老親の日々を 尊重したい
ほんの3年前の親の写真を見ても
「あら? これ 若いじゃないの」
老いの加速は 残酷で 自然なのだ。
2人で暮らす父母の この数年の坂道を転がる勢いは、誰の目にも顕著だ。色んな事が少しずつ 風化するみたいに 出来なくなっている。
私「いちいち気にしなさんな。生きてるもんは 皆、全員そうだから」
明るく言い放つ私も 心の隅っこでは 心細く震えてる。"限界はあるのだ" と 頭では理解していても、やはり 迫り来る 恐怖は 拭えない。
★ 初めは お茶飲み訪問
10年ほど前 実家の一軒家から 近所の賃貸マンションに引越して 両親は暮らしているので、私は時々 美味しいお菓子などを持って行く。母の料理を食べながら 色んな話題を 提供 し 脳の刺激も必要と 通っていた。

季節のお菓子を持って

お誕生日には エイッと奮発
★ 老人ホーム入居問題、紛糾
6月 長女の挙式直後、すぐに妹と兄夫婦で進められた 足腰が弱くなった2人の施設入居問題。重要事項は全て任せていて、私は責任のない ただ親を「喜ばせる係」を担当してる。
あちこち見学させ 半ば強引に"今すぐ入居"を勧める妹兄と、首を縦には振らない親は もう喧嘩状態に。
私 「ね、ね、とにかくもっと穏やかに 話が出来ないかしら」
私の声なんて 誰も聞いちゃいない。
父 「窓が開かない(建物が隣接)空が見えないなんて 考えられない」
母 「毎日の入浴が日課。週2日(施設では平均的らしい)しか入れないなんて、大浴室もイヤだ」
父 「生活の自由を放棄する気には まだなれないな」
母 「何回も倒れたりして 面倒かけてばかりで 心苦しいけど、私はここで死んでも良いと思ってるの」
以前とは比べられないが、母は 変わらず梅干しも漬ける。父は図書館へ行く。まだ出来る事や 会いたい人 行きたい所もあると言い、機嫌良く笑ってもいる。判断力はまだある。急がなきゃいけない訳でもない。
老いた親と言えど、彼らの人生だ。外野が 本人の希望を無視したり、
強引に決めつけてはいけないと 私だけは 微力ながら 静かに主張した。
結局その話は 一旦保留になった。
ケアマネジャーとの話し合いで、週1回のお掃除と 平日の見守りサービス、緊急用に車椅子を借りた。
「とりあえず 工夫は大切よね!」

★ 父母の楽しみ
母は 足が痛み 腰は曲がっても 働き者で 好奇心旺盛。いつも周りに心配りをする 明るい性格の不眠症。 「タクシーGO」アプリを使いこなし、ピアノと麻雀へと週に1度 通っている。大好きだった歌舞伎や芝居に行けなくなったのは 残念ですが、楽しみを見つけるのは得意。
母の明るさは 一族の希望の光だ。

数年前から 全く描いていない
父は昔から大声で怒鳴る ワガママで 母以外は 誰も寄りつかなかった横暴な性格が、老年に嘘のように鳴りをひそめ 多少大人しくなって助かってる。これは 奇跡か幻か?
家族から 関わりを避けられていた 傲慢な父でしたが、ここに来て
「でも母がいるから仕方ない。母のために…ま 父もツイデに」状態。
本人は悪事を全て忘れ 人望の厚い母に乗っかり老後のラッキーを手に、毎日でも家族に会いたがる。えっ?誰が誰に?皆ビックリの「かまって爺さん」にすっかりなっている。ま、平和で結構なのですが。最近は 出かけるのが億劫、風呂も億劫。
やたらボヤく鬱病の気があります。
父「お母さんより俺の方が 調子が悪くて もうダメなんだ」
アピールがすごい(笑)

母が買って来て、父が水をやる

窓の景色は 贅沢なの」
★ 夕ごはんを届ける係
父の食べる量がグンと減り、料理上手な母も張り合いを無くし 煮物やサラダ 漬け物くらいしか しなくなった。ワンパターンのメニューに益々 父の食欲が落ちていて、私の届ける手料理は どこか目新しいらしく大歓迎される。おかずも 汁気やとろみのあるものは好まないとか、色々ある。焼肉などしっかりした味付けは好評。肉は よく叩いて柔らかく、飲み込みやすく小さめに切ったり 私もかなり気を遣うようになった。

(失敗したゲソ天も)

彩り良く 見栄えよく
以前の実家は酒飲みがいたり 大人数なので、母は週3で揚げ物を大量にしていた。私はゲソ天と牡蠣フライだけを当たり前に食べてましたが、この海鮮系の揚げ物は なかなかカラリと仕上がらない。失敗は 続いてます。材料費がやたら嵩んで困る。
衣が剥がれた無惨なゲソ天を
母 「でも 味は良いわよ」
父 「まずい」
介護保険で安く宅配してくれる弁当も「ひと口も食べたくない」と、早々に取りやめた。

野菜天は 上手に 出来るんだけどなぁ
都内ですが我家から実家までは、車で往きは1時間強(帰りは45分)幹線道路は事故が起きると 大渋滞で にっちもさっちも動かなくなる。今はスマホがあるので 連絡が便利に。
「大渋滞だから 着くの遅くなる」
ようやく 実家に到着すると
父 「遅過ぎる。大体(家を)出るのが遅いんだよ。もっと早く出れば良いんだろ。もう俺は お腹が減って どうしようもないんだよ」
私 「揚げ物はさ、ずっと油の鍋の前で待ってなきゃいけないの。時間もかかるし 汗だくだし 私だってヘトヘトよ。事故だって 連絡したじゃない?赤ん坊じゃあるまいし、なんか自分で食べてれば良いでしょ?」
さすがの私も 呆れて 怒り爆発。
大人気ない父の大声の隣で 静かに
母 「作った事ない人には 大変さが わからないのよね」
はぁ〜老人 困るわ。

ほとんど断捨離してしまった水筒が、父母への差し入れ習慣で 出番が俄然 増えて,足りないくらい。
特に 夫の淹れたての珈琲を水筒に入れて持って行くと 大喜び。喫茶店気分なのだろうか、笑みが溢れる。
父 「珈琲なんて俺、生まれて初めて飲んだよ。美味しいなぁ」
嘘 コケ!んな訳あるか〜い(笑)
5杯…6杯?砂糖 入れ過ぎじゃない?ま、2人の好きにしておこう。

かなり冷たいので 心配しましたが
「うわぁ 美味しい〜」
意外なものが ウケます♫
★ 墓の引越し
父が死ぬ前にやっておく事、墓が遠くて不便で 誰も行けないので、今後の事を考えて 都内で駅近の墓に引越しを決めた。墓を継ぐ兄夫婦は運転しないので、連携して手続きを急いだ。来月早々に親族で集まり、ささやかなセレモニーがあるそうだ。

骨壺の祖父母も 再会を喜びます
銀座が近い
★ 聖路加国際病院に母が緊急入院
40度の猛暑が続く中、築地本願寺の名物 朝ごはんを(予約要)妹の運転で行った両親。帰りの車中 母の顔色が真っ青に 慌てて近くの病院へ。嘔吐と発熱、肺の感染症に高齢もあるので1週間の入院に。この病院はアメリカなどの最先端医療を提供する全個室の、至れり尽くせり。えっ 何? 3万円/日の部屋に空きがなく、6万円/日の部屋?えっえええ〜?
"家族は24時間 面会可能"と言う病院で、母の部屋には看護士やリハビリスタッフ、見舞う人達でいつも忙しい。私は実家に1人 テレビもつけずに塞いでる父の方へ、夕ごはんの相手。こっちの方が ずっと大変。

部屋代をつい 掛け算…ヒャー
退院後は 毎日電話をするけれど、
母 「大丈夫よ。聖路加で貰った
粉薬で 頻尿が治ったみたいなの」
父 「俺は具合悪い。お母さんはいつも大丈夫!大丈夫!って、全然大丈夫なんかじゃねぇぞ。もっともっと ウチに 顔を出すように!」
語気 強めの 私への注文だ。
私 「ここまで楽しく2人で 運良く長生きしたのだから、お互いの歩調を合わせてさ、同じ頃に死ぬのが
1番良いわよね」
父 「そうは思っているけど、それが 簡単には 行かないんだよな」
私 「病院で沢山の管に繋がれてたり、片方が死んだ時の 悲しい顔も 見るのは 忍びないし」
母 「なるべく良い塩梅で終わりたいけどねぇ。まぁ頑張ってみるわ」
まだ大らかに 話したりしておりますが、どうなる事でしょうか。
先の事は誰にもわからないし、何が正解なのかも 全然わからない。
手探りで 草木を掻き分け 前に進むしかない。平気な顔で 私は いつものように 彼らの数歩ばかり後方で
ただただ 傍観するだけなのだ。

全然 使ってる気配なし。
ダメだこりゃ
