テクノロジーは私たちの思考をどのように変えてきたのか、そして変えるのか
1455年ごろ、ドイツはマインツでグーテンベルグが開始した印刷という行為は、単なる技術的革新ではなく、人間の思考様式や文化全体を根本的に変えた要因として位置づけられています。
カナダの研究者マクルーハンは今から40年ほど前、中世の写本文化から印刷文化への移行に着目しながら、メディア技術が人間の感覚比率を変化させ、それによって認識や思考様式を根本的に変えたと主張しました。
こちらの本。名著でございます。
高いし分厚いので、ここら辺をサラッと理解したいという方には、こちら。私の指導教授です。ちなですが、今のSAPIX代表・高宮さんのお父様でございます。
マクルーハンの主張はこうです。
印刷技術は視覚を他の感覚から分離・強調し、線形的で分析的な思考を促進した。その結果、知識の標準化や個人主義的な読書文化が生まれ、近代的な思考様式の基礎が形成されたと繋げて語ります。
さてさて、まずは書物の歴史をさらっと振り返ってみましょう。
書物の歴史(超短い版)
長い歴史をザクっと簡単に解説すると、その昔、人々は骨とか石に文字を書いていました。洞窟の壁画とか牛の骨になんかちょこちょこ書いていたの世界史の図説で見たの思い出しませんか?
でもね、古代ローマは結構発達していて、なんと今のタブレットの原型みたいなものに書いていました。サッフォーという女性の詩人ですが、タブレットが石板というとこ以外、今っぽいですよね。

その次に来るのがパピルスといういわゆる、ナイル川に生えていた草ですね、それから作って草紙です。

草を叩いて伸ばして、それにカリカリ書いていました。これで有名なのは旧約聖書の(元となった)死海文書(deal sea scroll)っていうやつです。
それで中世(中世っていっても5世紀ね)になると石、パピルスから子牛の皮(Vellumベラム)というのに書かれるようになります。ここからマクルーハンの議論と関わってくるのですが、当たり前ですが、当時、子牛の皮なんて簡単に手に入るはずがありません。じゃ、誰が使っていたのかというと、修道院の坊さんたち(だけ<宮廷もちょっと>)が使っていたんです。
で、彼らの日課(1日のスケジュール)に写経タイムがありました。ここが重要で、今日までという長い月日の間有名図書館や修道院に眠る写本というのは、何度も何度も文章を暗唱した坊さんたちがカリカリ書き写したものなのです。だから当然間違いもありますし、さらにはちゃんと覚えることができるように、文字の間にメモしていたり、わかりやすい見出しをつけていたりしました。
こんな感じ。Domine~ と始まる文のDの文字が大きいですねよ。

ここら辺のダチョウの羽の何番目の骨をつかって書いていた云々、とかそういうマニアックな情報やフォントが大好きな方はこちらをお勧め。
そして、ついに紙!!!それがグーテンベルグ聖書ってわけですっ。
美しい。
これが画期的だったわけなんですが、何がすごいかというと黒い文字は印刷、ところは周りの装飾は手書きなんですね。

つまり、ポイントは、最先端テクノロジーとアナログが融合しているんです。
これって、前に書いた記事と似ていますよね。「デジタルか紙か」という議論。ね、不毛でしょ。グーテンベルグ銀河系の中に美しく共存しているんです。どこに、なんのためにテクノロジーを使うのかってのがポイントとなります。
というか、実はグーテンベルグくん、最初に印刷したの免罪符だったり・・・。聖書は副産物だった可能性ありなんですね。
ご存知のように、免罪符というのは「煉獄での魂の救済」を買うことができるもの。当時の腐ったカトリック教会は「この世 ー> 煉獄 ー> 天国」 という画期的なマネーメイキングシステムを拵えました。つまり、罪を犯したら煉獄で苦しむから、お参りに行くか金払えというヤクザみたいな仕組みですね。
これに興味のある人は、天才ジャック・ル・ゴフを読みましょう。
こんな謎システムができたおかげで巷の教会には「罪の計算表」みたいなのが登場しました。例えば、万引き煉獄で10年、殺人煉獄で10000万年監禁みたいな。それまでは教会で罪の告白をすれば良かったものが、貨幣経済の浸透とともに、どんどんと数値化されていくわけです。
こんなわけで人々は10000万年分の苦しみを免除してくれる(とされる)「免罪符」を買うわけです。見てください、赤い空欄がありますね。ここに名前を書くんです。つまり、グーテンベルグはこの免罪符を売りまくってビジネスを大きくしたんですね。

さらに、電子メディアの登場により、この「グーテンベルグ銀河系」が終わりを迎え、全感覚的で同時的な新しい知覚様式の時代が始まりつつあると論じています。
グーテンベルグが印刷を開始してから100年後、印刷屋がヨーロッパ中に爆誕していきます。印刷技術の完成です。
ここから、いわゆる「読書」という行為が誕生するのです。
(ここら辺をもっと学びたければ徳永先生のこちら⇩学部・大学院と大変お世話になったお姉様です。KTとかいているのは私が解説を書いたものです。)
音から視覚へ
マクルーハンは、テクノロジーを「人間の感覚の拡張」として捉えました。例えば、印刷技術の普及は、単に本を大量に作れるようになっただけではありません。文字を整然と並べ、視覚的に情報を処理する印刷物に触れ続けることで、人々は物事を順序立てて、直線的に、いわゆるロジカルに考えるようになりました。それまでは文法とかもめっちゃくちゃだったし、文章も結構同じことをパラフレーズしているものが多かったんですよね。
また、一人で黙読する習慣が広がることで、個人主義的な思考様式が発達し、知識を個人で所有するという考え方も生まれました。これは、声に出して読み、共同体(教会とか宮廷)で知識を共有していた中世までの学習スタイルとは大きく異なりました。ここら辺に宗教革命とかも絡んできますので、世界史を勉強している人は深掘りしてください。キリスト教的な点では、いわゆるミサに参加して神の恵みをいただくという行為から、一人で聖書を読んで直に神につながるというプロテスタント的発想の萌芽です。
ルターの信仰のみ、聖書のみ、神の恵みのみに我立つ(Sola Fides, Sola Scriptura, Sola Gratia)という宣言が象徴的ですね。
読書という行為が、神様と直接対話できるので、カトリックみたいな司祭仲介システムいりまへーん、と中世の文化・思考様式・信仰スタイルを破壊したんです。
After グーテンベルグ
マクルーハンの論考の面白いところは、いわゆるありきたりの、印刷技術の登場が人間の感覚や思考に与えた影響の分析を超えて、1980年代にすでにインターネット誕生について考察しているところです。
電子メディアの登場により、「グーテンベルグ銀河系」が終わりを迎え、全感覚的で同時的な新しい知覚様式の時代が始まりつつあると思考の射程を広げているんですね。40年前ですよ。
全感覚的で同時的な新しい知覚様式の時代
Vision Proのような機器が登場しVRを使った学びが生まれたり、生成AIを使ったAI とともに学ぶ時代
さて、皆さんは「新しい技術」が私たちの思考様式・生活をどのように変えていくと思いますか?
さらに勉強したい人はこちら
いろいろな派閥がありますが、修道僧について知りたければこちら
どうでもいいですが、Monty Pythonのテリー・ジョーンズは高宮先生のお友達でございます。
もし自分はこの道が好きだと思ったら、ぜひ慶應文学部英文科へ。私の先輩たちが暖かく迎えてくださるはず・・・
