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第6回 触れることが怖い時代に—安心できる触れ方とは

「触れること」や人権について、これまで科学的な視点や文化的な背景からお話ししてきました。
今回は、少し違う角度から考えてみたいと思います。
現代の「触れること」が、怖くなった話です。



ハラスメント意識の高まりと、「触れること」の萎縮


近年、属性や人格などに関する言動によって相手に不快感や不利益を与え、尊厳を傷つける行為がハラスメントとして広く認知されるようになってきました。
これは、とても大切な変化です。
理不尽な接触(セクハラやカスハラなど)や、権力関係(パワハラ)を利用した「触れ方」が問題視されるようになったことで、守られるようになった人がたくさんいます。
でも一方で、こんな声も聞こえてきます。
「肩をたたいて励ましたかったけど、やめておいた」
「子どもの頭をなでたら、親に嫌な顔をされた」
「誰かに触れることが、なんとなく怖くなった」 など…
ハラスメント防止意識が高まる一方で、必要な対応や通常のコミュニケーションまでが萎縮してしまうという副作用も起きています。
「触れること」全体が、タブーになりつつある。
そんな空気を、感じることはありませんか?


わたしが感じてきた、パーソナルスペースの「逆転」

私の海外と日本での経験を少しお話ししたいと思います。

海外と日本を比べたとき、「海外の方が人との距離が近く、日本の方が遠い」というイメージを持っている方も多いと思います。
でも実際に両方で暮らしてみて、わたしはそれが逆だと感じています。
アメリカをはじめ、わたしが暮らした国々では、確かに人との距離感は近いと思います。
実際に、挨拶としてハグや頬へのキス、握手が日常にあります。
でも実は同時に、相手のパーソナルスペースへの配慮がとても丁寧なのです。
それほど親しくない間柄では、必要以上に触れない、近づきすぎない。
「相手が心地よいかどうか」を自然に意識する文化があります。
相手の雰囲気や見た目から判断し、「自分とは異なる文化やバックグラウンドを持っているかもしれない」と配慮を自然とすることが身についている人が、多い気がします。
また会話でも、プライバシーに関わるような内容は必要以上に聞かない、相手を個人の感覚で判断するようなことは言わないように配慮する習慣が多く見られます。
一方、日本では「物理的」な距離が多い気がします。
「同性だから」という理由で、あまり親しくない相手の肩や腕に無断で触れることがあったり、レジなどに並ぶときに必要以上に近づいて来る人がいたり、満員電車での密着が日常になっていたり、他に空席がたくさんあるにも関わらずわざわざ隣に座ってきたりなど…
若い世代が「距離感がバグってる」という言葉を使うのも、こうした感覚のズレを表しているのかもしれません。
個人の会話や大きな組織的な場所でも、年齢などの個人的なことを聞いたり、見た目に対しての表現がいまだに多く見られると思います。
その背景には、日本独自の文化もあるのかもしれません。
家族が川の字で寝る習慣、幼い頃から見知らぬ人と共に入る温泉
物理的な距離は近くても、「相手の意思を確認する」という感覚が育ちにくい環境があったのかもしれないと、わたしは感じています。

「触れること=怖い」ではなく、「同意なく触れること」が問題なのだと私は、思います。そしてその意識は、文化によって大きく違います。


「不適切な触れ方」と「安心できる触れ方」は、違う


大切なのは、「触れること=危険」ではなく、
「触れ方」と「同意」の問題だということです。
みなさん、インフォームドコンセントという言葉を聞いたことはありますか?
インフォームドコンセント (Informed Consent)とは、十分な説明のもとで相手が理解し、自らの意思で同意するプロセスのことです。
もともとは医療の現場で生まれた概念ですが、「触れること」にも同じことが言えると思っています。

・十分な情報提供(説明) : 事前にきちんと説明があること
・正しい理解 : 説明された内容を理解し、疑問を解消できること
・自由な意思決定 : 「嫌だ」と言える雰囲気があること、相手のペースや気持ちを尊重すること

その上で行われる「触れ方」は、不安ではなく、安心につながります。
タクティール®ケアでは、セッションの前に必ず説明をし、どこに触れるか、どんなふうに進めるかをお伝えします。それは単なる手順ではなく、「あなたの意思を大切にしています」というメッセージです。


「触れられること」への恐怖は、経験からくる


「触れること」が怖くなるのは、過去に「触れられて嫌だった」経験があるからかもしれません。それは大きなトラウマでなくても、日常の中に積み重なっていることがあります。

「嫌だったけど言えなかった」
「断ったら場の空気が悪くなった」

そういった経験が、からだの中に残っていることがあります。

タクティール®ケアのセッションの中で、はじめはからだが固まっている方がいます。それは当然のことだと思っています。
ゆっくり、丁寧に進める中で、「ここは安全だ」とからだが学んでいく。
その過程そのものが、ケアだと感じています。


安心できる「触れること」のために

「触れること」を取り戻すために、必要なことはシンプルです。

・同意があること
・相手が「いいよ」と思えていること
・安全な場所であること
・断っても大丈夫な雰囲気があること
・目的が明確であること
・「大切にしたい」という気持ちが伝わること

このすべてがそろったとき、「触れること」は怖いものではなく、人が人として大切にされる行為になります。
怖くなった時代だからこそ、「安心できる触れ方」を丁寧に届けたい。
それが、Placidaが大切にしていることのひとつです。

次回は、第7回「女性とケア、自分を後回しにしてきた話」をお届けします。
なぜ女性や子供にタクティール®︎ケアをお届けしたいのかをお話ししていきます!

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