ピアノの発表会は「命綱の無いバンジージャンプ」か?--- その①「マッチポンプ」の仕掛け
👆noteで使用可能な画像を使わせていただきました。ありがとうございます。
ピアノの先生方、
「マッチポンプ」っていう言葉、知ってますか?
もともと、政治の国会答弁かなんかで使われるようになったようですが(私の記憶。くわしくはAIにでも聞いてみて!)、
ビジネスの世界でも、この言葉を使う年配の人がいますね。
「マッチポンプ」というのは、
「自作自演」のことですね。言うなれば、
「火の無い所に、マッチで火をつけて、その場を立ち去ってから、
火事になった時に、初めてその場に駆けつけた体(てい)で出て来て、
ポンプで水をかけて消しにかかって、人々に恩を売る」
という行為のことです。
あらかじめトラブルの種を蒔いておいて、
トラブルが顕在化したときに、解決に駆けつけて感謝されようとする。
そんな自作自演。
それが、「マッチポンプ」です。
私は、
世の中のピアノ発表会は「マッチポンプ」が巧妙に仕組まれたイベントなのではないか?
と、常日頃から、いぶかしく思っています。
つまり、
参加者を不安にさせるような
①無理な選曲
②「追い込み練習」の強要
③ピアノ教師によるハッパがけ
によって、
あらじめ、発表会の参加者の不安と恐怖を煽れるだけ煽っておいて、
彼らを、恐怖による極度の緊張状態に陥れておきながら、
発表会の当日になると、
ピアノ教師は、とつぜん聖母マリアみたいなものに変身したかのごとく、
参加者の緊張をほぐすような「優しい声掛け」をやたら強調して、
「私は、生徒の緊張をほぐすような、優しい声掛けをしている、
とても良いピアノ教師なのです!」
と、宣伝する。
そんな「’マッチポンプ’ ピアノ教師」が、けっこういませんかね?
けっこういるんじゃないですかね。
だから、私は、
ピアノの発表会に出たくないピアノ好きさんの気持ちがわかります。
私も、
ピアノを再開した当初に、
「人前で演奏しないピアノは意味が無いぞ!」なんていう、
誰が書いたかもわからない、いい加減な脅し文句に煽られたクチですから。
👆
でも、そんなこと、いったいぜんたい、誰が決めたんですか?
誰も決めてないでしょ?
家で絵を描いて、とくに発表しないで、部屋に飾っておくのとおなじでしょ?
自分がお金を払って行う楽しみなんだから、
人前で公表せずに、自分の心のままに楽しんで、幸せを感じることの、一体、何が悪いんですか!?
そんな内閣府令も、刑事罰も、無いはずだよ、日本国には!
にもかかわらず、
世の中のピアノ文化は、
「ピアノの発表会」というメカニズムによって、
参加者に無理を強要し、特訓(しごき)で叱咤しハッパをかけて、
参加者を理不尽な恐怖に陥れ、脳内をパニックさせて、
参加者の自由な思考回路を遮断し、
発表会当日に、恐怖による極度の緊張状態におちいった参加者に、
ピアノ教師は、
突然「聖母マリア」のような慈愛の仮面を被って、優しい言葉をかけるのだが、
実はその内心は、
極度の緊張状態で「まな板」の上にのぼった参加者が、
当人にはもともと無理なレベルの曲芸を、
賭けなくてもいい生死を、なぜか賭けているかのように決死の覚悟で行うのを、
慈愛に満ちた「聖母の仮面」の裏で、舌なめずりして味わい尽くしている、
人喰い魔女の姿なのではないか?
と、ゾッと悪寒が走ることがあります。
「恐怖によるマインドコントロール」という、
悪徳宗教の洗脳手法を思わせるからです。
そして、
本来は楽しいはずの「趣味道楽」なのに、
どうして、
恐怖に飲み込まれながら、破れかぶれの捨て身で飛び込む、
「命綱の無いバンジージャンプ」のようなことになってしまうのか?
👆
人前で演奏する人が、それを眺める残虐な誰かの生贄(いけにえ)になるのは、日本に限ったことではありません。
アメリカでも、「他人の演奏ミスをエンジョイする」という、
胸クソ悪くなるような心理が、ピアノ教育の世界に存在することを、
私は或る米国人の音大教授の動画を視て知っています。
グレン・グールドがピアノリサイタル活動を辞めた理由も、同じだと記憶しています。
だから、
家で一人でピアノを楽しむ行為が、
その人にとって最も純粋で、清らかな、
本当の神聖な行いだと、
私は思います。
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ピアノ方丈記
