【大人のピアノ】ピアノ教育における「脅し(インティミデイション)」(その①)
この記事シリーズは、いまから約10年前の2017年12月28日に私がアメブロに書いた記事を、2019年1月1日に「ピアノ方丈記@はてなブログ」に移管した内容のアップデート版です。アメブロは既に閉鎖しました。モトの記事はこちら👇
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古いブログに書いた記事です:
===20171228===
あんまり書きたくなかったのですが、やっぱりどうしてもそう感じるので、ピアノ教育におけるインティミデイション(intimidation)について書こうと思います。
インティミデイション(intimidation)とは、「脅し」のことです。
「脅し」と書くと、なんか物騒な感じがするかもしれませんが、日常でもふつうにあることです。また、イギリスのような階級社会ではよくあることです。
たとえば、
イギリスに生まれてこのかたずっと住んでいるにもかかわらず「スキーが達者」であることは、階級的な「脅し」を効かせる武器になります。
なぜなら、
イギリスでは、スキーが滑れることが、特定の社会的階級を示唆するからです。
ブリテン島は、雪は降っても日本の豪雪地帯に比べたら全然雪が降らないうえに、日本アルプスのような高山帯が全く無いので、スキー場がほとんどありません。
ですから、白銀にシュプールを描くようなスキーをするためには、基本的に海外に行かなければなりません。
近場であればスイスでしょうが、スイスは高GDP&高物価の高級リゾート国です。イギリス王室の人たちが冬にスキーに行く、高級デスティネーションです。
夏に、マイカーの後ろにキャラバン(トレーラーハウス)を牽引してフェリーでドーバー海峡を渡って、EUの物価の安い国で過ごす節約サマーホリデーとはわけが違います(でもこっちのほうが楽しそうだね)。
ですから、
スキーができることは、ある一定の社会的階層に属することを暗に誇示することになり、スキーをするお金のない階層の人たちに劣等感を抱かせて委縮させる効果があるわけです(日本人にはあまり通用しませんが)。
一方、
アメリカ人は伝統的に、ワインに対して萎縮していたようです。
たぶん、ワインというか、フランスに対する新興国の劣等感から、アメリカ人は、伝統的にフランスのものに対して萎縮するんだと思います。
そのため、
オーストラリアのワイン会社が、アメリカ(のたぶん西海岸)でワインを売ろうとしたときに、ラベルをカンガルーの絵にするなどして「ワインは怖くないんですよ」というふうにして売り出したら売れたと、ビジネスケースタディーで読みました。
アメリカ人はフランスに対しては劣等感を抱くけど、オーストラリアに対する劣等感はないかもしれませんしね。
こういったものがインティミデイション(intimidation)です。
さいしょのスキーの例のように、インティミデイションを利用して、「我々はお前たちよりも優れている」という非言語メッセージを伝えることで、相手を萎縮させ、場合によっては、相手を無力化して、こちらの意のままに操作したり搾取したりできます。
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このような脅し(インティミデイション)が、ピアノ教育の伝統の中にあって、ピアノを習う生徒たちに少なからぬ影響を与えているのではと思うことがあります。
たとえば、
私は、ピアノ再開後、子ども時代に習った先生のところへ行って、私がピアノを中断する前に某音楽教室でとったそんなに高くもないグレードの級を伝えたら、「音大に入れた自分の生徒たちには、少なくとも3級を取るように言っている。最悪でもその教室チェーンの教師の仕事ができるように」と返されました。
どうして先生がそう返したのかはわかりませんが、先生の非言語メッセージは、「あなた(の級)はぜんぜん大したことないのよ!」と読み取れます。
素人だからべつにいいんだけど、誰でもそう返されたらあまり気分の良いものではありません。
なぜなら、
人は誰でも、「自分は素晴らしい」と思っていたいからです。
人間なんてそんなものです。
人類は、進化の過程で複雑な言語コミュニケーションを発達させましたが、会話の装飾や暗喩を取り払って、非言語メッセージにしてみると、
言っていることはとどのつまり、
「自分は素晴らしいから認めて認めて!」
「私はあなたより優れているから認めて認めて!」
「お前は私よりも劣っているから降参して小さくなってろ!」
「おっしゃる通りです、降参して小さくなっています。。」ぐらいで、
お猿さんだった頃からあまり変わっていません。
ところで「3級」と言われても私はあまり萎縮しませんでした。
というのは、
昭和の時代のことですが、当時40歳を超えていた叔母が、ピアノ科卒じゃないのに、競争率数十倍のそのチェーンの郊外の教室の先生にただ1人採用されたのを知っていたからです。
叔母は、ピアノはそこそこ弾いていましたが、ピアノ科卒でもなく、ましてやグレードも持っていませんでした。
そんな「トウ」のたちすぎた叔母が、音大を出たばかりの若いお嬢さん方を差し置いて、どうして採用されたんでしょうか?
社会に出ると個人の演奏技能以上に必要な要素があるということでしょう。
話を戻して、
先生に習う時にレッスンの謝礼の金額を聞いたら、申し訳ないほど良心的な金額だったのですが、「音大受験でもないし、この金額でいいわよ」と言われました。
先生は、そう言って気をつかってくれたのかもしれませんが、とりようによっては、「私はあなたには本気で教えないわよ」とも受け取れます。まぁ大人のチーチーパッパだからいいんだけどさ。。。
私は、つねづね、ピアノ教師たちは大人ピアノの生徒を、少子化による子ども生徒の減少の穴を埋めるために都合よく利用する対象としか見ていないのではと、不愉快な気持ちになることがあります。
どうせ音大を目指すわけでもないし、年とってるからそんなに上達もしないだろうし、ボケ防止の脳トレ気分で習う人もいるだろうし、子どもと同じ教材も使えるしラクショー、みたいな感じ?だとしたら、
大人を何だとおもってるんでしょうか?
限りある人生の時間を削ってスキル磨きに投資&勉強して下げたくもない頭を下げながら頑張って働いて稼いだ私の貴重なお金を払えるか!
こんなふうだから、子どもしか相手にしたことのない主婦の片手間ピアノ教師はさぁ。。。って思われてしまいます。
「音が良くなるには3年はかかる」と言われましたが、そのロジカルな根拠は一体どこにあるんでしょうか?まさか思いつきや勘で言ったんじゃないだろうから、大人にもわかるようにちゃんと論理的に説明してほしい。
(👆2020年5月追記:骨格がねじれて反り腰の人は、いくら練習しても音はあまり良くならないと思います。また、運動能力は老化とともに衰えます。クラシックピアノの教え方は、偉大な大作曲家の大変に有難い楽譜を(その音楽を理解している/いないに関わらず)書かれたとおりにミスなく完璧に弾くことを目的としていますから、運動能力の無さを弾く人の頭脳(音楽文法の理解や即興能力やオリジナリティ)にヘッジすることが不可能です)
また、
先生の方針に反して私が家で密かにハノンを続けていたら、想像以上のペースで上手くなっていったみたいで、あるレッスンで、「どんどん上達して、恐いわ…」と言われました。先生の言うとおりにしなかったら上達した。。。って一体なんなんだよ?
それに、
「どんどん上達して、恐いわ…」
っていう言いよう、どう感じます?
どうして、
「どんどん上達してスゴイわー! ○○さん、目標のあの曲、弾けるわよ! 次回からやってみましょうよ!」
みたいな、景気の良い言葉が言えないんでしょうか!?
どうして「恐い」なんていう、まるで化け物に言うような言葉を、
お金を運んでくるお客様に対して言えるんでしょうか!?
ジャズではよく「language(言語)」という言葉が使われますが、
たしかに音楽と外国語は似ています。
E●●ジュニアの先生の能力と教材で企業の英語研修ができないように、音楽教育にも大人用のコンテンツがあってしかるべきだし、すでにあるんでしょうが、教える側の深層心理(と能力っていうか大人を満足させる知識)がそれに追いついていないのではと、いぶかしく思うこともあります(大人に向かって子供用の話をされても困るよ。。。
っていうか、
私が子どもの頃にピアノを習った先生は、
子どもしか教えて来なかったから、
大人の趣味のピアノのお相手をしてお金を頂戴するためのスキルが全く無かったということです。
そして、
私を含めて中高年の日本人は、儒教の影響がまだ抜けてなくて、「先生」と名のつくものに萎縮する傾向があるように思いますが、
考えてみると、ピアノの「先生」ってそんなにエライのか?
大人の生徒は、日々の仕事でもっとエラい人たちと仕事をしたり、生徒のほうが往々にして社会的にもっとエラい人だったりするんじゃないのか?
大人の生徒は、ピアノ教育業界の(世間知らずの)権威にヘーコラしたり、何か言われて一喜一憂する必要はないんじゃないかと思います。
それに、
教わるコンテンツもそんなに有難い奥儀秘伝のようなものなのか?
そして、
そのコンテンツは正しいものなのか?
脱力だとか手の形をどうするとかいうけど、そうやって教わって手を壊す生徒が多いのは何故なのか?
また、
楽譜の指示どおりに弾くことで頭がいっぱいの演奏になってしまって、ミスタッチへの恐れで演奏に楽しさが感じられない「音学」になってしまったり、音ガクガクブルブル((((;゚Д゚))))。。。になっちゃっている人が多すぎなんじゃないのか?
レッスンにお金を払って恐怖を植え付けられる意味ってあるんでしょうか?
もっとも、当の先生がたは、大人の生徒を見下しているとは思っていないでしょうし、ゆめゆめ失礼なことを言っているとも思っていないでしょう。
つまりは、そう思わないほど、無意識にピアノ教育の体制文化にどっぷりつかり続けているのだと思います。
しかしながら、昭和と違って、
令和の時代に最も優れたピアノの先生は「AIさん」になりました。
特に、ピアノを始めたい人は、まずは「AIさん」に何でも聞いてみれば、「AIさんは」、たった1人の街角のピアノ教師とは比べ物にならない量と質のコンテンツを無料で提供してくれて、ポジティブな言葉であなたを励ましてくれます。
(②に続く)
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