「大丈夫です」を、そのまま受け取ってはいけない時がある
「大丈夫ですか」と聞かれて、「大丈夫ではありません」と答えられる人は、どれくらいいるのだろう。
仕事を任された時。失敗した後。忙しそうにしている時。上司から心配そうに声をかけられた時。
少し苦しくても、多くの人はこう答える。
「大丈夫です」
本当に大丈夫なこともある。
けれど、「大丈夫です」という言葉が、その人の状態を表しているとは限らない。
心配をかけたくない。弱いと思われたくない。期待に応えられない人だと思われたくない。ここで無理だと言ったら、仕事を外されるかもしれない。
あるいは、自分でも何が苦しいのか、まだ分かっていないのかもしれない。
同じ「大丈夫です」という言葉の中に、まったく違うものが入っている。
それなのに、聞いた側はその一言で安心してしまうことがある。
「大丈夫ですか」は、答えを決めている質問かもしれない
私も以前は、相手に声をかけたことで、話を聞いたつもりになっていたことがあった。
「大丈夫?」
そう聞いて、相手が「大丈夫です」と答える。
それで、ひとまず安心する。
こちらとしては、気にかけたつもりだった。何かあれば言ってくれるだろうと思っていた。
けれど今振り返ると、「大丈夫?」という聞き方自体が、相手に「大丈夫です」と答えさせていたのかもしれない。
特に上司と部下の間では、質問する側と答える側は対等ではない。
上司から仕事を任され、期待され、評価される立場の人が、その上司に向かって「大丈夫ではありません」と言うことは、それほど簡単ではない。
「できますか」と聞かれれば、「できます」と答える。
「問題ないですか」と聞かれれば、「問題ありません」と答える。
「大丈夫ですか」と聞かれれば、「大丈夫です」と答える。
質問の形をしていても、実際には期待されている答えが見えていることがある。
聞いた側も、「大丈夫です」と言ってほしい
もう一つ、考えなければならないことがある。
それは、聞く側も心のどこかで、「大丈夫です」と言ってほしいと思っていることだ。
大丈夫だと言ってもらえれば、そのまま仕事を任せられる。
担当を変えなくて済む。期限を見直さなくて済む。自分の指示や任せ方に問題がなかったことにできる。
もし「実は苦しいです」と言われたら、こちらも何かを変えなければならない。
仕事を減らすのか。誰かに振り分けるのか。期限を延ばすのか。自分の関わり方を見直すのか。
だから、相手の「大丈夫です」を信じたというより、信じることで安心したかっただけなのかもしれない。
「本人が大丈夫と言ったから」
この言葉は、ときに相手を尊重しているように見えて、聞く側が責任を手放すための言葉にもなる。
人は、限界になるまで自分の状態に気づかないことがある
苦しい時、人は必ず「苦しい」と認識できるわけではない。
目の前の仕事をこなすことに必死で、自分がどれだけ疲れているのか分からなくなることもある。
期待されている時ほど、立ち止まれないこともある。
少しくらい無理をするのは当たり前だと思っていたり、自分より大変な人がいるから弱音を吐いてはいけないと思っていたりする。
そういう人に「大丈夫ですか」と聞いても、本人の中では本当に「大丈夫です」という答えしか出てこない。
嘘をついているわけではない。
まだ、自分の中で起きていることに言葉が追いついていないのである。
だから、言葉だけを聞いていても見えないことがある。
仕事にかかる時間が増えていないか。以前より確認が多くなっていないか。得意だった仕事に手が回らなくなっていないか。小さな失敗が続いていないか。
その人が何と答えたかだけではなく、仕事の変化や日常の様子も含めて見なければならない。
本当に聞くなら、こちらも変わる覚悟がいる
違和感があった時に、「本当に大丈夫?」と聞き直しても、おそらく答えは変わらない。
同じ質問を強くしても、相手はさらに「大丈夫です」と答えるだけだ。
必要なのは、大丈夫かどうかを迫ることではない。
「最近、前より遅くまで残っているけれど、仕事の量は増えていない?」
「この仕事を任せてから、ほかの仕事に手が回らなくなっているように見えるけど、実際はどう?」
「続けるために、何か変えた方がいいことはある?」
こちらが見えている事実を伝え、その人が自分の状態を考えられるようにする。
そして、本当に話を聞くのであれば、聞いた内容によってはこちらも変わらなければならない。
仕事の任せ方を変える。期限を変える。支援する人をつける。期待のかけ方を見直す。
何も変えるつもりがないまま、本音だけを聞こうとするのは違うと思う。
「もっと早く言って」は、言えなかった側だけの問題ではない
人が限界を迎えた時、上司はよくこう言う。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
その気持ちも分かる。
もっと早く分かっていれば、何かできたかもしれない。そこまで苦しんでいるとは思わなかった。本人が大丈夫だと言っていた。
けれど、本当に本人だけの問題だったのだろうか。
大丈夫ではないと言った時、受け止めてもらえる関係だったのか。
弱音を吐いた人に、「みんな大変だから」と返していなかったか。
相談された時に、すぐ正論を伝えたり、自分の経験談に置き換えたりしていなかったか。
仕事が難しいと言った人を、能力や意欲の問題として見ていなかったか。
人は、「何でも相談して」と言われたから相談するのではない。
これまで相談した時に、どう扱われたかを見ている。
大丈夫ではないと言える関係は、面談の時だけにつくることはできない。
日頃の小さなやり取りの中で、この人には言っても大丈夫だと思えるかどうかが決まっていく。
「大丈夫です」の先に、もう少し関心を持つ
「大丈夫です」という言葉を、そのまま受け取ってはいけない時がある。
それは、その言葉を疑うということではない。
こちらの想像で、「本当はつらいはずだ」と決めつけることでもない。
ただ、その一言で理解を終わらせないということだ。
本当に大丈夫かもしれない。
まだ話したくないのかもしれない。
自分でも分かっていないのかもしれない。
あるいは、この人に話していいのかを見ている途中なのかもしれない。
だから、無理に本音を引き出すのではなく、少し時間を置いてまた声をかける。仕事の様子を見る。必要なら、こちらの任せ方を変える。
相手の「大丈夫です」を尊重しながら、その先にも関心を持ち続ける。
人と向き合うということは、本音を言わせることではない。
