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今年一の想定外。気づいたら、祈る日々になっていた

お祈り代行を始めて、4か月が経ちました。

え?
まだ4ヶ月しか経ってないんだ。

……変化しすぎ。
かつてのわたしはどこへやら。
はるか遠くに感じるわ〜。

思い返すたびに、
胸の奥がじんと温かくなる。

「ああ、ようやくここまで来たんだなぁ」

時折、
泣きそうになりながら、
この文章を綴っています。






まず、はじめに

どうしても、
この話をするなら、
先に出てきてしまう人がいる。
無職さんだ。


無職さんと出会っていなければ、
わたしはきっと、
今も「お祈り代行」という言葉を
自分の口から出してはいなかったと思う。


こんなふうにnoteを続けることも
たぶん、できていなかった。
(別アカで、何度も、ほんとうに、やめかけていた)


無職さんがメンシプを始める、という告知を見たとき、
「せっかくだから、新しいアカウントで入ろう」
と、ほとんど反射みたいに作った。


それが、このnoteの始まりだった。


そのメンシプの名前は『無職教』。


ちょっと怪しいと思う人もいるらしいけれど、
わたしは、そんなふうには1ミリも感じなかった。


そこに置かれていた教義(おしえ)や、
「おもろいことは起きる」って言葉に、
ただ、静かに、心を持っていかれた。


「入信します(笑)」


そう言いながら、


わたしは、知らないうちに、
新しい人生の入口に立っていたんだなぁ。

(実際、「ドンヅマリ宗教に走る。〜このたび、入信しました〜
っていう記事を一番最初に書いている)


▼当時のことを書いた記事はこちらです。


すべては、ひと言から始まった


きっかけは、ほんとうに、突然だった。

ある日、
無職教discordの自分のお部屋で、
課題に答えながら、行き詰まりをそのまま吐き出していた。

そしたら、無職さんが、
ほんの軽い感じで、こう言った。

「祈り代行」とかやれば
「あーしが勝手に神社でお前のお願いも祈っといてやるよ」というサービス

え?
一瞬、画面を見たまま、止まった。


懐かしい。
このやり取りを思い出すだけで、目頭が熱くなる。
ここがはじまりだったんだなぁ。
あの頃のわたしは、
毎日、神社に通っていて、
誰かの喜びを祈ることを、もう100日以上続けていた。
(というかそれは今もなんだけど)


無職さんのその書き込みを見て、

「それ、サービスになるんですか?!」

と返しながら、
3ミリくらい目が開いていた。


これまでのわたしは、
何かを始めるたびに、いつも、どこか重かった。

「ちゃんとしなくちゃいけない」
その言葉が、ずっと、頭の真ん中にあった。

気合を入れて、
覚悟して、
構えて、準備して。

そうやって、ようやく出したものは、
だいたい、鳴かず飛ばず。

たとえ申し込みがあっても、
「これで本当にいいのかな」って不安になって、
ひとりに提供しただけで、
もう怖くなって、やめてしまうこともあった。


……でも今なら、思う。


申し込みがひとつでもあった。って
それだけで、ほんとは、すごいことだったんだよなぁって。


実際のやり取り


なんだけど、
お祈り代行は、違った。


まったく、抵抗がなかった。


不思議なくらい、軽かった。


「え。これなら、すぐできる」

毎日やっていることの延長にしか、
感じなかった。

だから、
「できる気がする」じゃなくて、
「もう、できてる」みたいな感覚だった。

これは、
わたしの中では、
今までに一度もなかった感覚だった。

“苦手を見つめたこと”が、道を開いた


さらに面白いのが、
この提案を受け取る、ほんの少し前のこと。


友人と、
「苦手と向き合う」話をしていた。

「多くの人はさ、得意ばっかり見て、
苦手のほうを、ちゃんと見てないんだよ。
苦手って、分解してみたほうがいいよ」


そう言われて、
わたしは、
ビジネスの何が苦手なのか”を、
そのまま、書き出してみた。

ニーズがわからない。
商品設計できない。
値付けできない。
営業、苦手。
集客、苦手。
梱包、苦手。
不特定多数に興味がなくて、発信が下手。

…ほぼ全部だった。

書き出しながら、
「そりゃうまくいかないよな」って、
ひとりで、苦笑いした。

でも、これをちゃんと認識できたのは、
わたしにとって、かなり大きかった。

「苦手なことは、やらないほうがいい」

友人のその言葉が、
そのとき、すとんと、腑に落ちた。

たぶん、何もやっていなかった頃のわたしには、
これが「ほんとうに苦手なこと」なのかどうかも、
分からなかったと思う。


これまで自分なりに、あれこれ手を出して、
うまくいかなかったからこそ、
ここに、たどり着けた気がしている。


だから、無職さんに
「商品設計が苦手なんです。(どうしたらいいか分からない)」
と素直に言えた。


そしたらその場で、

「お祈り代行やります!あなたの代わりに神社に行くたびにお祈りしてきます。1ヶ月で10回くらい祈ります!3ヶ月間でサービス料金はなんと1000円です!どうですか?」ってポストすればいいと思います。

って、
そのまま使える文面を、作ってくれた。

つづけて、
「最初は軽くていいんですよ」とも教えてくれた。

やり取りしながら、
「へぇ……そんなので、いいんだ。」って、
ぽつっと、つぶやいていた。


たぶん、
昔のわたしだったら、
ここで、こう思っていたと思う。

「3ヶ月で1000円なんて、意味あるの?
それで、暮らしていけるわけないじゃん」って。


でも、無職教に入ったときにはもう、
「これまでと同じやり方では、うまくいかない」と
骨身に染みていた。

だから、
言われた通り、
そのまま、やってみようと思えた。

その結果、
このやり取りを見ていた方が、
すぐに、申し込んでくれた。

ちゃんと形になる前に、
お祈り代行は、もう、始まっていた。

「お祈り文を作って、それを、音声でも渡そう」


そこは、
すんなりと、決まった。

声を褒めてもらうことが多かったから、
読み上げたら、
喜んでもらえるかもしれないな、って、
ただ、思った。

実際にお渡したら、
「5億円、渡したい」とまで言われて、
本気で、目が丸くなった。

でも、
うれしかった。


そのままの勢いで、
内容をちゃんと決める前に、
とりあえず、Xにポストした。

そしたら、
これまた、すぐに、申し込みが入った。

そこから、
改めて、内容を整えて、
noteに「お祈り代行のご案内」を作った。


自分でも、
え?って思うくらいの、スタートだった。

今振り返って、他人事みたいに見てみると、
あのときは、
ほんとうに、流れが来てたんだなって、分かる。
ずっと、欲しかったやつだ。


……ただ。

のちに、分かるんだけど、
当時は、申し込み窓口をDMにしていて、
しかもそのDMが、
「フォローしている人からしか受け取れない設定」
になっていた。

ああ、ポンコツ 笑

noteにコメントをくれた方のおかげで、
それに氣づいて、設定を変更した。

あのままだったら、一生DM来なかった。

私のお祈りは、いわゆる“神社のお祈り”とは違う


無職さんが言った「お祈り」は、たぶん
「大学受験合格しますように」
みたいな、
神社でのお願いごとに近いものだったと思う。

でも、
私にとっての「お祈り」は、
はじめから、
もう少し、別のところにあった。

祈ると、
心の奥が、ふっと、ほどける。

生きることそのものが、
少しだけ、楽になる。

そんな体験を、
わたしは、これまでに、
何度もしてきた。

その静けさに触れるたびに、
世界の見え方が、
すこし、変わってしまう感じも、
もう、よく知っていた。

だから、
お申し込みのときにもらう言葉を、
そのまま、そっくり祈る、
ということとは、
当たり前に違っていた。

その人の発信を読んで、
その人の背景に流れているものを感じて、
うまく言葉になっていないところに、
そっと、耳を澄ませて、

お祈りの言葉に、
整えていく。

それが、
今のわたしの「お祈り」。

自分の意識を変えていく力になるお祈り


アサコさんは半分ギャグのように申し込んでくれた。

自分でも神棚に祈る人なのに、
「お祈り代行なんて、必要あるのかな?」

そう思っていたのは、
わたしのほうだった。

それでも、わたしは、いつも通り、
真剣に、お祈り文を作った。

すると、
アサコさんが、そのお祈りのことを、
noteに書いてくれた。

無意識の意識を手放そうと素直に思えた。
3日おきにポンマリさんが祈ってくれている。
わたしも3日おきに素直に自分を見つめ直す。
この繰り返しは
結構なマインド変化をもたらしてくれるだろうなと思っている。
自分の意識を、【お祈り代行ポンマリさん】の力を少し借りて
変えていく試み。

アサコさんの記事より


この記事を読んだとき、
思わず、「おお…」って、声が出た。


うれしくて、胸のあたりが、
ぽんっと、持ち上がった。

「伝わってる」

胸の奥にじんわり、あたたかいものが灯った。


料金変更と最初のリニューアル


アサコさんが、「安すぎる!」と、
かなり熱烈に言ってくれた。

そのおかげで、始めて1ヶ月で、料金を
「3ヶ月1000円 → 1ヶ月1000円」
に変更することになった。

実は、わたし自身も、
「3ヶ月って、ちょっと長いな」と、
どこかで感じていた。

期間も、金額も、すこし、すっきりして、
自分の中でも、しっくり来る感じがあった。

変更前に、駆け込みで申し込みが入って、
そのあと、ぱたりと、静かになった。

でも不思議とそこに対しての不安は、なかったんですよね。

ただ、申し込みが落ち着くと、「3日に1回お祈りするだけ」になって、
どこか物足りなさを感じ始めた。

理由は、
すぐに、わかった。


わたしは、一方通行で、祈るだけじゃ、
どうも、足りなかった。


その人の変化や、
内側の揺れを、
一緒に、歩きたかった。


そこから、リニューアルの流れが動きはじめた。


無職教のラウンジが盛り上がって、
そこでわいわい話しながら、
新しいプランの形が少しずつ見えてきた。


それが「エリートプラン」と「マスタープラン」だった。
(※現在は、ご案内を終了しております。)


マスタープランは最初「スペシャルプラン」という名前だった。
でも、リリースしてすぐに、
ふっと、インスピレーションがきて
「希望があれば、お祈りマスターになるサポートもします」
という形に、変わった。


その流れの中で、
ひとつだけ、
自然と、決まっていったことがあった。


わたしは
「結果を提供する人」には、ならない

あくまで
伴走する人

……というのも

「ポンマリになりましょう」


ある日突然、無職さんが有料記事の中で
わたしの名前を出してくれた。


「実績のない人は、どうしたらいい?」
という話の流れで、
いきなり、
「ポンマリになりましょう」と
書かれていて、

画面を見たまま、
思わず、吹き出した。

そこには、
「なぜ、ポンマリのお祈り代行が、サービスとして成り立っているのか」
ということが、
無職さんなりの言葉で、書かれていた。
(わたし本人は、まったくわかっていないでやっていた)

でも、あの記事が、
わたしの新しいプランの向きを、そっと、照らしてくれたんだよね。

▼その記事はこちら


▼リニューアルを重ねた最新のご案内はこちら


お札づくりで知った“形にする喜び”


わりと、始めてすぐのころだった。

「ポンマリさんに、お札を作ってほしいんです」

そんなふうに、まっすぐに言われた。

あったらいい、じゃなくて、
そばに置いて、毎日の中で、祈りを感じていたい
そんな温度のこもった頼まれ方だった。

モノにあまり興味がないわたしは、
そのとき、正直、
その気持ちが、まだよく分かっていなかった。

「お祈りを、形にする」という感覚が、
その時点のわたしには、
まだ、しっくり来ていなかった。

実は、同じ頃、

「カードにしたらいいんじゃない?」

という声も、もらっていた。

……けれど、そのときは、
それが何を意味しているのか、
やっぱり、よく分からなかった。
というか、
形にすることへの重さのほうが、先にきていた。

“祈りを、手に取れる形にする”
という発想そのものが、
その頃のわたしには、
まだ、どこか遠かったんだよね。

そんなある日、
用があって、
イオンの文房具売り場に行ったとき、
短冊が、目に入った。

「あるじゃーん」

ぽろっと、声がもれた。

短冊にどう描こうか、と考えたとき、
かつてやっていたパステルアートのことを、
ふと思い出した。

久しぶりに、下絵を描いてみた。

……けれど。

忘れてる。

いまいち、手が動かなかった。
描いていて、ぜんぜん楽しくなくて、
そんな自分に、少しだけ、がっかりした。

それでも、そのままを、
無職教のラウンジで、見せてみた。

そしたら、

「ほしい!!」

と、勢いよく言われた。

え? って、なった。

その場にいた人たちが、
そのまま、モニターになってくれた。

すると不思議なことに、
少しずつ、感覚が戻ってきて、
軽やかに描けるようになった。


ただ、筆で文字を書くのは壊滅的に下手で。

時間だけが、静かに溶けていったから、
文字は、パステルで入れることにした。


全部、仕上げてみたら、
思っていたより、ずっと、満足感があった。


「形にするのも、悪くないな」
はじめて、そんなふうに思った。


伏線回収みたいに、
しばらくお休みしていたパステルアートが、
ここで、ふいに、息を吹き返したことも、
なんだか、とても、うれしかった。



▼お札は『メッセージ短冊』としてご案内しています。
(※こちらは、ご案内を終了しております)


公式LINEに変えた、不思議なシンクロ


あるとき、無職教の仲間が、ぽつりと
「受付、公式LINEにしようかな」と、つぶやいていた。

それを見て、
「あ、いっしょだ」
って、思った。

ちょうど、わたしも、そうしようかな、と、
ぼんやり考えていたところだった。

……のに。

そのまま、
すっかり、忘れてしまった。

そしたら、その日の夕方、
お祈り代行の利用者さんから、

「お祈り代行のこと、noteで紹介したいのですが、
受付は、XのDMで大丈夫ですか?」

と、メッセージが届いた。

その瞬間、
ぱちん、と、スイッチが入った。

「あ。そうだった」

変える時が来たな、って、
すぐに分かった。


そのまま、
公式LINEに、切り替えた。

しかも、
公式LINEそのものは、
昔、別の目的で作っていたものがあったから、
名前を変えるだけで、すぐに使えた。

STORESのショップも、同じだった。
前に作ったまま、放置していたものが、
ここにきて、すっと、動き出した。

あちこちに散らばっていた点が、
あとから、静かにつながっていく感じがした。

「わたし、何もやっていなかったわけじゃなかったんだな」

ぽつりと、そんな気持ちが、浮かんできた。

あらゆることが、流れに乗るように、整っていった。

世界が、すこしだけ、
背中を押してくれているような気がして、
それが、うれしかった。


“目の前のこと”を材料に進んできた


こうして振り返ってみると、
無職教に入ってからのわたしは、ずっと、
目の前に来たことを、そのまま手に取ってきた、というよりも、
しっくりくるまで、微調整しつづけて
「これなら大丈夫」と思える形にしてきた気がする。

勢いだけで進めたわけでもなく、
流されてきたわけでもなくて、
その都度、
自分の感覚に、何度も照らしながら、
やってきた。

頭だけで決めてみて、失敗したことも散々あったし、
逆に、直感だけを信じすぎて、空回りしたことも、正直、あった。


そんなふうに、静かに積み重ねていたら、
無職さんが、Xでも、noteでも、紹介してくれた。


本人は、自分のことを
「やさしくない」と言うけれど、
やってることをみたら、やさしいんだよね。
無職教メンバーのお部屋も全部見てくれているし、
必要なタイミングでポッと、コメントしてくれる。
ほんとうに、ありがたい。
ありがとうございます。
(と言うと、だいたいお金を請求される。笑)


そして今、わたしが感じていること


途中、一度だけ、飽きそうになった。

でも、リニューアルしたり、
お札やカードみたいな“かたち”のあるものを作ったり、
その都度、引き戻されるようにして、
ここまで来た。

noteで紹介してくれる人がいたり、
音声で紹介してくれる人がいたり、
「安すぎる」「これはちゃんと価値がある」と言って、
言葉だけじゃなく、追加でチップまでくれた人もいて。


シンプルプランを、静かに続けてくれる人がいて、
エリートプランや、マスタープランの申し込みもあって、
違和感が出てきたら、ブラッシュアップして、
また、新しい形が生まれていく。


こんなふうに、
めぐっている実感を、ずっと、欲しがっていたんだと思う。

いまのわたしは、
自分のやっていることに、ちゃんと、誇りを持てている。

「何してる人ですか?」って聞かれたら、
胸を張って、「お祈りしてます」って、言える。


これは、
これまで、なかなか、味わえなかった感覚。

わたしにとって、
お祈り代行は、
生きる歓びと、地続きの仕事なんだと思う。

“誰かの人生のシフトの瞬間”に立ち会う歓び

これが、お祈り代行の中で
自然に起きていることが、
ほんとうに、うれしい。

やりたいことはあるのに、
怖くて進めなかった時間。

どうやって形にすればいいのか
わからなかった日々。

それを、いちど、そっと手放したあと、
お祈り代行は、
何の前触れもなく、やってきた。


いま、わたしは、誰かの人生が、
ほんの少し、ひらく瞬間に、
立ち会わせてもらっている。

それは、音もなく、派手でもない。
でも、たしかに、あたたかい。


祈るとき、わたしはいつも、
何かを「変えよう」とはしていない。

ただ、その人がほんとうに
心から望む方へ、
流れていく、そのときを
いっしょに感じていたい。


ここまで読んでくださって
ありがとうございました。



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