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大嫌いだった母~40年分の憎しみを手放すまで①

母のことが、嫌いでした。思春期を迎えた頃から、上京しても大人になっても結婚しても、ずっと。

長すぎる反抗期?

最初はこれが反抗期かと思っていました。でも、40歳になっても母への負の感情が消えることはありませんでした。24時間365日、どこで何をしていても「母が嫌い」という思いが頭の片隅でとぐろを巻いているのです。

母から虐待を受けたことはありません。過保護・過干渉の気はありますが、進学や就職、結婚といった人生の選択を母に歪められたことはありませんでした。表面的には、特に問題ないんです。

長すぎる反抗期? 何がそんなに嫌なのか、自分でも思い当たらない。だからこそ、感情の対処に本当に困っていました。

そんな私だから、新しい命を授かった時は正直ちょっと、怖かった。不妊治療をして、あんなに欲しかった子供を幸運にも授かったと言うのに、子供と信頼関係を築ける自信がない。

もしお腹の子が女の子だったら、私も将来同じようにこの子に恨まれるのかもしれない。願わくばこの子が男の子でありますように、とこっそり祈ってしまう自分がいました。

産後うつ

誰にも言えない願いむなしく、生まれてきた子は女の子でした。

そして私は、産後2か月でうつ症状を発します。

娘はよく泣く子で、起きている間はほぼほぼ泣いており、何をしても泣き止みませんでした。いつしか私はその泣き声が怖くてたまらなくなりました。

泣き声がするだけで、理由もなく追い詰められる。泣き止まない娘の側にいると吐き気がして、胸の中がグルグルして、その場にいられない。いつ娘が泣き出すか常に怯え、日々の生活すべてを薄氷を踏む思いで過ごすようになりました。

胸の中がグルグルすると、ぱっくりとブラックホールが口を開けます。その奥から、こんな思いが次々に湧き上がってくるのです。

こんな母親なんか、いらないよね。こんなダメなママでごめんね。私が子供なんて望んじゃいけなかった。私なんて、いなくなった方がいい。消えてしまえたら、どんなに楽だろう。


それでも消える勇気もない私は、泣くことしかできませんでした。実家も義実家も遠く、コロナ禍もあって頼れるのは夫のみ。ありがたいことに夫は長期育休を取得してくれて、授乳以外の家事育児をすべて担い、泣き続ける私の話をただひたすら聞いてくれました。夫がいなければ、私はどうなっていたかわかりません。

暗い水の中で溺れているような日々の中、繰り返し襲ってくるブラックホールが苦しくて、その苦しみから逃れようと私はもがき続けました。そうして行きついたうちの一つが、体質改善でした。

どうにかこうにか体を立て直した私は、ようやく暗い水から顔を出して息ができるようになりました。そしてふと気づきました。娘の泣き声を耳にするのが辛いのは、0歳の私自身が娘と同時に泣いているからじゃないか、と。

憎しみの正体

私の母も、ワーママでした。ただし、今とは時代が違います。私が生まれたのは男女雇用機会均等法もまだない頃。公共の子育て支援サービスは皆無、職場はゴリゴリの男性社会。それでも働くことを選んだ母は、産後8週で職場復帰しました。私を育ててくれたのは、同居していた母方の祖父母でした。

もしかして私、寂しかったの?

母のことが心底憎いと思っていたけど、もしかして母がそばにいてくれなかったから、ずっと寂しかったんじゃない? そう意識してみたとたん、自分の中に浮かんできた感情がありました。

寂しいよ。どうして一緒にいてくれないの? 私は愛されてないの?

それは、娘と同じ0歳だった私自身が感じていた、どうしようもない寂しさでした。大きくなってもその寂しさが埋められることはなかったから、私は次第に寂しい気持ちに蓋をして、自分の気持ちを無視して生きてきたんじゃないか?

思春期をとうに過ぎて40歳にもなって、なお消えなかった母への憎しみ。その正体が寂しさだったことに、ようやく気がついたのです。

娘の泣き声は、感情の蓋を開ける音だったのでしょう。それを耳にしたことで、私の中でスイッチが入った。0歳の私は、このタイミングを逃したら今の私に声が届くことは二度とないと、必死に声を上げたのだと思います。

もうこれ以上無視しちゃダメだ。

この気持ちは、ここらで一度ちゃんと取り出してあげないといけない。そうしないとこの苦しさは消えないし、「母が憎い」から一生逃れられない気がしました。

数年ぶりの電話

ついに観念した私は、数年ぶりに母に電話をかけることにしました。

たかが、電話かもしれません。

でも、通話ボタンを押そうとすると指が震えました。

正直、めちゃくちゃ嫌でした。やめちゃおうと何度も思いました。ものすごく、ものすごく勇気が要りました。

この数年、母とはメールで必要最低限の連絡しか取らないようにしていました。必要以上に長話をされるのがしんどかったから、電話は意識的に避けていたのです。

だけど、0歳の私のために、40歳の私のために、自分の寂しさをちゃんと言葉にしてみよう。届くかわからないけど母に伝えてみよう。それには、メールじゃダメだ。

意を決して、私は通話ボタンを押しました。

②に続きます。


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