デザインに国境はあるか。限界デザイナーがカナダで見つけた、働くこと、生きること、AIのこと。【3】
【3】海外レイオフ(解雇)サドンデス、開幕
*前回までの話
10年勤めた会社を辞め、極貧生活を経てカナダで現地採用されたグラフィックデザイナー。キラキラのデザイナー生活を夢見て出社した初日、机にはMacBook Proとハードディスクだけが置かれていた。前任デザイナーはすでにレイオフ済み。溜まりに溜まったタスクを抱えながら、怒涛の2週間が始まった。
カナダ現地採用、入社から2週間が経っていた。
前任デザイナーが不在のまま(詳しくは【2】)を参照してほしい)、溜まりに溜まったタスクを鬼のようにこなす日々である。目の前ではマーケティングディレクターのレイチェルが、まだかまだかという顔でこちらを見ている。
レイチェルは小柄でパワフルな女性だ。パキパキと仕事をこなし、子供がいるので5時にはサッと帰る。服装はオフィスカジュアルかパンツスーツが多いが、足元はニューバランスである。きちっとしているが機能性は絶対に譲らない、というスタンスが靴に出ていた。なんてシュッとした人なんだ、これが欧米か、と田舎育ちの私には全てがキラキラして見えていた。
英語がまだ自信なさげでゴニョゴニョしてしまう私に、「あなたの英語はバッチリよ!!」と励ましながら、「本当に感謝してるわ、ありがとうね!!」と言いつつ、大量の「なるはやデザイン案件」を私のデスクに積み上げていく。
しかし感謝されるとまんざらでもないのだ。これぞ10年積み上げてきた社畜根性である。私はOK、ノープロブレム!と全て受け止め、普通にサービス残業していた。
ご想像の通り、ここは欧米である。みんなほぼ残業などしない。緊急事態でない限り、17時半にはオフィスからほぼ全員いなくなっている。遅くまで粛々と作業をする私は、かなり奇妙な存在だったと思う。通常、残業する人間はスキルが足りない人間だと思われるらしいのだが、私の場合、目に見えてタスクが多すぎたので、「そりゃあそうだよね……」という顔で哀れみの目を向けながら、同僚たちは17時にさっさと帰っていった。
時給は中堅デザイナーとしてはほぼ最低水準に近かった。それでも、無職期間に極貧生活を送っていた私には、暖かくて綺麗なオフィスで、大好きなデザインをするだけでお金がもらえるというのは、無敵モード以外の何物でもなかった。
オフィスではスタバのコーヒーが飲み放題だったので、私はコーヒーを飲みまくっていた。気づけば私の中での職場の定義が「雨風を凌げて、コーヒーまでタダで飲めて、お金もちょっともらえる素敵な場所」になっていた。海外まで来ても、まだまだ社畜である。
どれくらいお金がなかったかというと、現地に着いてから物価が高すぎて、毎日オーブンで焦がした野菜を食べていた。人生最速で5キロ痩せた。
当時なけなしのお金で買った36ドルの炊飯器が、私の命綱だった。これに何度救われたかわからない。カナダで買ったものの中で、文句なしトップ3に入る神アイテムである。お米に忠誠を誓って今後の人生を生きていきたいと思う。ちなみに日本米は高くて買えないので、謎のアジア米(細長いやつ)である。
会社のメインブランドはラーメンだった。レイチェルは競合店を日々研究しており、おぼつかない手つきでお箸を持ちながら、「これが美味しいのよ!!」ととんこつラーメンにハラペーニョとスイートコーンをトッピングし、ホクホクしながら食べていた。
私はその様子を見ながら、文化というのは面白いなあ、とぼんやり思っていた。
勤務を始めて2週間が経ったある日のことである。
レイチェルが、忽然と姿を消した。
始業は9時だが、もう10時半である。周りにも何やら不穏な空気が漂っている。私はレイチェルに確認しなければならないことがいくつかあった。サービス残業を経て生まれた成果物たちである。しかし待てども暮らせども、レイチェルは現れなかった。
彼女は、前の夜に解雇されていたらしい。
読みかけの資料が机に広がっている。私が出したデザインの、校正途中の赤字もそのままだ。代わりに届いたのは、人事部のあの声のいいレディーからのメールだった。
As of today, she's no longer with us.
今日から彼女はもういません。以上です、というメールである。血も涙もない。
初めてのレイオフ体験だった。
レ、レイチェルーーーー…!!!
私がずっと働いていた日本の会社では、どんなに仕事ができなかろうと、窓際に追いやられようと、クビになることなどなかった。クビという言葉が現実に存在するなんて、頭ではわかっていても、本当の意味では思っていなかったのだと思う。
前の席のベトナム人同僚も、神妙な顔をしていた。聞くと、レイチェルはもともと社長とソリが合わなかったらしく、前の夜に電話一本で解雇されたとのことだった。
ソリが合う合わないで、電話一本で即日クビ。
ちょっとヤダからあんたもうクビね、明日から来るな、ができるということか。ちょっと戦国時代すぎやしないか。レイチェルの子供たちはどうなるんだ。とにかくいろんな「なんでやねん」が頭の中を渦巻いた。
しかしすぐに、自分のデスクの上にある山のようなタスクを思い出し、我に帰った。
とりあえず、レイチェルの散らかったデスクを片付けることにした。
もう昼だったが、誰も手をつけていない。読みかけの資料も、タンブラーも、そのままそこにある。誰も片付けに来ないんかい、と心の中で突っ込みながら、「来る前よりも美しく」という小学生時代から刷り込まれた日本人マインドで、粛々と片付けた。
レイチェルがいなくなって、私の仕事はさらにカオスになった。
指示を仰ぐ相手がレイチェルしかいなかったのである。何を優先するか、デザインの方向性をどうするか、外部の印刷会社や社内の上層部との橋渡しも、気づけば全部私に回ってきていた。
助けを求める視線を同僚たちに送ったが、「それ、おいらの仕事じゃないし」という顔をしている。ダメもとで聞いてみたら、「それ、おいらの仕事じゃないし」とそのまま返ってきた。
仕方なく前任デザイナー(2ヶ月前に解雇済み)のメールをあさり、印刷会社のアドレスや過去のやりとりの流れを、ひとつひとつ掘り起こすところから始めた。
聞くところによると、私が入る2ヶ月前にも大規模なレイオフがあったらしい。もともと25人ほどいた社員が、すでに15人程度まで減っていた。社長は別の国に住んでおり、私はまだ一度も顔を見たことがない。顔の見えない誰かが、電話一本で人の仕事を終わらせていく。
クビにならないよう、より一層気を抜かずに頑張ろうと、私の社畜根性はさらに捻じ曲がっていくのだった。
なお、残った社員のさらに3分の1がレイオフされるのは、それから2ヶ月後のことである。
3週間のカオスな日々が続いたあと、新しいマーケティングマネージャーがやってきた。
筋骨隆々でガタイがよく、目がキラキラしたメキシコ人男性だった。
このマネージャーこそが、私とAIの出会いを作った男である。当時の私はAIにそこまで詳しくはなかったが、「AIでやった」と聞くと、なんとなく背筋がゾワッとするような、軽い嫌悪感を抱いていた。
それが、どんな出会いになるかは、次の話で。
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