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第1話 | いつかこれがペンでなくなる日が来るなんて


あらすじ


「いつかこれがペンでなくなる日が来るなんて」は連作短編集。全32話。
誰でも目の前にペンがあれば
「This is a pen.」(これはペンです)と
言うことはできる。
そして、未来永劫、
「これはペンです」という真理は変わらないと考える。
けれども、ペンがペンであることをやめる日がくる。
「This is a pen.」という真理は、
「The day will come when this ceases to be a pen.」に変わる。

ペンは、誰かにとっては愛の証であり、誰かにとっては決別の刃。ある時は忘れ去られたゴミとなり、ある時は死者へ手向けられる祈りとなる。
モノとしてのペンを超えていく物語。


第1話 誕生日 | いつかこれがペンでなくなる日が来るなんて


「誕生日はプレゼントは何がいい?」

 誕生日なんてもう20回以上も経験しているし、誰にも知られることなく過ぎ去るのもいいよな、と思っていた。ついでに言えば、誕生日が数日過ぎたあとに「あぁ、1つ歳をとったな」と気がつくのもいい。

「別に何もいらないよ」

 それを聞いた彼女は、一瞬ポカンとしていた。

「そう言うかなとは思っていたけどね。でも、毎年誕生日を迎えられるってそんなに当たり前じゃないから。ほら、英語でも言うでしょ?『Many Happy Returns!』とか」

 まぁ、それはそうだ。事故や病気で若いのに命を落とす人はいる。だが、たいていの場合、年齢の順番に亡くなるものだ。いつ死ぬかは、誰にもわからないけれども。

「とりあえず、気持ちだけ受け取っておくよ。僕の誕生日をちゃんと覚えていてくれただけで嬉しいからさ」
 僕の返事は、我ながら素っ気ないものになった。

 それから数日経ち、僕の誕生日になった。彼女は何も用件を言わなかったけれど、たぶん、僕のために何かプレゼントを用意してくれたのだろう。仕事が終わったあと、行きつけのカフェに向かった。

 ちょうど頼んでおいたカフェラテが僕のテーブルに運ばれてきたとき、彼女が店の中に入って来るのが見えた。辺りをキョロキョロしている。

「未奈、ここ、ここ!」
 僕が声をかけると、未奈はニコニコしながら近づいてきた。

「待っちゃったかな。誕生日おめでとう」
 そう言うと、未奈はリボンのついた小さな箱を僕の目の前に置いて、「開けてみて!」と無邪気に笑った。

「いいの?ここで開けて?」
 僕はリボンをほどき、小さな箱の蓋を開けた。中には、万年筆が一本入っていた。

「ありきたりのモノでごめん。要らないかもしれないけど、そんなに邪魔になるものでもないし。万年筆なら、いつでも、何か書く時に使えるしね」

「どうもありがとう。普段は使わないとは思うけど、いざというときに使わせてもらうよ」

「なに?、いざというときって?そんなに高いモノじゃないし、気軽に使ってね」

 こんなことをしちゃいけないとは思ったけれど、後日調べてみたら、僕のもらった万年筆は、未奈のお給料の一週間分くらいのモノだった。たかが誕生日にしては、奮発してくれたのがわかった。

 僕はその後、2年間、一度もその万年筆を使うことはなかった。

「じゃあ、この万年筆で2人の名前を書こうか?」
 僕がそう言うと、未奈は少し驚いていた。

「あぁ、あの時の万年筆だね。たしかに今は、『いざというとき』だね」

 僕たちは、目の前にある婚姻届を見ながら、2人で微笑んだ。


「お疲れ様」
 少し遅れてしまったが、その日のうちに病院に行くことができた。

「もう会ったの?」
「いや、これからだけど。未奈は?」
「生まれてすぐに、胸に抱かせてもらったけど」
「そうか。なら、僕も会いに行ってくるよ。未奈より先じゃ悪いかな、と思ったから」


 数日後、未奈も孝も、無事、我が家にやって来た。

「孝の誕生は『いざというとき』だよね」
 出生届を見つめながら未奈が言った。
「どっちが書く?」と僕が尋ねると、未奈は「ははは、2人で書こうか?それとも孝に書かせる?」と言った。

 僕たちは、婚姻届を書いたとき以来、初めて万年筆を握った。


 その次に万年筆を握ったのは、尚子が生まれたときだった。当然、尚子の誕生も『いざというとき』だった。僕たちが万年筆を必要とするとき、いつも幸せな出来事のはずだった。


「父さんが書いてくれるかな?母さんの死亡届。俺が書いてもいいけど、やっぱり、その万年筆を持つのは、父さんのほうがいいような気がしてね」
 孝が呟くように言った。尚子はただ、黙ったまま、コクりと頷いた。

『いざというとき』がこんなにも早く訪れることになろうとは夢想だにしなかった。
 孝の言う通り、未奈にもらった万年筆を握った。死亡届を書いているのに、僕は何度も書く欄を間違えた。だいぶ汚い死亡届になってしまったが、「大丈夫です。お預かりします」と葬儀屋は言った。

「で、遺影の件ですが、明日、奥さまの写真をお持ちいただけますか?背景はこちらからお選びいただけますので。今日は以上になります」

 それから2日後、未奈の葬式をした。僕は棺に、悲しい思い出になってしまった万年筆を入れようとした。だが、思い出のつまったその万年筆を棺に入れることはできなかった。


 翌日からもろもろの手続きを開始することになった。孝や尚子にはなるべく負担をかけたくなかったのだ。タクシーを呼び、僕は市役所へ向かった。

「こちらに奥様のお名前をお書きください」
 僕は職員さんに言われるまま、出された書面に、万年筆で未奈の名前を書き込んだ。

「とりあえず、今日のところはこれで大丈夫です。ご不明なことは、いつでもご相談いただければ」

 僕は役所をあとにした。帰りのタクシーを呼ぼうと、ポケットに手を入れたとき、万年筆を置き忘れてきたことに気がついた。
 「取りに行こう」ととっさに思ったが、「これでいいのかもしれない」と思い直した。
 僕はタクシーが目の前に来たとき、万年筆をあの場所に置き残したまま、役所をあとにした。


…つづく




こちらのマガジン(↓)に全話収録します。


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山根あきら | 哲学者 記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします