【大人のピアノ】ピアノ教育における「脅し(インティミデイション)」(その②)
この記事シリーズは、いまから約10年前の2017年12月28日に私がアメブロに書いた記事を、2019年1月1日に「ピアノ方丈記@はてなブログ」に移管した内容のアップデート版です。アメブロは既に閉鎖しました。モトの記事はこちら👇
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当の先生がたは、大人のお客様(生徒)を見下しているとは思っていないでしょうし、ゆめゆめ失礼なことを言っているとも思っていないでしょう。
つまりは、そう思わないほど、無意識にそういう体制文化にどっぷりつかっているのではないかと思います。
じつは、
ピアノを習うことで最もインティミデイト(脅)されてきたのは、当のピアノの先生たちなのかもしれません。
子供の時から検定やコンクールで査定評価されつづけ、ミスタッチを怖れながら受験してようやく音大に入っても、
自分はとてもかなわないような同級生たちに出会って落ち込んだり、
それによって受ける教育で差をつけられて劣等感を持ったり、
親の経済力がなくて海外留学ができなかったり、
コンサートピアニストになる夢が叶わずに挫折したりと、
インティミデイション(脅し)と敗北感にさらされて過ごすうちに、
ピアノ教師たちは、自分が受けたインティミデイション(脅し)や敗北感を無意識に生徒に受け渡しているかもしれません。
ある本の中で、
楽器関係のアレキサンダーテクニック(AT)のトレーナーさんが、
ピアノの先生たちにATのレッスンをした印象として、
................................…
「ピアノの指導者たちには敗北感がある。
ピアノの指導者や演奏者の多くが、
子どもの頃からピアノを習ってきた過程で「恐怖のモチベーション」にさらされてきた結果、
心に傷を負っていて、自分の演奏に自信を持っていない」
................................…
と語っていました。
また、多くのピアノ教師は、音大受験の過程で、
先生から「あなたはこの大学は無理!」とか「ピアノ科は無理だから●●科にしなさい!」と言われて見切られてきたかもしれませんし、
音大に入ったら入ったで、自分より優れた人たちを目の当たりにして、
自分で自分を見切らざるを得なかったりしたので、
いざ自分が先生になったときに、自分がそうされたように生徒の可能性を見切るようになるのかもしれません。
もっとも、人生に見切りはある程度必要ですから、
生徒の可能性を正確に見切ってあげれば、生徒が人生で無駄に失敗するのを避けられるかもしれないし、
先生にとっては音大合格率の実績を上げることにもなるでしょう。
ただ、
人を評価したり見切ったりできる権限や権力の行使は、人間の根源的な欲望(支配欲)を満足できるので、
知らず知らずに、見切る行為に酔ってしまっている場合もあるかもしれません。 つまり、
ピアノ教師による「愛の指導」は、「愛の指導」という名のパワハラ行為になっているかもしれません。
もうひとつ留意すべきは、
ピアノ教師のなかには、生徒を見切ったりダメ出しする「指導」を通して、生徒の自信を吸い取って自分が失った自信を補てんする「エネルギー泥棒」が少なからず含まれている、という可能性です。
見切られること、誰かよりも劣っていることを、自ら認めざるをえないのは、辛いことです。
そして、見切られるたびに、誰かよりも劣っていることを思い知るたびに、心から自信が失われていくものです。
「人はパンだけで生きているのではない」と、イエス・キリストは言ったそうですが、まったくもってそのとおりで、
自信は、人生のエネルギー源です。
自信がなければ、何をやっても、上手くいくはずがない。
自分に自信がないと、いつまでたっても「うまくいった!」と自分で思うことができないからです。
だから、
そういう人は、失われた自信を、誰かを見切ったりダメ出しすることで、補てんしている可能性が有る。
つまり、相手の自信を吸い取っていることなのです。
生徒にダメ出しすることで、生徒の自信を吸い取って、自分の心の失われた自信を補てんしているピアノ教師がいるとしたら?
だからといって、生徒のほうは、お金を払って恐怖や敗北感をピアノ教師から受け渡されたり、見切りを入れられて自信を吸い取られる道理は、まったくもってありません。
だから、
ピアノの先生にダメ出しされても、インティミデイトされても、見切られても、先生のそうした心理を推察して、自分の自尊心が悪い影響を受けたり自信を吸い取られるのを、未然に防ぐようにするべきかもしれません。
それにだいいち、
恐怖のなかで査定評価されるために磨いてきた演奏は、弾く人が楽しんで弾ける演奏ではなく、当然、聴く人が楽しんで聴ける演奏ではないはずです。
私も含めてミスタッチへの異常な恐怖や、トリルがうまくできなかったなど技巧的な不完全さへの病的な執着は、こういった「エネルギー泥棒ピアノ教師」に教わるうちに植え付けられたものかもしれません。
だから、
「自分の弾いた音はすべて正しい」という大きな自信をもって、「正しい間違った音」や「正しいかすれた音」を堂々と弾きはなって、試験でもないんだから楽しんで弾こうよと、私たちピアノ愛好家が自発的に思ってピアノ演奏を楽しんでいくのが、心の天国(=幸せな人生)へのいちばんの近道です。
それに、
ピアノ教師にあまり責任を押しつけるのも気の毒です。
ピアノも野球も小学校の成績も、
できる子は最初からできるし、できない子は最初からできないしいつまでたってもあんまりできない、
という悲しい現実があるような気がします。
つまり、
先生が教える内容なんてものは、最大公約数的な一般論で、
各自の上達のための肝心かなめのことは、生徒自身の資質と興味と熱中(と保護者の支援)によるんじゃないかということです。
そして、
あらゆる「教育」において意図的に伏せられている「不都合な真実」とは、
「できる子は、教えなくても、もともとできる」ということです。
先天的な才能が有るから、先生から「一般的な内容」を聞いたらすぐに、できてしまう!
すると、先生から褒められる。
とくに、他の生徒たちの前で先生に褒められるのはとても嬉しいことだから、自信を深めてますます熱中して、ますますできるようになる。
そしてまた人前で褒められてますます嬉しくなってどんどん自信をつけていく...。というのが、この世の天国です。
👆この時に、どんどんできる子は、人前で褒められることによって、周りにいる褒められなかった子たちが持っている自信を、どんどん吸い取っているのです。
褒められなかった子たちは、心から自信がどんどん吸い取られて、自信が減っていき、どんどん下手になっていく。これが、この世の地獄です。
この世とは、死ななくても天国と地獄が既に存在する、残酷な場所です。 ピアノで最も残酷なケースは、ピアノを習っているのに、その先生が主催するピアノの発表会で演奏させてもらえないことです。そういうことが、昭和や平成末期までは、実際に有りました。令和でも有るのかもしれませんが。
ピアノ教師による「差別待遇」によって、発表会で演奏させてもらえない子どもたちの心から、自信がごっそり、発表会で演奏させてもらえる子どもたちの心へ、持っていかれます。
こうすることで、発表会へ出られる子どもたちの心に自信が積みあがってゆき、こんどは、彼らの間で自信のやりとりが行われ、その度に、勝者と脱落者が生まれていく。 英才教育の方法の基本は、ここにあります。
(③に続く)
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