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noteコメント論 | コメントを書く人・書かない人。


noteの交流と言えば、個人企画への参加や他のクリエイターの記事を紹介することなどもあるけれども、記事を読んでコメントを書き、それに対して返事をいただくことがメインだろうと思う。

コメント欄には、最低限のマナーはあるにしても、基本的には何を書いてもいい。

「読みました」のひと言でもいいし、記事を書いた人に質問してもいい。

その上で言うと、私は基本的には、コメント欄には、記事を書いた人に「書いて良かった」とか「次も書いてみよう!」という意欲を掻き立てる言葉を残したい。

だから、記事に無関係なプライベートな質問や、自作のURLを貼った「この記事を読んでください」という宣伝、あるいは「フォローありがとうございます」「スキありがとうございます」という類いの「書き込み」は迷惑に思ってしまう。


他の人のコメント欄をたまに覗いてみると、記事を書くたびに、複数の人に対して「○○さま、おはようございます」とか、記事のワードだけを拾って「自分語り」をしたり、誤字脱字の指摘に終始しているクリエイターがいる。

二者間のことだから、両者が心地よく思っているなら、私が口を挟みたいことは特にないが、記事を一読して漠然と思ったことや生存確認的なコメントしか書かない人には、こちらへは来て欲しくないと思う。


最初の頃は、コメントの内容に関わらず、どの人にも、コメントが書かれたら(気がついたものに対しては)すべて返事を書いていた。こっちの人には返事を書いて、そっちの人には返事を書かないというのは不義理のように感じて。

また、自分の意図とは異なるあきらかな誤読には、反論というか、私の意図を説明したりしてきた。だが、たいていの場合、そういうコメントを書く人は、こちらの話に聞く耳を持たない人も多かった。それに、反論を以て「誹謗中傷だ!」とか「弱い女性だけターゲットにして叩いている!」という、イミフな言葉を投げ掛けられたりした。それだけにとどまらず、事情を知らない第三者までやってきて、多数のクリエイターのコメント欄に、私の意図を歪曲したことを書き、私のURLを貼りつける者もいた。

だから、そういうことがあって以降は、記事に無関係な書き込みは、適宜、黙って削除することにした。また、単なる儀礼的な「ありがとう」を書く代わりに、コメント欄の「スキ」だけ押して、私の言葉は残さないようになった。


コメントを書くという行為には、誠実さが何よりも大切だろう。多少のお世辞はあるにしても、心にもないことは書かない。ウソを書かない。書かれた相手が不快になるようなことは書かない。記事に関係ないことは書かない。

当たり前と言えば当たり前のことだが、自分の当たり前と他人の当たり前とは異なることがあるから、自分の当たり前という前提と合致するような人と交流すればいいだろう。


こう書くと、また誤解する人がいるかもしれないからいちおう書いておくと、意見が一致しないことイコール不愉快というわけではない。意見の相違があっても、「あぁ、そういう考え方もあるな」という敬意を払えるなら、自分とは異なるタイプの人と交流する意義はある。


以下には、少し個人的なことを書く。

私にとって不愉快なコメントを書く人というのは、グループのように見える場合が多い。

ふだんから、互いのコメント欄に記事に関係のない言葉のやり取りをしたり、note以外のメール、LINEその他のツールで交流のあるグループの人たちとは、距離をおくのが良いだろう。

いわゆる「エコー・チェンバー」の渦中にいる人たちは、視野が狭く、大局的な見方ができない。だから、予防的に、そういうグループの人たちをフォローしてる人たちのフォローはなるべく外しておくのが良いと思う。


コメントとは、note歴が長くなるにしたがって、より慎重になっていくものだ。「いい記事だなぁ、いい作品だなぁ」と思っても、きちんと筆者の意図を汲み取れていないかもしれない場合には、あえてコメントは残さない。

単に「読みました」ということを伝えたいならば、自分のマガジンに登録するにとどめてもいい。

コメント欄のやり取りが頻繁であればあるほど親しいというわけではないのだから。




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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします