめんなさい。

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philosofy (´・ω・)つ旦