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なんやかんや読み読み日記 20260804


〓ここ三ヶ月は暇さえあればSlay the spire2をやっていた。
中毒性が高すぎて人生が終わると言う前作も、最高難易度であるA20Hクリアまではやっていて、2でもしっかり生活が破綻させられかけてしまった。
〓戦闘やイベント、商人などのマスを進めながらランダムに提示される攻撃防御サポートのカードを選択してデッキを強くしていくローグライクゲーム。クリアするたびに難易度が上がって1から始めることになる。
〓私、スレスパ以外のゲームは麻雀しかしないんですが、「ゲームを構成する要素がランダム生成であること」「何度繰り返してもゲームシステム上のインセンティブはなく、プレイヤースキルが向上するだけ」の二点において、かなり麻雀に近い。不完全情報ゲームは大体そうか。
〓基本1人プレイなので、4人プレイである麻雀の4倍ドーパミンがでます。
〓 最高難易度であるA10を全キャラでクリアして、一旦現時点で残っているタスクはマルチプレイとトロフィー集めくらいになったのでようやく解放された心持ち。
〓と思ってから、気づいたらその3倍近くの時間を費やしていた。怖すぎる。ショート動画の無限スクロールと違って「試行錯誤の末に結果が出る」と言うところもヤバい。
〓マジでひたすらやっていたので流石にそろそろ距離を置こう、ということでライブラリから削除して二ヶ月経った。空いた時間で何を為すということもなく、脳は別のジャンクな報酬を食っているだけなのだった。

〓ドパガキみたいな言葉が流行って、自称ドーパミン中毒めっちゃ増えたやろうな。
〓対義語としてのセロトニンおじさんがTobe像としてもてはやされているが(これを10年代に予期していたウェルベックは流石に凄い)、ほんまにそうか?と思わんでもない。
〓ショート動画だのスマホアプリだのにハマって新興宗教脱会しました、みたいな人がいても別にいいわけで。ジャンクなドーパミンを絶てば良き生が待ち受けている、みたいな物語には警戒している。
〓警戒しながらスクリーンタイムを毎日チェックしている。

〓今敏の『パプリカ』を観た。
〓今年1月の公開20周年記念上映を観に行った。いつの話してんだ。
〓大好きな映画なので劇場で観れたのは嬉しかったですね。4Kだし。
〓パプリカが二次元のキャラクターで一番好きかもしれない。パプリカこと千葉敦子は、普段真面目な研究員なのに夢の世界では奔放なパプリカという女性として振る舞う、その振る舞いに屈託がないところがいい。変身願望とも違う、夢の世界では「そう」だという仕組みとして受け入れているように見えて、そこが魅力的に感じる。
〓この二面性は夢と現実、無意識と意識の関係性とパラレルで、矛盾を解消しなくていい構造で描かれている。幻惑的な作中描写もそうだけど、一義的な見えている世界からの脱出口があって、それが良いものかどうかはさておき、とにかくオルタナティブがあるということ。
〓声が林原めぐみなので無条件に心の高評価ボタンが押されているという説もある。
〓ストーリー、特に終盤は相変わらずよくわからん。解釈の余地は(下地に引かれているであろう精神分析のように)多様にできると思うが、終盤で子どものパプリカが夢を吸い込むシーン。子どもは夢を現実とを言語ではなく身体的な、未分化なものとして受容しているから、大人の持っている言語的な野心みたいなものを無限に取り入れることができるんよな〜、などと胡乱なことを考えながら観ていた。

〓公開時にやってたパルコのコラボCMもいいですね。今敏×消費社会でもう萎えてしまった社会への幻想がふっと蘇るような...。

〓ダニエル・チョンの『私がビーバーになる時』を観た。
〓ビーバー、好きなんですよね。劇場はそれなりに埋まっていたが、来ていた観客の中で、YouTubeでビーバーの動画の鑑賞時間が長いのは多分私である。ディズニーピクサーが好きとかではなく、ビーバー映画として観に行った。
〓周囲に馴染めない直情型の主人公が、祖母との対話の中で自然の中に居場所を見つける。自然や自分との対話の場所であるその池が道路を通すために破壊されることになり、ビーバーになれるスーパー機械(ビーバーになれるスーパー機械???)を使ってビーバーになって(ビーバーになって???)なんとか阻止するぜ!というストーリー。
〓要は『平成たぬき合戦ぽんぽこ』なんですよね。ただ環境問題は難しいぞ...。
〓ぽんぽこが、自然側が敗北を受け入れて諦めていく物語だったのに対し、主人公のメイベルは人間としての感情で動物たちに肩入れする。子供向けとはいえ安易な手つきで取り扱えないよなぁ...と思いながら観た。
〓自然破壊/開発、どちらの語彙を使おうが人間の営みのグロさを誤魔化すのはかなり難しくて、どう転んでも生殺与奪の権を握ってるのは人間(の中でもグラデーションがあり、そこに闘争が描かれるが)であることが明らかになる。勝ち負けの判定を受けられるのは最初から最後まで人間でしかないので、落とし所をどう探るかという結論にしかならないテーマだと、道中の動物たちのドラマが空転しかねないというか。
〓ビーバーになるのが、動物たちと話す装置にしかなってないのもなぁ...。どうせ嘘なんだからトマス・ネーゲル的な「ビーバーであるとはどのようなことか」というビーバーの生感覚みたいなものが描ければグッと前のめりで観られたかもしれない(そんなん描けるのか?)。
〓虫の王の怨みはかなり良かった。擬人化されても虫は共感のネットワークから疎外されている。
〓『ヘテロゲニア・リンギスティコ〜異種族言語学入門』でも言語の通じる仲間の線引きの話があったけど、言語の前の身体性としての内面的な差別の問題に寄れるテーマかもしれない。

〓岡本裕一朗の『ポスト・ヒューマニズムテクノロジー時代の哲学入門』を読んだ。
〓相関主義批判、体感としてようわからんので改めてライトな入門書から。近代文明にこびりついた人間中心主義からの脱却を目指す思想としての思弁的実在論、その源流としての加速主義、現代における人間主義を擁護するものとしての新実在論のざっくりとした見取り図がまとまっている。
〓世界の主権者が神から人間に降ろされて以降の思想は、当然人間を中心に周っていて、それってもはやいけてないよね、というのはわかる。カント以降の相関主義に基づいた人間中心主義的な実在論は、人間の仕組みが科学的に解明されることで相対化されているし、言語を弄するより脳を解明する方が射程が広い。
〓AIの発展にしても労働倫理の陳腐化にしても、外在的なテクノロジーが人間の主権剥奪に寄与している。
〓その道中に起こるであろう自然主義的な人間の脳の解明の果てには虚無が待つとしか思えないが、やり方によっては繁栄もあるかもしれず、そのために思想のインフラ整備していきましょう、が思弁的実在論の一側面のように読めた。
〓人間の絶滅よりも今「人間」的とされてるものの絶滅を考えてしまうな。脳を科学的に解明しようとする自然主義は一定の成果を出すだろうし、その一環で「ヒューマニズム」の仕組みも暴かれるのかもしれない。私が涙を流す仕組みがわかった時、全部馬鹿馬鹿しくなるのか、それでも泣いてしまうのか。
〓俺は後者であってしまうけど、これが前提化した次の世代はどうかな。
〓それってもう、ポストヒューマンじゃね?
〓ポストヒューマンという言葉自体がここに楔を打っている。
〓イーガンの書く、合理化された人類を想像できてしまう。そしてそれが人間の一つの在り方であると思ってしまう。
〓実存を賭けてベットするなら、俺はブラシエに賭けるぜ。

〓中島岳志の『縄文革命とナショナリズム』を読んだ。
〓戦後まで不可視化されていた縄文の取り扱いをめぐる思想史。岡本太郎、柳宗悦による芸術分野での縄文受容に始まり、島尾敏雄、吉本隆明の南島論と天皇以前の日本との接続、太田竜の革命思想から縄文スピリチュアリズムの転向、新京都学派からの梅原猛によるナショナリズムへの転用、その果てにある参政党の古来日本文化の疑似科学的な称揚に至るまでの歴史がまとめられている。
〓芸術作品にしても社会構造にしても自然を含めた他者との関係性にしても、現代にないプリミティブさへの憧憬がとにかくあって、具体性が希薄なまま欲望されているように読めた。縄文式土器の美しさとか吉本の「共同幻想論」とか新京都学派とか、バックボーンはあるけど、どれもスタートホールドだけで次の一手は宙吊りで想像力のゆくままに開放されているような。
〓国家と人格のアナロジーを用いるなら、幼少期の人格発達に現在の救いを求める心性と根っこは同じに見えてしまうな。学術的に連続して参照できるのは弥生まででそれ以前は、鏡像段階以前のような国家として自省されることのない国家があってそこに現代を救うアイデアがある、という物語は魅力的ではあるけど、まあそれもファンタジーじゃない?っていう。
〓道中参照される照葉樹林文化論も構造主義的な思想だし、「日本」が「どうである」かが分かっても、「どうするか」というソリューションに転用できるかはかなり限定的だろう。
〓オーガニックスピ右翼の、身体性に基づいた欲望の源泉が知れるという意味では面白い本だった。

〓矢野アロウの『マイボディ・オン・ザ・ムーン』を読んだ。
〓『プロジェクト・ヘイル・メアリー』『三体』に比肩する面白さの日本SFというツイートを友達に教えてもらって、期待しながら読んだ。
〓読む前にこのコピーを読んだ俺「これマジ!?」
〓読み終わってこのコピーを読んだ俺「これマジ!?」
〓上巻読み終わって「下巻で全てを覆すことが起きるんだろうなぁ!」と思いながら下巻読んだらぬるっと終わってしまった。
〓まあそもそも『プロジェクト・ヘイル・メアリー』と『三体』を並べている時点で信用ならない。『三体』と面白さで肩を並べられるのは『ゲーム・オブ・スローンズ』とか『ニンジャスレイヤー』とか『ディスコ探偵水曜日』とか『進撃の巨人』とか『シグルイ』とかからですよ。
〓全然駄作ではないと思う。ハンディキャップを抱えた女の子がVtuberになって、幻肢を自由に動かせるようになる身体性拡張のアイデアとか、ニューロンの発火ではなくアストロサイトこそが意識の座だという観点とかはセンスオブワンダーを感じた。ただ傑作の持つ、期待の予感からの脱臼はなかった。
〓佳作でも期待値が高すぎるとこういう読み味になるんだなあというのは勉強になりました。
〓まあリーダビリティは高いし、SFの裾野を拡げるにはこういうプロモーションもありなのかもね。
〓と冷静に思う自分がいる一方で、普通にブチ切れている自分もいる。

〓エルヴェ ル テリエの『異常【アノマリー】』を読んだ。
〓パリ発ニューヨーク着のエールフランス機に乗り合わせた人々を襲ったある事象を巡る群像劇。
〓文庫版の刊行から一年以上経っているので遠慮なくネタバレするけど、嵐に見舞われるも無事着陸した機体と全く同一の機体が三ヶ月後に現れ、そこには三ヶ月前の同じ人々が搭乗している...というストーリー。
〓三ヶ月分の人生の差分のある自分と出会った時どうなるのか?という問いが、趣味で殺し屋してるだの、破局を迎えつつある恋愛だの、三ヶ月の間に自殺して著作が死の直後評価されただのの設定の上に置かれていく。
〓それぞれさらりと描かれるけど、ドッペルゲンガーを置くことで問題の別の系が生まれる設定があって、思考実験の問題集として面白い。
〓群像劇的(ところで「キャラクター同士が絡まないから群像劇じゃない」ってレビューがいくつかあったけど、絡まなくても普通に群像劇だろ)に描かれるそれらよりも、乗客のケアのために心理学チームが組成されたり、各宗教の幹部を集めてメッセージング検討したりという政府の対応や、ふたりでテレビ出演した乗客が過激な福音派に銃撃されるという展開の部分の方が好きだったな。
〓科学者を集めて事象を分析させた結果、この世界がシミュレーションであるという結論に至る描写も、あからさまな「異常」が起きた時世界はどう反応するのか、という思考実験のようで、ソフトSFに求めるものがしっかり詰まってる感じ。米大統領も名前は出てこないけどしっかりあの人だし。
〓現代(に近い)社会を舞台にSF書くなら、社会がどう変容するかは厳密に描かれないとリアリティがすっ飛んでしまう。おい、矢野アロウ、聞いてんのか。

〓7LIQUIDの『なにも理解らない』を読んだ。
〓ふと目が覚めたら見知らぬ場所にいて、自分が何者かもわからないし周囲が何を喋っているのかもわからない、というエッジの効いた転生(?)もの。
〓既刊二巻までではマジで何もわかっていない。言語の解明もほとんど進んでないし、主人公の身体能力が凄まじく高いことと地理的な条件くらいしかわからない。わかる展開が来そうな予感もない。
〓なのにけっこう面白い、というのは凄いことではないか?
〓転生もののお約束として、最初に神が現れて能力授けるみたいなくだりあるけど、「これから生きる世界には神がいる」と知らされて生きるの、かなり虚無いと思う。ゲーム的想像力の域を出ないし、それが現実だということはかなり虚しいことなのでは?
〓『何も理解らない』はそれとは真逆の方向性を指向しているようにも思える。マジでわからないというのは、世界の強度を保証してくれる。死後の世界の空想リソースとしては面白いかもしれない。私のまま、出来上がった完全に知らない世界が与えられる。
〓主人公は記憶をなくしていて、そのせいで思考とかも普通ではなくなっている、という描写があるのでちょっと違うけど。私である保証がないということは転生だという保証もないので、「ここはゲーム内世界なのでは?」という疑義が発生していてそこも面白い。
〓作中で描写はされていないけど、その先にあるのは「私はプログラムされたキャラクターなのでは?」という実存的問いで、転生チートの逆側から世界認識の果てまで飛べる。
〓言語とか設定とかはかなり作り込んでるらしいので、文化とかがどう描かれるのか楽しみ。ただし後書きに「面倒なので酒、タバコ、麻薬の類は描かない」と明示されていて、かなりガッカリ...。知らない世界の知らない習俗が見てぇのよ。
〓言語学ガチ勢の考察とかもあるようだけど、その辺りはあんまり興味ないかな。わかんないまま読みたいので。

〓最近ショート動画見てる時間が明らかに増えた。
〓本を読むにしても映画を観るにしても自分が「何を考えているか」を常に監査しているが、ショート動画を観ている時、ショートのマークをタップする時は「何も考えたくない」という欲望が確かに生じている。
〓その契機には怠惰や無気力、ドーパミン中毒として還元できてしまう症状があるのかもしれないが、さらにその底には「知りたい」が潜んでいる。
〓つまらないお笑いも海外の反応も美味しそうな炒飯の作り方も自分がそれを見た時何を考えるのかも、「知りたい」の駆動を止めることはできない。
〓知って、こうして文章に整理したとて、なんの効能があるわけでもない。ただ知ること自体にドーパミンが出ている。
〓領土があればそれを押し拡げることは必ず欲求としてついて回る。たとえ意味がなくても少しでも遠くに行きたい、という機序を見つめて、その奥にあるショート動画を今日も見る。

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