note読者論 | 「読んでいる人」と「読んでいない人」をどう判断しているのか?

noteの記事を投稿する。その時、自分のために書いた記事であっても、読んでもらいたいという気持ちがある。
自分の思いが強いときほど、「できるだけたくさんの人に届けたい!」というよりも、「届けたい人に届きますように!」と願いを込める。
本当に読んでもらいたい記事というものは、読まれた人数ではなく、心に留めてくれる人の心にどれだけ響くかということが大切だと思う。
ところで、noteをやっていると「読んでくれた!」と思うときと、「読んでもらえなかった!」と思う時があるものだ。
スキ数が多いとか、ビュー数が多い・少ないというのは、ある程度、目安にはなるけれども、「読まれた」「読まれなかった」というのは「感じるもの」だ。
スキ数であれ、ビュー数であれ、多ければ記事を目にした人が多かったと分かるが、実際に読まれたのかどうかは分かるものではない。
ひとりひとりの人が目の前にでもいない限り、本当に読まれたか否かはわからない。けれども、「読まれた!」「読まれなかった!」と感じることがある。感じるものは、目に見える数字ではなく、感覚的なものだが、たぶん、そのような直感は当たっているという確信がある。
数字以外のものでいうと、書いた内容に合致したコメントをいただいたとか、マガジンに登録してもらえたということもあるが、この感覚というのは、そういうものとも違う。
たとえば、ふだん交流のない人がスキをつけてくれたとか、数字そのものの大きさではなく、投稿してしばらく時間が経っても、ちらほらとコメントが来たり、スキがついたりすると、読まれたな、と感じる。あるいは、そういったことがなくても、私が書いた内容・テーマと同じような投稿が増えたな、というときとか。
直接私のところにくるリアクションではなくても、noteにはそういう空気が流れることがあるように思う。
たまにありませんか?
企画でもないし、世間でそんなに大きな話題になっているわけでもないのに、タイムラインに似たようなテーマの投稿が増えることが。
そういうときには、たいてい、そのテーマで最初に投稿した人がいたりするものです。
たまたま、それが私のフォロワーだったり、私自身が投稿した記事のテーマだったりすれば、けっこうハッキリわかります。
でも、そうではないときは、きっと、私の知らない誰かが口火を切ったのだろう、と想像したりします。
もちろん、こうした「noteの空気」というものは、私の思い込みに過ぎないのかもしれない。
私が記事を書いたあとに、似たようなテーマの記事が増えたとしても、それが私の記事を読んだからとは限らない。たまたま同じことを考えていた人が、同じ時期に投稿しただけかもしれない。私の知らないところで、もっと早くからそのテーマについて書いていた人がいたのかもしれない。
それでも、「ああ、読んでくれた人がいるんだな」と感じることがある。記事にスキがついたわけでもない。コメントが来たわけでもない。フォローされたわけでもない。それなのに、なぜか「届いた」と思う。これは、noteを長く続けているからわかることなのかもしれない。
たくさんの記事を書いていると、読者の反応にもいろいろなパターンがあることに気づく。すぐに反応する人もいれば、何日も経ってから反応する人もいる。毎回スキを押してくれる人もいれば、普段は何も反応しないのに、たまにコメントを残してくれる人もいる。
だから、スキの数だけを見て「これだけの人が読んだ」と判断することはできない。
むしろ、読んでいる人ほど、必ずしも目立つ反応をするとは限らないのではないかと思う。読んだけれど、何も言わない。読んだことを知らせない。その記事について、noteの中では何の反応もしない。
けれども、どこかでその記事のことを思い出しているかもしれない。別の記事を書くときに、ほんの少し影響を受けているかもしれない。そう考えると、「読まれた」ということは、必ずしもスキやコメントという形で返ってくるものではないのだろう。
私が「この人は読んでいるな」と感じるのも、結局のところ、そういう目に見えない何かを感じ取っているからなのかもしれない。もちろん、私の勘違いかもしれない。
でも、noteを長く続けていると、「この人は読んでいる」と直感する瞬間がある。それは、記事の内容に触れたコメントをもらったときだけではない。
その人がその後に書いた記事を読んでいて、「あれ、この人、もしかして私の記事を読んだのかな」と思うことがある。そんなとき、私はちょっと嬉しくなる。
読者は目の前にいるわけではない。記事を書いているとき、誰が読んでいるのかはわからない。それでも、どこかにいる誰かが読んでいる。そして、その誰かが何かを感じ、何かを考え、その人の中にほんの少しでも記事が残っている。
書くということは、そういう見えない誰かに向かって言葉を投げることなのかもしれない。だから私は、これからも「読んでいる人」と「読んでいない人」を完全に見分けることはできないだろう。それでも、「あ、この人は読んでいる」と思う瞬間を、きっと何度も経験するのだと思う。

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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします