俳句達人伝 | 小町、ドバイへ①
ペルシャ湾を見下ろす超高層ビルの最上階。ガラス張りの豪華絢爛なVIPルームには、冷ややかな風が吹き抜けている。
巨大な革製ソファに深々と腰掛けた石油王ラシードは、金糸の刺繍が施されたカンドゥーラを揺らしながら、小町を見下ろした。
「Haiku。実に素晴らしい文学だ。短歌の三十一音すら無駄が多い。わずか十七音で情景を切り取るなど、ダイパに優れている」
ラシードはグラスの氷を揺らし、涼やかな音を立てた。
「我が社でもHaikuの思想を導入しようと思っているのだよ。『短く、無駄なく、最大の情報を伝える』。完璧なビジネスロジックだと思わないか?なぁ、小町。」
ラシードは上機嫌だった。金さえ払えば世界中の四季を取り寄せられる。屋内に雪すら降らせられる自分こそが、この地で風流を完璧にコントロールしていると疑っていなかった。
小町は、静かに目を閉じた。無駄を省く、タイパ、ビジネス……??
脳裏に浮かぶのは、この豪華な部屋の一歩外に広がる、見渡す限りの赤茶けた砂漠。そこには桜も、紅葉も、小糠雨もない。日本の歳時記など何の役にも立たない。過酷な圧倒的な自然の生々しさがそこにある。
四季を金で買い、言葉をただの効率的なデータとみなす男。小町の中に、ふつふつと静かな憤りが宿った。
季語がないなら、詠むべきものは一つしかない…
小町は目を開け、ラシードの瞳をまっすぐに見据えた。
「ラシード殿。わたくし、一句詠ませていただきますわ」
「おお、良いぞ! 我が誇るこのコレクションと、完璧な冷房を称える句か?」
小町はスッと背筋を伸ばし、扇子を手に取ることもなく、朗々とその音を響かせた。
金で買う 四季の幻 砂のビル
静寂が包み込んだ。通訳の男が蒼白な顔になり、震える声でラシードの耳元へアラビア語のニュアンスを伝えた。
『金でどれほど四季を偽造しようと、一歩外に出ればすべては砂上の楼閣。あなたの誇る効率も財産も、灼熱の砂の前では虚妄にすぎないの』
ラシードの笑みが消えた。グラスを握る手に力が入る。小町は臆することなく、言葉を重ねた。
「俳句は情報を縮小するための道具ではございません。削ぎ落とした音の隙間に、言葉にできぬ無量の大自然と、人間の可笑しみを宿すもの。効率ばかりをお求めなら、どうぞAIにでも言葉を書かせなされ」
息をのむ通訳。VIPルームは静まり返った。。
「ハッ!」
ラシードの喉から、短い吐息が漏れた。続いて、腹の底から湧き上がるような大笑いが部屋中に響き渡った。
「ハーッハッハ! スバラシイです! 風流とは、これほどまでに鋭いナイフだったのですね」
ラシードは手を叩き、涙を浮かべた。
「参りました、小町殿! 『タイパ』などと言って言葉を舐めていたのは私の方でした。金で買えぬ風流を、こんな短い言葉ひとつで突きつけるとは!!」
大富豪の降参を聞きながら、小町は窓の外、夕日に赤く染まり始めた本物の砂漠へと視線を向けた。
風流が 灼熱のビル 駆け抜けて
小町のドバイでの本当の修行は、今ここから始まろうとしていたのだった。
つづく
俳句達人伝シリーズ
俳句達人伝 | 『奥の細道』編
俳句達人伝 | 『イタリア修行』編
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