ウィーン駅前で「J※p」と呼ばれた夜|1990年ひとり旅
※1990年のヨーロッパひとり旅の記録です。
ザルツブルク 1990年3月4日
ザルツブルクでは、ミラベル宮殿とモーツァルト広場を訪れた。
まずはミラベル宮殿とその庭を見る。


それからザルツァハ川を渡って、モーツァルト広場、レジデンツ広場へ行く。


ザルツブルクの観光は、ほんの3時間ほど。
本当に駆け足の旅だ。
でも、それぞれの街へ足を運び、その街の印象をとらえるだけでもいいと思っていた。
じっくり見ていくには時間がなさすぎるし、もし気に入った場所があれば、また必ず訪れるつもりでいるから。
(*「時間がなさすぎる」と言いながら、人生の時間はまだいくらでもあると思っていますね。大学生の私は、とにかくたくさんの街に行って、いろんなものを見たいと思っていたようです)
ウィーンの駅前で「J※p」と呼ばれて
ウィーンに着いたのは午後6時頃。
駅のインフォメーションでホテルを見つけた後、駅前に出ると、もうあたりは暗かった。
駅前には、これからどこかへ出掛けるのか、大きめの荷物をそれぞれ持った十代の男女の集団がいた。
私のホテルはどちらの方向かなときょろきょろしていると、女の子の声がした。
「J※p!J※p!」
私のことを言ってるんだ。
いかにも憎々しげな目で繰り返す。
隣にいた別の女の子が、やめなよというように苦笑いしながら手で制している。
私は急いでその場を離れた。
動悸が激しい。
どうして。
なぜ、あの子はあんな目をして、あんなことを言うのだろう。
あの子は日本や日本人について、どんなふうに教えられたのだろう。
もしドイツ語が流暢に話せたら、私は引き返して問い詰めたかもしれない。
いや、やっぱりできないだろうか。
悔しさとかなしさと腹立たしさで堪らなかった。
いっぺんにウィーンの印象も悪くなってしまった。
人間は、偏見や差別を持たずに生きていけないのだろうか。
でも私自身だって、たぶん同じだ。
例えば、見た目で、どんな立場の人なのか勝手なイメージを持つ。
その日は、夕食を取っただけで部屋に帰り休んだ。
ベッドの上にごろんと寝転んで、胸にもやもやしたものを抱えながら、私は考え込んでしまった。
…ウィーンは好きになれないかも。
たったひとりの女の子のために、街のイメージが決まってしまうなんて、私も単純だ。
天井を見ながら、私は何度も、あの子の声とあの目を思い出した。
(*この夜に出来上がったウィーンのネガティブな印象は、長い間消えませんでした。その印象が逆転したのは、35年後の2025年。クレジットカードを置き忘れたことにより、私はウィーンと「仲直り」することができました。「ウィーンと仲直り|35年の時を超え印象が逆転した夕暮れ【ヨーロッパひとり旅】」)
1990年3月5日 シェーンブルン宮殿 見学
翌日は、シェーンブルン宮殿に行った。


ここでは、とにかくその広さに仰天した。宮殿から庭の端に行くまでに徒歩20分なんて!


宮殿内のガイドツアーでは、ちょっと女性的でハンサムなガイドさんが解説してくれた。
しかしドイツ語なので、分かる単語は、「ロココ」「マリーアントワネット」「マリアテレジア」くらいのものだ。
(*なぜドイツ語のガイドツアーに…?)
見学が終わると、他の観光客は一列に並んで、ガイドさんにチップを渡していく。
慌てて私も列に並び、ポケットの中の小銭を適当に掴んで渡した。
後で気付いたが、日本円にして10円かそこらだった。
日本人はケチだと思われたかもしれない。
(*ガイドさんは、チップを受け取る度に、いくら渡されたかをチラッと見ていて、私が渡した後、「えっ?」という顔をされたのをおぼろげに覚えています。…恥ずかしい)

急遽ブダペストへ ハンガリー大使館でビザ申請
その日は、ハンガリー大使館にも行った。
ガイドブックに、在オーストリアのハンガリー大使館でビザを申請すれば、ハンガリーに入国できると記載されていたからだ。
翌日は、ウィーンからヴェネツィアへ夜行列車で移動しようと考えていた。しかし列車の出発は夜の遅い時刻で、昼間は時間がある。
ウィーンからブダペストへ足を伸ばすのは、魅力的な過ごし方に思えた。
大使館に行くと、私と同じように、ビザを取ってハンガリーへ行けることをガイドブックで知った日本人がたくさん来ていた。
手続きの仕方がよくわからず、近くにいた日本人男性に尋ねる。
「あの紙に記入して、あそこの窓口に行くみたいですよ」
必要事項を記入し、列に並ぶ。
私の番が来た。
受付の女性は、引換券を渡しながら、明日取りに来るようにと言う。
ガイドブックにあったとおり
「エキスプレスでお願いします」 と言うと
「では、しばらく待っていてください」 という返事。
手数料は270オーストリアシリング。日本円にして3300円くらいである。
ビザを発給してもらった後、さっき教えてくれたTくん、そしてもうひとりの日本人男子学生Mくんとともに、ウィーン風カツレツを食べに行った。
もう10日ほどウィーンに滞在しているというTくんが、
「安くて美味しいお店を知っている」と連れて行ってくれた。
ウィーン風カツレツは、薄くてとても大きかった。
東京から来たTくんは東ヨーロッパが好きで、もう何度も訪れているのだという。
「東ヨーロッパは西ヨーロッパに比べて物価が安いから、貧乏旅行でも十分に満たされた旅ができるんだよ」と力説している。
Mくんの方は大阪から来ていて、海外旅行が初めてなのだという。
Tくんを質問責めにしていた。
食事をしながら、Tくんが、ウィーンでは毎晩オペラに行っていると話してくれた。
「へえ、すごいねぇ、わかるの?」
「いや、言葉はわからないんだけど、だいたいのストーリーはつかめるし、聞いているだけでぐっとくるものがあるよ。今晩も行くから、よかったら一緒に行かない?」
「私、ジーンズしか持ってないから」
「オレもそう。ジーンズでも入れるよ。天井桟敷で立ち見だけどね。見る価値はあると思う」
「私は、どうも柄じゃないわ」
「そう?残念だなぁ」
(*本当に残念です。行っておけばいいものを。もしかしたら、服装の心配だけでなく、お金の心配もしていたのかもしれません。それから帰り道の心配も)
Tくんとは翌日、ブタペストに行く列車が同じになった。
※1990年の旅のエピソードはマガジン▼にまとめています。
