見出し画像

俳句達人伝 | 小町、ドバイへ②





「しかし、小町殿。降参はしましたが、これで終わりではありませんぞ!」

 ラシードは笑みを収めると、パチンと指を鳴らした。VIPルームの巨大なスライドドアが左右に開いた。

「小町殿。一緒に参りましょう!」
「どこへ?」

 ラシードとともに、小町はエレベーターに乗った。二人は下へ下へと向かった。

 エレベーターが開いた。冷房の効いた部屋とは異質な、異様な熱気、そして異国の言葉が飛び交う熱狂の空間が広がっていた。そこは、超高層ビルの地下に作られた地下句会々場だった。

「ドバイには、世界中から言葉で富とプライドを賭けて戦う者たちが集まっています。ゴールドや石油ではない。わずか十七音の切れ味で相手を平伏させる、闇のバトルの場です。」

 ラシードは妖しい笑みを浮かべた。

「さあ小町殿。本物のドバイの風流をお見せしよう。あなたのその鋭いナイフ、この猛者たちに通じるかな?」

 地下空間の中央には、真っ赤なペルシア絨毯が敷かれていた。円形ステージ。周りを取り囲んだのは、アラブの石油王、ハリウッドの映画プロデューサー、栄華を極めたロシアの富豪、果ては最新AIを脳に仕込んだ中国の起業家たちだった。

「本日の第一試合! 挑戦者は日本より来たる、俳句の達人・小町嬢!」

 司会者の煽り声に、場内が大歓声に包まれた。小町が静かにステージへ上がると、対戦相手の巨漢がゆっくりと前へ進み出た。

 男の名は、アーマッドと言った。『砂漠の暴風』の異名を持つ、中東最強の俳句の達人だ。

「フン、日本の温室育ちの姫君か。」
 アーマッドは重厚な声で吐き捨てた。

「お前たち日本人の俳句は、季語だの歳時記だの、甘やかされた四季の環境でしか詠めぬ温水プールのようなもの。水も草木もない、50度の死の砂漠で『生』を詠んでみせろ!」

 アーマッドが腕を掲げると、天井のモニターにテーマが表示された。

お題:『無(Nothing)』
※季語の使用は不可。この灼熱の地で「無」を切り取れ。

 ギャラリーがざわめいた。季語という強力な武器を奪われ、さらに「無」という抽象的な題。日本の伝統的な俳句では最も苦戦する条件だ。

「先攻はオレだ!」
 アーマッドがドスの利いた声を響かせる。

潤いも 灼熱の中 影もなく

 凄まじい圧だった。ドバイの過酷な太陽、足元からすべてを焼き尽くす砂の絶望。何も存在しない「無」の恐怖が、ダイレクトに観客の脳を揺さぶった。

「素晴らしい! 圧倒的な砂漠の『無』だ!これぞドバイのリアルだ!」

 会場が湧き上がった。通訳を介さずとも、その言葉の持つ熱量だけで外人たちが立ち上がり拍手を送った。
 アーマッドは不敵に笑い、小町を睨みつけた。

「どうだ? お前たちの繊細な風流とやらで、この圧倒的な『死の無』を超えられるかな?」

 小町は、静かに佇んでいた。扇子を取り出し、パッと優雅に開いた。

季語がない……? 影がない……? ふふ、何を仰いますやら。

 小町はゆっくりと目を閉じ、VIPルームから見た砂漠、そしていま肌で感じている地下の熱気をすっと体内に巡らせた。

すべてを削ぎ落とした先に残るもの。それこそが……。

 小町は目を開けた。その瞳には、アーマッドの威圧すら呑み込むほどの深遠な光が宿った。

「わたくしの番ですわね」
 鈴を転がすような、しかし地下ホール全体に通る清涼な声が響く。

灼熱の 言葉染み入る 砂の影

 静寂が会場を包んだ。一瞬、会場の誰もが息を吸うことすら忘れたようだ。

『灼熱の 言葉染み入る 砂の影』

Beneath the scorching sun,
words seep into the shadow of the sand.

تحت شمسٍ حارقة،
تتسرّب الكلمات إلى ظلّ الرمال.

 通訳が震える声で英語とアラビア語に訳すと、観客たちの顔色が一変した。
 アーマッドの句は「灼熱の恐ろしさ」を説明しただけだった。だが小町の句は沈黙そのものを詠んでいた。

「言葉が砂の影に『染み入る』とは!」

 あまりの熱さに、吐き出した言葉すら砂の影に消えていく。音すらない世界で、耳をすましても聞こえない砂の中へ言葉が吸収されていく… …。

 無を描くために、小町は「染み入る」「影」という言葉を選んだ。

「ぐぁぁぁぁ」

 アーマッドはまるで、胸を透明な刃物で貫かれたかのように絶句し、その場に跪いた。

「バ、バカな……! 季語も、情緒的な言葉も使わずに……。『染み入る』だけで、この俺の砂漠を凌駕したというのか!」

 小町は扇子でそっと口元を隠し、ホホホと微笑んだ。

「砂の隙間にこそ、無の世界は広がるのです。アーマッド殿。あなたの砂漠は、まだ饒舌すぎましたわ」

「……参った。」
 中東最強の男が、頭を地面に擦り付けた。だが、彼の瞳は感涙で潤んでいた。

『勝者! 日本の小町——っ!!!』

 地響きのような大歓声が会場を揺らした。札束と金貨がステージ上に降り注いだ。
 拍手を送りながら歩み寄ってきたラシードが、心底楽しそうに言った。

「素晴らしい! 完敗です、小町殿! ……ですが、いま倒したのはほんの先鋒。このドバイ地下句会には、さらに恐ろしい『言語のモンスター』たちが控えていますよ」
「望むところですわ」

 小町は降り注ぐ金の紙吹雪の中、扇子を優雅にたたんだ。
「世界中の言葉を削ぎ落として差す。それがわたくしの、ドバイでの武者修行ですもの」

 小町の戦いは、まだ始まったばかりだった。



つづく




#俳句達人伝
#小町
#ドバイ
#自由律俳句
#俳句
#ギャグ小説
#私の作品紹介

いいなと思ったら応援しよう!

山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします