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性的欲求の有無=できる・できないではない┃LGBTQ+の友人たちの話⑵

あなたの心に暁を。
こんばんは。あかつきぽんです。

今日は、LGBTQ+の友人たちのお話②を書こうと思います!

①はこちら。


「アセクシャルって、性的なことに嫌悪感がある人でしょ?」

そう思ってた時期が、私にもあった。
でも、実際に友人と話してみて、そうとも限らないんだなと気づいた。

その友人は、自分のことを「”多分”アセクシャルだと思う」って言っていた。
言い切れるほどの自信があるわけじゃなくて、あくまで“多分”。

話を聞いてびっくりしたのは、こんなことを言ってたとき。

「求められたら、エッチはできるよ。
でも、自分からしたいと思ったことは一度もない。
身体を使いたいなら、別に貸してあげるよって感じ。」

それを聞いたとき、「……えっ?」って思った。
それはアセクシャルと言うのだろうか…?という、私の中での疑問。

アセクシャル=性的欲求ゼロで、性的なことに嫌悪感がある人。
そういうイメージって、たぶん私だけじゃなくて、結構多いと思う。
でも、その子は嫌悪感まではないらしくて、「まあ、相手がしたいなら別に」っていうスタンスだった。

それってアセクシャルなの?って思う人もいるかもしれないけど、
「自分から欲求がわかない」っていう点では、たしかにそうなんだと思う。
本人も、はっきりとは言いきれないって言ってたけどね。


自分自身のセクシャリティを分析してみた

私自身はデミセクシャルを自認している。

かなりの時間をかけて、互いのありのままの状態を理解しあえる、信頼関係と安心感がないと基本的に性的欲求がわかないタイプ。
デミロマンティックでもあるので、ここは基本的に同じ感じかな。

人を好きになるのに超絶時間かかる。
そしてさらに、好きになってから性的欲求を抱くのも超絶時間かかるし激レア。
ワンナイトも浮気も生理的に絶対無理。
鳥肌立っちゃう。

性的欲求自体はゼロじゃないけど、パートナーに対して「あ、今そういう気持ちなのかも?」って思うのも本当に珍しい。
これについては、私もアセクシャルに近いほうなのかもしれない。

でも、”信頼関係さえあれば”という点でデミセクシャルなんだろうね。


”グラデーション”ではなく”カラーチャート”

セクシュアリティってよく“グラデーション”って言われるけど、
私は“カラーチャート”に近いんじゃないかなって思ってる。

白から黒に向かう濃淡だけじゃなくて、
赤・青・黄色・緑……って、全然違う方向に枝分かれしてる。

同じ「青」でも、空の青と海の青って違うように
恋愛感情や性的欲求を抱く方向性も、抱き方も、抱く度合いも全然違う。

同じ「アセクシャル」でも、性交渉ができる人もできない人もいる。
でも、『他者に対して性的欲求を抱かない』という特徴は一致する。
だから、くくり的にはアセクシャルで間違いないんだと思う。

セクシャリティって、人それぞれの「自分らしさ」「自分だけの色」がある。

なのに現実は、「アセクシャルなら性的スキンシップができないんでしょ?」とか、
「デミセクシャルなら一回信頼できれば普通にできるんでしょ?」とか、
そんなふうに“わかりやすさ”に押し込められちゃう。

でも本当は、「そうとは限らないよ」って話なんだよね。
同じ恋愛でも、18歳の恋愛と、30歳の恋愛は違う。
同じ18歳でも、人によってタイプも進み方も関係性も違う。

これは、LGBTQ+という枠、くくりがあることのデメリットでもあるんだろうな。
名前があることにより、調べやすくもなるし、自分の考えを理解してもらいやすくなるから、総合的にメリットを感じているけどね。


恋愛はすり合わせが重要


恋愛関係において性のズレがあるのって、どっちが悪いわけでもないと思う。
その友人は、レズビアンかつアセクシャルで、お付き合いまで発展するパートナーを見つける難易度も高いのに、そのうえで性生活の不一致でお付き合いを継続する難易度も高かった。

相手からしたら、求められないのは寂しいと思う。
でも、友人は「欲求がない」のが普通だから、責められる筋合いもない。

そう思うと、
「スキンシップは好きだけど、エッチはなくてもいいよ」
みたいなパートナーだったら、きっとうまくいくのかもしれない。

友人同士なので、本気の冗談として
私がレズビアンだったら早かったかもね!なんて話をするけど
どう足掻いても私は異性愛者なのである。(笑)
デミでも友人は大切な友人だよ。そこに恋愛感情は抱けません。


相性って大事

性に限らず、人ってほんとにいろんな感覚を持ってる。
「求めたい」「求められたい」「なくてもいい」「ちょっとあればいい」
みんな違うし、どれも正解。

だからこそ、「すり合わせ」が必要なんだなって思う。
相性って、“感覚が合うか”だけじゃなくて、“すり合わせる力があるか”でもあるんだよね。

とはいえ、我慢をし続けた場合、それって本当に「自分らしさ」が存在しているのだろうか?
自分らしくない自分なんて、自分じゃない。
自分自身が相手に合わせることで苦しいんだったら、それは「相手好みの人形として生きている」のと同義じゃないかと思う。

もし「すり合わせ」をしなくてもいい相手がいたら。
お互いが「ありのまま」でいられる相手がいたら。
その相性ってすごく貴重だし素敵なことだから、絶対に大事にしたほうが良いと思う。


「あ、そうなんだね」でいいんだよね

この話を書こうと思ったのは、
「アセクシャルってこうでしょ?」って思い込んでた自分がいたから。

でも、友達の話を聞いてみて、アセクシャルにもいろいろな考え方があるんだと知ることができた。
それ以降、人の考えや意見を聞いても、「あ、そうなんだね。そういう感じなんだね」って、
ちゃんとそのまま受け止められるようになった。

セクシュアリティもそう。
すごく複雑だし、簡単に理解できるものじゃない。
カミングアウトをするにも、とても勇気がいる。

だからこそ、先入観なく、良い意味で「そうなんだね」と受け流せる人でありたい。

相手や話の内容によって返答は変わるだろうけど
「あなたってそうなんだね!そのままいなよ」
「人は人、自分は自分。自分らしさってことでいいじゃん!」


それって、誰かと関わるうえで一番やさしい姿勢なんじゃないかなって思ってます。


✍️次は…

妹と彼女——トランスジェンダーとレズビアンのカップルから、
“カミングアウトって、どうやって伝えていくんだろう?”って考えるきっかけをもらった話を書こうと思っています。


🌱今後、noteでこんなことも書いていく予定です
• 人間関係を築くときの不安や悩みと対処法
• 人に合わせて苦しまないのための「自分軸の作り方」
• 多様なセクシュアリティとの向き合い方、伝え方
• 「自分らしく生きるために、言葉を味方につける方法」

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