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AIに仕事を奪われる不安より、AIを使う罪悪感のほうが厄介だった話

お疲れ様です、ぽんずです。

先日、上司との打ち合わせでちょっと面白いことがありました。企画スライドの内容について話していた時、上司が照れ隠しっぽくこう言ったんです。「実はあれ、AIで作ったんだよね」と。

その言い方が、なんだか「ずるしちゃいました」みたいな空気だったんです。今日は、その一言からワイが考えたことを書いてみます。


打ち合わせの資料、実は全員AIで作っていた

ワイはその場で「あの打ち合わせ、全員AI使ってますよ」と返しました。上司は「え?そうなの?なんでわかったの!」と驚いていました。

なぜ、わかったのか?理由はシンプルで、AIの出力には特徴があるからです。

以前、ワイ自身もAIに資料を作らせた時に、似たような出力が出てきたことがあります。不要な補足説明が多かったり、今のテーマに合っていない内容が混ざっていたり。ワイはそういう部分を削って自分の資料に仕上げたんですが、他のメンバーの資料にはそれがそのまま残っていました。

AIの出力を「自分の資料」にするために何が必要かは、以前こちらの記事で書いています。

つまり、AIを使ったかどうかは、出力の特徴を知っている人から見ればわかるんです。使ったこと自体が問題なのではなく、出力をどこまで自分の手で仕上げたかに差が出ていた、という話です。

ただ、今回ワイが気になったのは資料の質じゃありません。上司が「AIで作った」と言った時の、あの申し訳なさそうな顔のほうです。

AIを仕事で使う罪悪感の正体は「ずるい」だった

上司はAIで作ったことを打ち明けた時、「時間がなくてさ」とも言っていました。最初は言い訳かなと思ったんですが、よく考えるとちょっと違う気がしたんです。

あれはたぶん、弁明だったんだと思います。「本当は自分で作るべきだったけど、時間がなかったから仕方なくAIに頼った」という後ろめたさ。つまり、AIを使うこと自体を「ずるい」と感じていたんじゃないかと。

この感覚、上司だけのものじゃないと思います。「AIに手伝ってもらったなんて言ったら、手抜きだと思われるんじゃないか」。そう感じている人は、たぶん社内にもっといるはずです。

ワイはその場で伝えました。「AI使うのは当たり前ですよ。丸投げするのか、要所要所で使うのか、確認するかしないかの差だけです。AIを使ったほうがヌケモレもなくなるし、知らなかったことも出てくるから、絶対にプラスですよ」と。

上司は「ああ、そうなんだ」と、少し安心したような顔をしていました。でもワイは思ったんです。この「ずるい」という感覚が残っているうちは、AIを本当の意味では使いこなせないんじゃないかと。

AIに仕事を奪われる不安より、使わないほうがもったいない理由

ワイ自身は、AIを使うことに罪悪感が一切ありません。胸を張って言えます。

なぜかというと、AIを使う目的が「楽をしたい」じゃなくて「より良いアウトプットを出したい」だからです。

たとえば、くろ(AI)と一緒にnoteの記事を書く時。ワイはまず自分の体験や考えを言葉にして、くろに投げます。くろが返してきた文章をそのまま使うことはありません。「ここはもっとこう」「この表現は違う」とやり取りを重ねて、自分が納得できるものに仕上げていく。

仕事の資料も同じです。AIに構成を出してもらって、そこから自分の頭で取捨選択する。いらない部分を削って、足りない部分を足す。その過程で、自分の考えが整理されていく感覚があります。

つまり、AIを使うことで自分自身が成長している実感があるんです。考える量はむしろ増えている。だから「ずるい」なんて思う余地がない。

上司のように「時間がなくて使った」という入り口でも全然いいと思います。大事なのは、使い続けるうちに「AIがあるから手抜きできる」ではなく「AIがあるからもっと良くできる」に変わっていくかどうか。その転換が起きた時、罪悪感は自然と消えるんじゃないかと思っています。

AIで仕事が変わる準備は整った。足りないのは「人の気持ち」だった

最近、「AI Ready」という言葉をよく聞くようになりました。もともとはデータ活用の文脈で使われる言葉で、AIを導入・活用できる状態が整っていることを指します。データが整備されている、システムが連携できる、といったインフラ面の準備が整った状態のことです。

多くの企業で、このデータやツール面の準備は着々と進んでいると思います。ワイの会社でも、AIを使える環境自体はすでに整っています。上司も含めて、使おうと思えば誰でも使える状態です。

でも、今回の出来事で感じたのは、ツール環境が整っても「使う側の人間」がAI Readyになっていなければ意味がないということです。

「AIを使ったら手抜きだと思われるんじゃないか」「自分で作らないとダメなんじゃないか」。こういう気持ちがある限り、どれだけ便利なツールが揃っても、使い方は中途半端なままです。こっそり使って、言い出せなくて、申し訳なさそうに打ち明ける。それはReadyな状態とは言えないと思います。

以前、ワイは「AIに作ってもらおう」と「AIと一緒に作ろう」の温度差について書きました。

あの記事では「使い方の文化を育てられていなかった」という反省を書きましたが、今回気づいたのは、文化の手前にもう一つハードルがあるということです。そもそも「使っていいんだ」と思えていない人が、まだたくさんいる。

データのAI Readyだけじゃなく、人のAI Ready。ワイはこれが、今の職場で一番足りていないものだと感じています。

「AIを使っていいんだよ」が、不安を消す第一歩

もしみなさんの周りに、AIを使うことに後ろめたさを感じている人がいたら、最初に伝えてほしいことがあります。

「AIを使うのは、ずるくないよ」と。

使い方のコツとか、プロンプトの書き方とか、そういうのは後でいいんです。まずは「使っていいんだ」と思えること。それが、人のAI Readyの第一歩だと思います。

ワイも最初からうまく使えていたわけじゃありません。でも、少なくとも「使うこと自体は悪いことじゃない」という前提があったから、試行錯誤を続けられました。

逆に、その後ろめたさを抱えたまま使っていると、こっそり使って、出力をそのまま出して、バレないように祈る、みたいな使い方になってしまう。それは誰にとってもプラスにならないと思います。

みなさんの職場ではどうでしょうか。「AIで作りました」と堂々と言える空気はありますか?もしまだなら、まずはその空気を作ることから始めてみてもいいかもしれません。

「AIに仕事を奪われる不安」のまとめ

上司の照れ隠しっぽい一言から、AIを使うことへの罪悪感について考えてみました。

ツールや環境が整っても、使う側の心理的なハードルが残っていたら、AIは本来の力を発揮できません。データだけでなく、人もAI Readyになる必要がある時代に入っていると思います。

まずは「使っていいんだよ」から。その一言が、誰かの第一歩になるかもしれません。

それでは、お先に失礼します。

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