大嫌いだった母〜40年分の憎しみを手放すまで②
前回の話はこちら。
寂しさを伝える
久しぶりに私からかかってきた電話に、母はとても驚いていました。嬉しそうで、でもちょっと困惑していて、電話口の私のただならぬ空気感に早々に何かを察したようでした。
世間話もそこそこに、私は切り出しました。体に力が入って声が上ずるのが自分でもわかりました。
「どうしてもこれだけはお母さんに言わんと、って思って。
…
…
私、0歳くらいのころ、
ものすごく、ものすごく、ものすごく寂しかった」
言えた…!!
体からちょっとだけ力が抜けました。
母からすれば晴天の霹靂。娘からの電話も久しぶりながら、まさかの内容だったでしょう。一瞬言葉に詰まった後、こう言いました。
「そうか…私が家におらんこと、あんたは受け入れてくれたと思っとったけど、そうじゃなかったんやね。
そうかぁ…私の思い込みやったねぇ。言われて初めてわかったわ」
おや?
私は、肩透かしを食らった気分でした。てっきり『違う、そうじゃない。あんたが勘違いしてるだけで、本当は…』と、マシンガンのように返ってくるとばかり思っていたからです。
予想に反して、母は私の投げたボールをただストンと受けてくれました。ちょっと安心した私は、思い出せる限りの嫌だったことを口にしてみました。
家にいる時の母はいつも不機嫌で、「疲れた、しんどい、だるい」しか言わなかったこと。
ゴロンと横になって一歩も動かず、「あれとって」「これやって」と老いた祖母(同居していた母の実母)をあごでこき使っていたこと。
家の中はいつも埃だらけで、本当に足の踏み場がなかったこと。
出張ばかりの父がたまに帰ってくるたびに必ず、ヒステリックな大声を上げて喧嘩をしていたこと。
母の反応は、こうでした。
「え、そうやった?
…覚えとらん。ほんとに覚えとらんわ」
言い逃れではなく、私の記憶違いだと言い返すわけでもなく、本当にそんなことがあったの?と不思議そうに言うのです。あんた、政治家か。
読まれなかった日記
様々な思い出の中でワーストクラスに嫌だったのが、日記を書かされていたことでした。
私は小学校の間ずっと、母に日記を書かされていました。私がどこで何をしていたか、誰と遊んだか、何を考えているか。日中働いている母がそれを知るための日記が、私には苦痛でしかありませんでした。
書かない日があると怒られて、後から遡って書かされました。書いた量は、6年間で大学ノートに数十冊。
母は筆まめな人で、小学校の連絡帳は細かい字で毎日びっしりと書かれていました。でも私の書く日記には、一度も返事がありませんでした。
私は大きくなるにつれ、疑問を感じ始めました。
あんなに書かせていたくせに、遡ってまで書いたのに、何のコメントもなかったのってあんまりじゃないか。いや、そもそも人に読ませるための日記なんて、変だ。
電話でそのことも、言ってみました。
「お母さん、日記本当に嫌やったんやけど。書かんと怒られるのも嫌やったし、読まれるのも嫌やったし、読んどるくせに一度も返事くれんかったのも嫌やった」
すると母は、言いました。
「え、日記? あんた日記なんて書いてたん? それは知らんわ。読んだこともない」
…はい? だからあんた、どこの政治家?
と思いきや、どうやら、本当に本気で覚えていない様子。私が呆気に取られているので、母も記憶を遡り始めます。
「うーん………あ! それ、おばあちゃんかも。お母さん、おばあちゃんから『アンタは子育て何もしとらん』ってずっと怒られとったし」
母曰く、日記を書かせ始めたのも読んでいたのも、自分ではなく祖母ではないかと。
確かに、宿題や遊びなどについて、母から何か言われた覚えはありません。そもそも日中不在なので、私が何をしているか母は知らなかったはずです。
代わりに母の実母である祖母から、私は毎日かなり細々とやるべきことを言われ続け、やらなければ叱られました。確かに、祖母ならあり得る。
今思えば、祖母は祖母なりに必死だったのでしょう。私のことを、周りの人から「あの子はお母さんが家にいないからダメな子なんだ」と言われないように。孫を相手に、今度こそ理想の子育てをしよう、という思いもあったのかもしれません。
私の日記を、母は読んでいなかった。
とにかくそれだけは、事実のようでした。膝から崩れ落ちるって、こういうことかな。私は茫然としながら電話を切りました。
考えてみれば、私は母に対して40年、嫌だという思いを一度も伝えたことがありませんでした。電話するまでそうだったように、どうせ言い返されるだろうと先回りして考えては、結局何も言わずに飲み込んでいたから。
そして何よりも、「寂しかった」というごくシンプルな自分の本音に、この時まで全く気がついていなかったから。気がついていないものは、言いたくたって言えません。
私は、嫌だった出来事を思い出しては一人で嫌な気分をどっぷり味わうことを繰り返していました。何十年もかけて、高級なフレンチよろしく嫌な気分のミルフィーユ仕立てを作り上げてきたわけです。母の思いを直接確かめることなしに。
そして、気がつきました。
私が嫌いな母の像って、もしかして私が自分で作ったの?
