【AI時代の「クラシック」を考える】#0 ゲーム音楽はクラシックではない
クラシック畑で育ち、ゲーム業界、映像業界、ネット文化界隈、ピアノマニア系、オーケストラ、アカデミーの場などで何でも屋的に活動しているピアニスト・作編曲家である筆者が、クラシック音楽という概念についての再考を試みるシリーズ(→マガジン)です。
クラシックってなんなのさ
挑発的なタイトル?
調布国際音楽祭2025という催しの中で、少し毛色の変わった2台ピアノの演奏会をすることになりました。出演者は、ドイツ出身のピアニストであるベンヤミン・ヌスと私(森下唯)。
ヌスは、(さいきん流行りの)名曲・ジェフスキ「不屈の民」変奏曲のアルバムを出すなど、攻めたレパートリーを持つクラシック・ピアニストですが変わり種です。ジャズをルーツに持ち、しかも実のところゲーム音楽ファンにとってこそ最もよく知られた存在かもしれません。グラモフォンからのデビュー・アルバムでFFの曲を取り上げたことで業界からも注目され、日本のゲーム音楽やアレンジアルバムなどに今もよく参加しています。私にとってはお仲間と言っても良い存在です。
そんなふたりでやる演奏会にふさわしく、プログラムにはゲームやアニメの音楽の編曲と、主にそれら商業分野で活躍している作曲家に簡潔なテーマを提示して依頼する、という形で特別に書いてもらった演奏会用の楽曲とを並べました。
タイトルはちょっと力んで Die Neue Klassik Japans (日本の新たなる「クラシック」)。
この音楽祭に、わたしは出演者としてのみならずアソシエイト・プロデューサーとして携わっていますから、開催をおしらせする記者会見では登壇もして、自分の出演するこの公演についても自ら説明しました。すると音楽ジャーナリストの飯尾洋一さんからこんな質問を受けました。
「この内容に対して、日本の新たなるクラシック、という名前をつけたことにはどのような意図がありますか?」
と。
含意の多い質問
クラシック音楽業界の人以外には簡単に伝わるものではないかもしれませんが、これはなかなか含意のある質問だと感じました。
クラシックとは、いまや語のもとの意味から離れ、(ルネッサンス以前~)バロック~古典派~ロマン派~近現代……と続く西洋発の「芸術音楽」の系譜全体を指すものと一般的に了解されています。そして、現在その先端に位置するのはいわゆる「現代音楽」である、ということになっているのです。
実際には現代音楽という言葉自体が忌避されるような傾向もありますし、近年は考え方も多様化、軟化していますが、少なくとも、基本的にアカデミックな場で学びつつ、「クラシック」の系譜に連なる新しい表現を模索しつづけている人々がいることは事実であり、その気概を持った純音楽作品こそが「(日本の)新たなる『クラシック』」として実在しているはずです。少なくとも、いわゆる映画音楽やらアニメ音楽やらの劇伴、ゲーム音楽、ポップス等が普通の意味でクラシック音楽でないことは明らかでしょう。
ですから、一見してクラシックの音楽祭である調布国際音楽祭という催しの中で、この内容に対してこのタイトルを冠するのは、あまり妥当なこととは思えない。クラシック音楽関係者のいくらかは眉をひそめさえして当然なのです。飯尾さんはそのあたりの機微を承知の上で、いったいぜんたいこのタイトルは挑発なのか? 反骨精神なのか? あるいは無知と無思考からくる暴挙なのか? 誰がどういう反応をよこすと予想してつけたのか? あるいは何も予想できてないからこうなっているのか? といったことを気にされていたわけです。――少なくとも私はそのように理解しました。
クラシックの定義から考えたい
簡単に言ってしまえば半分は反骨精神であり、半分はかっこつけです。しかし、そこに至る思考を説明しないと、なぜ反骨精神の表れとしてこうした言葉が出てくるのか、ということは説明しきれません。
その場で可能なかぎりお答えはしたものの、喋りながら、ただしく答えるには短い発言では到底足りないな、ということに気づかされもしました。(あと、穏当に答えようとしすぎたきらいもあったかもしれません。)
そこで、noteに文章を書いてみよう、と思い立ったわけです。最終的に飯尾さんの質問に対する答えにもなることを目指しつつ、ふだん考えていることをなるべく整理してお伝えしたいと思います。以下に箇条書きであげるようなトピックに触れつつ、AI時代における「クラシック」音楽の定義を再考するような内容にしていく予定です……というか、なるといいな。
クラシック音楽とはつまるところ何なのか、をさまざまな視点から考える
理論化と体系化こそがクラシック音楽の本質なのではないか?
いっぽう、現代における音楽ジャンルとしての「クラシック」は、楽器編成を最大の特徴とする演奏様式のことを指すラベルなのでは?
と同時に、演奏家側からみてクラシックの最大のポイントは、「譜面の出来の良さ」と「語るべき内容の大きさ」にこそある
同じ曲ばかりが演奏される根源的な理由――情報の流れがクラシックの「名曲」を生み出した
音楽芸術のあるべき姿とは
音楽という表現形式の特長、強みは結局のところ生理的な効果なのでは?
音楽作品から読み取れる情報量、複雑さは、音楽作品それ単体ではなく文脈に依存して決まる
一般的な芸術史観に未だによくみられる進歩主義的な考え方は、実態とかけはなれている
クラシック「側の人間」が、矜持を失わずに技術と精神を伝えていく方法
職人としての芸術という考え方を定着させる
「枯れた技術の水平思考」
純化ではなく拡散を目指すべき
などと書いてくるとなんだか「論考」みたいな雰囲気になっていきそうですが、あまりしゃちほこばるつもりではなく、なるべく楽しく読めるようにしたいところ。
まずは次回、いっけんあまり関係なさそうな話題として、さいきん見かけたウェブ記事についての話題をとりあげてみる予定です。(→ #1 音楽が単純化してるって本当なの?)
