列の途中 第8話 支える、ということ――装具を使って歩くとは
その患者を初めて担当すると聞いた時、朝倉は少しだけ背筋が伸びた。
同時に、胃の奥が重くなった。
カルテには、いつも通りの文字が並んでいた。
脳出血後 右片麻痺
発症3日目
弛緩性麻痺 重度
見慣れているはずの表現だった。だがその日は、妙に現実味を帯びて見えた。
病室の奥。
ベッドの上に横たわるその人は、思っていたより静かだった。
六十代前半の男性。
意識ははっきりしている。会話も成立する。だが右側の身体は、ほとんど動かなかった。
「今日から担当させていただきます、朝倉です」
患者はゆっくりこちらを見た。少し時間がかかる。でも理解していることは分かる。
「……お願いします」
声は小さいが、はっきりしていた。
朝倉は右上肢をそっと持ち上げた。
重い。ただ重い。筋緊張はほとんどない。支えなければ、そのまま落ちる。
頭の中で、知識が流れる。
手足は弛緩している。姿勢も崩れ、足は支えられない。
転倒リスクは極めて高い。
だが。
じゃあ、何をする?
そこが一番、分からなかった。
——いや。
正確に言えば、何も知らないわけではなかった。
相馬は、最初から丸投げにはしなかった。
今回の担当が決まる前から、似たような場面を何度も一緒に見てきていた。
「今日は促通を少し入れてみましょう」
「端座位はここまでで十分です」
「立位はまだ無理に延ばさなくていいですね」
そうやって、一つずつ段階を区切りながら教えてくれていた。
ある日。
相馬は患者のベッドサイドで言った。
「少し、ここを見ていてください」
朝倉は患者の右下肢のそばに立った。
相馬は太ももと下腿に軽く手を添えた。
「いまから、少しだけお手伝いします。ご本人の力で押してみてください」
患者は小さくうなずいた。
相馬の手は強く持ち上げるわけでも、無理に動かすわけでもなかった。動いてほしい方向を身体に思い出させるような触れ方だった。
「はい、いまです。押してみましょう」
患者の足が、わずかに動いた。ほんの数ミリ。でも確かに動いた。
相馬はすぐに言った。
「いま、動きましたね」
患者は少し驚いた顔をした。
「……動いた?」
「はい。いまは、ご本人が動かそうとしたタイミングに合わせて、少しだけ手を貸しています」
それから相馬は朝倉に向き直り、短く言った。
「脳は、“動かそうとしたこと”と“実際に動いたこと”が一致した時に学習しやすいんです。だから、動こうとした瞬間に“動いた”という経験を作ります」
朝倉は黙って聞いた。
そのあと、患者にもう一度促した。
「もう一回、押してみましょう」
さっきより、足が少し大きく動いた。
患者の表情が変わった。
「……さっきより、動いた気がする」
「そうですね」
相馬はうなずいた。
「いまのは、ご本人の力です。こちらは少し形を整えただけです」
朝倉はそのやり取りを見ながら、頭では理解していたはずの言葉が、ようやく臨床の場に落ちてくるのを感じていた。
これが、促通か。
ただ動かすのではない。ただ筋トレをするのでもない。
“動かそう”とした瞬間に、“動いた”を重ねる。
その一致を作る作業なのだ。
別の日。
相馬は長下肢装具を持ってきた。
「今日は、装具を使って歩いてみましょう」
金属の支柱。膝継手。足底板。
発症早期。朝倉は、まだ歩行の話が出るとは思っていなかった。
見慣れているはずの装具なのに、その日はやけに物々しく見えた。
相馬は装具を患者につけながら説明した。
「膝が折れてしまうと、つられて体幹も曲がってしまいます。
そうなると膝の問題、姿勢の問題2つに対応しないといけない。
なので、まずは膝を固定してでも歩いて、バランスをとれるように」
膝継手を合わせる。継手をロックし膝が曲がらないように。
カチッ。
「最初は、この装具で膝を支えます」
患者を立たせる。
膝は崩れない。体重がかかる。体幹は揺れるが、完全には落ちない。
相馬はすぐには歩かせず、その場で体重を乗せる時間を作った。
「いま、しっかり体重が乗っていますね」
それから朝倉に向かって言った。
「立てないから歩かない、ではなくて、装具を使って歩ける形を先につくることがあります」
朝倉は装具の膝を見ていた。
「歩けないから使うんじゃなくて……」
「歩くために使います」
相馬は短く言った。
それから患者に声をかけた。
「では、一歩出してみましょう」
患者の足が、ゆっくり前に出た。
ぎこちない。でも確かに歩行だった。
一歩。
二歩。
相馬は患者の後ろで密着し、崩れればすぐ支えられる位置に立っていた。朝倉はその距離感も含めて見ていた。
「装具を使うと、膝折れを気にし続けなくて済みます。そうすると、こちらも患者さんも、“歩くこと”に意識を向けやすくなるんです」
少し間。
「それに、今この時期に立って体重をかけておくことは、先の移乗やトイレ動作にもつながります」
患者は息を切らしながら、小さくうなずいた。
その日。
朝倉は理解した。
促通の意味。装具の意味。歩行を早くから入れる意味。
相馬はただ見せるだけではなかった。
次の日には、朝倉自身にも手を出させた。
「ここ、触ってみてください」
「いまは少し誘導が強いですね」
「ご本人が頑張る余地を少し残しましょう」
「立ち位置はもう少し後ろです」
「そこだと、崩れた時に支えにくいです」
短い。
でも具体的だった。
だから朝倉は、知識だけでなく手順として教わっていた。
完全に放り出されていたわけではない。
OJTとして、かなり丁寧に見てもらっていたと思う。
それでも。
やはり怖かった。
実際に自分が主担当として装具をつけ、患者を立たせ、歩かせる段になると、手の中の温度が変わった。
転ばせたらどうしよう。
膝が崩れたらどうしよう。
装具がずれたらどうしよう。
自分の介助が遅れたらどうしよう。
最初の数日は、評価と基本動作の介助だけで終わった。
起き上がり、端座位、立位。
体重移動、麻痺側への入力。
できることは、全部やっていた。
教わった通りに。
順番も守って。
危険がないように。
患者の疲労も見ながら。
それでも。
歩行だけは、慎重になりすぎていた。
装具をつける、膝をロックする。
体を支える。
必要以上に近づく。
必要以上に支える。
転ばせない。
それだけは守ろうとしていた。
装具の膝を固め、朝倉が全体重をコントロールして進む歩行。
患者の右足は、ただ朝倉の力で引っ張られて前に出るだけの、硬い棒のようになっていた。
最初のうち、患者は息を切らしながら小さくこぼした。
「自分が歩いているというより、運ばれてるみたいだな」
朝倉は「最初は安全第一ですから」と返し、決して介助の手を緩めなかった。
だが、数日続けるうちに、不思議な変化が起きた。
歩行が“スムーズ”になったのだ。
患者の身体が傾くタイミングと、朝倉が骨盤を支えて引き上げるタイミングが、ぴたりと合うようになった。
朝倉自身の身体の疲労も減り、病棟の廊下を歩く距離は確実に伸びていった。
通りかかった主任の野口が、歩行練習を見ながら声をかけてくれた。
「朝倉、長下肢での歩行、安定してきたな。新人にしては転倒のリスク管理がしっかりできてる」
患者本人も、ベッドに戻ったあとに笑顔を見せた。
「朝倉先生が支えてくれると、安心して足を出せるよ」
その言葉が、嬉しかった。
自分は間違っていない。
安全に、確実に、患者を歩かせることができている。
朝倉は、自分の介助技術が向上し、臨床の波に乗り始めているような手応えを感じていた。
ただ、どこかに引っかかる感覚があった。
患者の右足が、自分の動きに"合わせている"のか、"合わされている"のか、最近少し分からなくなってきていた。
でも、距離は伸びている。転んでいない。だから今は、これでいいはずだ。
そう思うことにした。
ある日。
リハ室でカルテを打っていると、相馬が静かに声をかけてきた。
「昨日も、歩行されていましたね」
「はい」
朝倉は少し胸を張って答えた。
「距離も伸びてきました。転ばせずに、安定して歩けています」
相馬はうなずいた。
少し間。
そして。
静かに聞いた。
「いつまでロックしておきますか」
朝倉は言葉を失った。
その一言で、朝倉は自分でも気づいていなかった問いの輪郭を、急に認識した。
息が合ってきたのではない。
患者が、朝倉の過剰な介助と、決して曲がらない装具の膝に“依存する形”を覚えてしまっただけなのだ。
「転ばせないこと」と「歩けるようにすること」は、違う。
これでいいはずだ、そう思っていた。
あの時の引っかかりは、これだったのだ。
転ばせない、という確信は、朝倉の中にあった。
でも、歩けるようになっている、という確信が、今一つ持てなかった。
見ないことにしてきた違いが、相馬の一言で見えてしまった。
朝倉は、自分がかけていたロックの本当の意味に、その時初めて気がついた。
支えることは、やっていた。
任せることは、まだできていなかった。
しかもそれは、膝だけではなかった。
