#4 〜ピカある探訪記✧*〜 花車神明社・後編 名古屋市中村区
前回:#3 〜ピカある探訪記✧*〜 花車神明社・中編
前回の続きです。
離れた摂社の天王神社(津島社)へ
神社の栞(しおり)には「津島社」の記載がありましたが、境内を見渡しても、それらしき社は見当たりませんでした。
氏子さんによって守られてきた社は、必ずしも境内の中だけにあるとは限りません。
社務所裏の小さな社。あれが「秋葉社」だったのでしょう。
栞に記された摂社・津島社を、あらためて地図で探してみることにしました。
Googleマップ上には「津島社」の表示はありませんでしたが、代わりに見つかったのが、花車ビル北館と中館のあいだの角に鎮座する「天王神社」です。
天王とは牛頭天王(ごずてんのう)のこと。
インドの祇園精舎の守護神とされ、日本では素戔嗚尊(スサノオノミコト)と習合(同一視)された、疫病除けの神として信仰されてきました。
名古屋に西にある津島神社は全国天王総本社として牛頭天王を祀る代表的な神社です。
つまり津島社とは天王社のことです。
という訳で、
鳥居をくぐり、境内を出て、境外にある天王神社へと向かいます。
ふと、秋葉社のある社務所裏に目を向けると、軒先からこちらをうかがう猫の姿がありました。

津島社のある角にたどり着くと、
看板には「紅葉狩車」の文字。
隣の建物には、祭りの際に曳かれる山車(だし)が収められているようです。

神明鳥居と玉垣に囲われた空間。
岩の上に小さな社ご神木があり、その後ろに山車蔵が控えています。
花車神明社を調べていくと、花車神明社祭の記録が見つかりました。
祭で曳かれていく紅葉狩車の写真や、提灯に照らされる山車の写真を眺めていると、津島神社の尾張津島天王祭の提灯の光景が、自然と重なってきます。
広井村という土地
花車神明社の参拝を終え、
この土地そのものについて、もう少し調べてみることにしました。
花車神明社は「広井神明社」としても知られているようです。
この「広井」という名は、かつてこの一帯が広井村と呼ばれたことに由来します。
Googleマップで「広井」を手がかりに周辺を見ていくと、堀川沿いにある「広井洲崎神社」が浮かび上がってきました。
広井洲崎神社と堀川
広井神明社(花車神明社)は、近くを流れる堀川と錦通の交わる場所にあります。
この南北に流れる堀川伝いに川下へ歩くとすぐに広小路と交わります。「広」がですね。そしてさらに南、若宮大通と交わる場所に広井洲崎神社(洲嵜神社)が鎮座しています。
この神社の主祭神は
です。
境内には、豪族・中村氏の居城であった廣井城跡も残されています。
こんなところに城があったんですね。
そして、この広井洲崎神社の地こそが、堀川が掘り始められた起点だったと伝えられています。
堀川は、名古屋城築城にあわせて開削された人工の川。
海と城下を結ぶ運河として、物資と人の流れを支えてきました。
戦国時代の廣井城跡で堀川はここから掘られ始めた!名古屋市中区洲崎神社レビュー
洲崎天王祭
広井洲崎神社で行われてきた洲崎天王祭は、
名古屋東照宮の時代祭と並ぶ、名古屋城下の二大祭だったそうです。
尾張の山車祭り 広井洲崎神社天王祭と常盤町
写真に残る提灯の灯りを見ていると、
その風景が、花車の津島社、そして尾張津島天王祭へとつながっていくのを感じます。
津島神社では、20年に一度、伊勢の神宮の式年遷宮に関わる御神木(御樋代木)の奉迎行事が行われます。
昨年の2025年(令和7年)6月8日に、第63回式年遷宮の御神木が津島神社に立ち寄り、多くの参拝者が見守れながら、伊勢へと送られました。
かつては筏に組んで流送(りゅうそう)して運ばれた御神木は、大正以降はダムの影響で陸路になりました。現在は伊勢まで運ばれた後、伊勢市内を流れる五十鈴川を「さかのぼる」形で運び込まれます。
神も、木も、人も——
川を通って、この地を行き交ってきたのでしょう。
こうして見ていくと、
堀川沿いの川上では広井(花車)神明社では天照大神を祀られ、
川下では広井洲崎神社では牛頭天王(素戔嗚尊)を祀られている。
そんな土地の構図が、静かに浮かび上がってきます。
広井氏と、神社と寺
さらに「広井氏」について調べていくと、
祖とされる広井女王の名が現れます。
和琴の伝承において、嵯峨天皇より伝承を受け、仁明天皇(にんみょうてんのう)と源信(みなもとのまこと)に伝承されています。
そんな歴史を辿ったあと、あらためて神社の周囲を歩いてみると、
花車神明社のすぐ隣に、浄信寺と光明院が並んで建っていることに気づきました。


ん、「浄信寺」「光明院」?
そこから、源信、仁明天皇の名が、ふと重なります。
さらに、「光」と「明」の間に「仁」をいれると、「光仁天皇」「仁明天皇」が浮かび上がりました。
藤原不比等の娘の「光明子」は聖武天皇の后です。
この土地の氏神は源氏の崇拝する八幡大神です。
さきほどの広井洲崎神社の社殿が勧請されたのは859年ということなので、清和天皇(在位858年-876年)の即位した翌年に、この広井村の地に、嵯峨源氏である源氏長者の源信の所縁のひとたちが移り住んで居を構えたのでは。
広井村の氏神神明社によると、この一帯は、かつて泥江縣神社(廣井八幡宮)の広大な社域だったとも伝えられています。

現在は区画整備されて神社とお寺が隣同士という形になりましたが、
神仏習合の時代、神社と寺が一つの空間にありました。
かつての地域の人の想いはこういった形で残されていて、訪れた人がそれに気づくのを待っているのかもしれません。
平安時代、かつて、この地で雅な和琴の音色が奏でられていたのではないでしょうか。
〆
花車神明社は、名駅からほど近い場所にありながら、
昭和以前の空気を今に残す、静かな場所でした。
境内の佇まい、周囲の川や道、点在する社や寺。
それらをつなげていくと、この土地に住む人々が歩んできた時間が、少しずつ見えてきます。
今日の散策も、そんな歴史の層に触れる、よいひとときとなりました。
~~ 今日も良い散策となりました。✧*~~
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