[組織ブログ Ver.73] 視座とは何か?外的と内的、そして次元構造で捉えてみる
「視座」という言葉の抽象度は高いと思います。
ただ、このタイミングで、このテーマを扱ってみたいという気持ちになりました。
理由は2つあります。
1つ目は、最近になって、自分の視座が少しずつ変わってきているのではないか、という実感があること。
2つ目は、「視座」という感覚自体を、もう少し言語化して社会に共有できたらという思いが強くなってきたことです。
特に最近は、以前と比較して聞いたときに、その話の捉え方や解釈の角度が変わってきたように感じることが増えました。 話の表面だけでなく、少しその奥にある構造や背景に自然と目が向くようになったというか、以前よりも視点が高くなってきたような、そんな感覚があります。
この感覚が、いわゆる「視座が上がる」ということなのだろうな、と思っています。
また、
「この施策ではうまくいかないかもしれないな」
「この施策は、数年後に副作用が出てしまうかもしれないな」
という未来を先回りして想像するような感覚も少しずつ増えてきました。
本ブログでは、自分なりの実体験をもとに、「視座」という概念を外的・内的、そして次元という構造で整理してみたいと思います。
1. なぜ今“視座”を語るのか?
前述した通り、僕個人的に「視座」について言語化することができてきました。また、視座について重要度が高い理由や背景も、個人的に解像度が上がってききています。
まずは、なぜ今自分自身が視座について語っていくのか?について、そのタイミングの理由を記載したいと思います。
1つ目:自分自身の視座が少しずつ上がってきたという体感があること
これまでは「業務における専門スキル」についてはある程度自信がありましたが、自分が“高い視点”や“広い視野”、そして“視座”を本当に持てているかどうかについては、あまり実感が持てていませんでした。
もちろん、取締役や代表として経営に関わらせていただいている以上、それなりの視座は持っていたつもりです。ただ、自分よりも明らかに高い視座で物事を語る方々と出会ったときに、「まだ自分には見えていない景色がある」と感じる場面が少なからずありました。そのたびに、どこかモヤモヤとした気持ちを抱えていました。
それが最近になって、「その話のどこに課題の構造があるのか」「その言葉の背景には何があるのか」といった意味構築の角度が、以前と比べて大きく変わってきたように感じることが増えてきました。
1つ先、2つ先が見えるというか、「今ここで語られている話は、もう少し高い(広い)視座で見ないと本質にたどり着けないのではないか?」という感覚が芽生えるようになってきた気がします。
2つ目:合理的なアプローチだけでは解決できない問題に取り組んだこと
HRという領域の中で、これまで多くの課題に対して合理的なアプローチで対処してきました。 事実、一定の成果も得られたと感じています。
ただ一方で、「これはロジックだけでは進まないな」「どれだけ正論を積み重ねても、構造的な要因を変えなければ結果は変わらないな」という複雑性の高い問題にも、いくつか直面してきました。
特にこの2年間、僕の弱みであった人間の内面について学びを深めたり、システム思考・メタ認知など様々なインプットをして、複雑性の高い問題に対しての取り組み方が少しずつ見えるようになってきた実感があります。
「この手法で頑張っても、根本的には解決しないだろうな」
「きっと、あと2年間くらいこのまま空回りしてしまうかもしれないな」
「そしてそれを今の段階で伝えたとしても、きっとなかなか伝わらないだろうな」
そんな感覚を持つことが増えてきました。
そういった複雑性の高い問題に対して、少しずつであっても自分なりにアプローチできるようになってきたことで、これまでとは違う種類の自信を感じることができたようにも思っています。
3つ目:自分自身が4年間ほど足踏みしていたという事実に気づけたこと
過去の自分を振り返ると、「わが道を行く」というスタイルでビジネスをつくってきた時期が長かったと思っています。今でこそ「自分自身」を客観的にメタ認知ができるようになったため思うのですが、
「山根くん、きみのこれまでの実績や成果が出たことにより、それにしがみつくのはわかるけれども、時代も変化しているのと、これまで複雑性が高い問題解決の経験がなかったから上手くいっていたものの、これからはあなた(山根)が変わらないと、本当に生きていけないよ」
と、あの頃の自分に声をかけてあげたいくらいです。
たとえば、「ペルソナに合う人に刺さる人事制度をつくる」ということにこだわっていた時期は、ある意味、自分の価値観を一切曲げない、という姿勢だったように思います。
それは、自分自身の見えている景色を“正しいもの”として絶対視していたからこそでもあります。 「自分が最高だと思う会社をつくれば、みんなついてきてくれる」 どこかで、そんなふうに思い込んでいたのだと思います。
ただ、それが「視座」と呼ばれるものの欠如だったと、今は感じています。
本質的に“相手の靴を履く”という感覚、自分を本格的に客観視するという態度、そしてシステム思考などを学んでいく中で、ようやく「足踏みしていた原因は自分にあった」と腑に落ちるようになりました。
このプロセスは、おそらく他の経営者の方々にもあるのではないかと思います。 なぜならば、どれだけ「優秀」と言われる方であっても、視座というのは“スキル”とはまたまったく異なる次元のものだからです。
学歴でもなく、ビジネス経験の豊富さでもなく、組織をどれだけスケールさせてきたかという実績でもなく。それらとはまた別の軸にあるのが“視座”なのだと、今は強く感じています。
この自分自身の4年間の足踏み。 同じような状況にある方に、少しでも何かの形で届けられたら良いなと思っています。
4つ目:メンバーの成長と、孤独という感覚の変化
いくら採用ノウハウを身につけたとしても、自分と“同じ目線”で語れる人がなかなかいないという感覚は、以前からずっとありました。そんな中で「自分は孤独だ」と明言したことは、数えるほどしかありません。というのも、言ったところで解決する話ではないと思っていたからです。
今振り返ると、あの頃の“孤独”という感覚は、水平的スキル(業務の専門スキル)の話だったのだと思います。
少し遠回りして説明をすると、
当時の僕は、メンバーのスキルが高まるほど、自分と同じレイヤーに届いてくることがどこか怖くて、無意識のうちに距離をとっていた節があるように思います。表向きには「もっと成長してほしい」と言いながら、内心では自分の立場が脅かされることを恐れていたような感覚があったと、深い自己内省でわかってきました。その人間らしい弱さが、自分の中には確かに存在していたのだと思います。
つまり、当時(2年以上前)、僕が感じていた“孤独”というのは、
「周りのメンバーが順調に水平的スキル(業務専門スキル)を上げることを口では望んでいながらも、ただ自分自身のラインに近づいてきたときに厳しく当たってしまう。つまり、自分の立ち位置まで登ってくるメンバーに冷たくしてしまう」
と、いう行為を自分自身で起こしていたからこそ発生していたんだろうなぁと。
一方で、垂直的スキル(本ブログで言う視座)と出会ってからは、“孤独”という言葉の意味がまったく違ったものとして立ち上がってきました。
それまでは、水平的スキル(業務専門スキル)における孤独だったのですが、直近2年ほどは垂直的スキル(視座)における孤独に変化していったような感覚です。
会社の経営陣クラスは、「自分(経営陣)以上に当事者意識を持ってくれるメンバーはいない」と言うことがありますが、それは当たり前です。最もその会社の文脈を認識し、会社の経営陣であり、かつ株主である人、一般社員において、当事者意識が異なるのは当たり前です。ただ、当事者意識=視座ではないことがポイントです。
詳しくは後述しますが、視座は役割や役職が作ることもあります。一方で、自分自身の視座が一般レベルを超越してくると、自分と同じ目線で見ることができるメンバーがいないことに孤独を感じます。ただ、「視座あを上げる」研修やトレーニングなんて、誰にお願いしても、どこを探しても、そんな研修あまりさん探しました。そのため「視座を上げてくれ」とお願いしても、メンバーが自動的に視座が上がる事は無いと僕は思っています。
ただ、やっとのことで、人間の視座を上げる取り組みやトレーニングの答えが見つつあります。それは、僕自身関わってるメンバーに対して提供してるのですが、今では少しずつですが、垂直的な学びを一緒に実践してくれているメンバーが増えてきたように思います。
自分と同じように、問いを持ち、深く考え、行動を始める仲間が生まれてきた。それが今、ものすごく嬉しく、充実した感覚につながっています。
この感覚を、できることなら経営者の方々にも伝えたいですし、社会で働く一人ひとりの方々にも知ってほしいと思っています。視点や視座が変わることで、経営者の孤独は軽くなるかもしれないし、メンバーの方々の仕事の質もぐっと上がっていくはずです。
5つ目:できることが増えて、仕事が“面白くなった”
これは完全に主観ではあるのですが、「できることが増えてきて、シンプルに面白い」と思えるようになってきました。
水平的なスキルに関しては、ある程度の時間と強度で学びを積み重ねていけば、一定の成果は出ますし、どこかで“てっぺん”のような感覚もあります。
特にHRやマーケティングなどの領域では、その傾向が強いように感じています。
一方で、垂直的スキル(視座)には、終わりがない。
少し足を踏み入れてみただけでも、その複雑さ、奥深さに気づかされることばかりです。変数が無限に生まれますし、一生かけて探求していくような感覚さえあります。
これはもしかすると、今まで「歩く」「走る」「左右に動く」ことはできていた自分が、初めて“空を飛ぶ”という選択肢を得た、そんな感覚なのかもしれません。
これまでは「遠くに行ける」という感覚でしたが、今は「高く浮かぶことができる」、そんな視野が生まれてきています。これが“視座”というものであり、この感覚は、とにかく面白いのです。
2. 視座とは何か?──分類してみる
「視座」という言葉をなんとなく使っている方も多いかもしれません。僕自身も、正直これまで感覚的に捉えていた部分が多かったです。ただ、最近ようやく、この「視座」という概念を構造的に整理できるようになってきたような気がしています。
ここでは、視座というものを「分類してみる」「構造で捉えてみる」という視点で整理してみたいと思います。
2-1. 水平的スキルと垂直的スキルの違い
本ブログで自然と何度かこの言葉を使っていますが、スキルには“水平的”なものと“垂直的”なものがあります。
水平的スキル:
業務遂行力、論理思考力、対人スキル、ノウハウなど
垂直的スキル:
視座、メタ認知、構造理解、因果を超えた文脈把握
水平的スキルは、ある程度の時間と反復で身につきます。ただし、それだけでは“その場”や“目の前の範囲”しか見えないという限界もあります。
一方で、垂直的スキルは、一定の学習や経験、そして「矛盾」や「困難」に出会った先でしか育たないように感じています。本ブログでは取り扱わないのですが、「発達段階」ともいえます。
2-2. 視座の分類:外的・内的 × 次元
視座は垂直的スキルに該当します。その視座を考える上で、自分なりに整理してみた結果、大きく分けて「外的な視座」と「内的な視座」の2つの軸があると捉えるようになりました。
外的視座とは
他者や組織、構造、さらには時間軸を含む“外側の世界”をどう捉えるかという視点です。
全体を俯瞰する力、因果関係を把握する力、時間を超えて未来を予測する力などがここに含まれます。
内的視座とは
自分自身の内面、感情、価値観、矛盾など、“自分の内側”にどう向き合うかという視点です。
自己認知や自己理解、葛藤を保持する力、価値観の再編集などが含まれます。
この外的と内的の両方に、それぞれ「次元(レイヤー)」があるのではないかという気づきがありました。そして、それぞれの次元が掛け算のように組み合わさることで、“視座の質”が決まるのではないかと考えています。
以下に、僕なりの分類をまとめてみました。
■ 外的視座(他者・構造・時間を含む)
• 第2次元:地上レベルの理解(前後左右に動ける)
→ 目の前の出来事や情報に対して反応し、実行できる状態。局所的な判断力が高い。
• 第3次元:空中に浮かんで、構造を俯瞰できる(高く飛べる)
→ 部分最適と全体最適を同時に把握し、立体的に意思決定ができる。
• 第4次元:時間軸を超え、「未来の副作用」を予見できる(時間を超越する)
→ 今の施策が3年後にどんな影響を与えるかを構造的に予測し、未来の因果を先取りできる。
■ 内的視座(自己・感情・矛盾の扱い)
• 第2次元:他者からどう見られるかに敏感/承認欲求
→ 周囲の評価に強く左右され、自分らしさよりも「どう見られるか」を基準に動いてしまう状態。
• 第3次元:矛盾した価値観が自分の中に同居していると気づく
→ 「任せたいけど自分でやりたい」「柔軟でありたいけど譲れない自分もいる」といった内的矛盾に自覚的になる。
• 第4次元:矛盾を“構造”として理解し、再編集しながら統合する
→ 矛盾を否定せず、むしろ保持したまま状況に応じて意味づけを変えられる状態。柔軟かつ統合的な自己認識。
このようにして視座を分解してみると、「外的が高い人」「内的が深い人」というような一面的な語りではなく、「その人はどの次元にいて、外的と内的のバランスがどうなのか?」という観点で、自他を捉えられるようになってきた気がします。
2-3. 外的第3次元と第4次元の実感
このブログを整理していて、自分の中で一番大きな手応えがあったのは、「外的第3次元」と「外的第4次元」について、はっきり言葉で整理できるようになったことです。
外的第3次元
「宙に浮かぶ」ことで“高さ”を得る視点、空中に浮かぶような感覚。
地上であくせく動いている自分自身や、組織の構造、チームの動きなどを、ぐっと引いた位置から俯瞰して見ることができる感覚です。これはまさに「高さ」の感覚に近くて、構造を立体的に捉えることができるようになった瞬間でもありました。自分がプレイヤー、リーダー、事業責任者、経営者という複数のレイヤーに同時に存在していたとしても、それぞれの立場や視点を客観的に切り分けて捉えることができる。
「この意思決定は全体最適か?それとも部分最適になってしまっていないか?」と、自然と問えるようになってきた気がしています。
外的第4次元
「時間を超越する」視点、これは“時間を飛び越える”ような感覚です。
つまり、「今やっているこの施策が、3年後に何を引き起こすのか?」という問いを、今この瞬間に立てられる状態。時間を超越して、因果の先を見にいけるような視点です。
実際に僕も、「良かれと思ってやった施策」が、2〜3年経ってからまったく別の問題を生み出していたという経験を何度もしてきました。そして最近は、その“副作用”が時間差で発生する可能性を、事前に察知できるようになってきた感覚があります。ここに、自分としてはかなり大きな手応えを感じています。
これらの視点は、単にスキルではなく、“次元の違い”という言葉が一番しっくりくる。第3次元は「高さ」、第4次元は「時間の越境」。視座の話をするときには、この感覚を中心に据えた方がいいと、自分でも思っています。
2-4. これは「宙に浮かぶ」だけじゃなく、「深く潜る」ことでもある
また、外的な視座とは対照的に、内的な視座は“飛ぶ”というより“深く潜る”ような感覚があります。自分の中にある矛盾に気づくこと。
「柔軟でいたい」と思いながら「自分の正しさを手放したくない」と思っていたり、「任せたい」と言いながら「最後は自分でやらないと気が済まない」と思っていたり。
そんな自分の中にある複数の声を、静かに見つめる力。これもまた、「視座」であることに間違いはないと思っています。
3. 外的視座の次元──「空中に浮かぶ」そして「時間を超える」こと
ここでは、外的な視座について少し詳しく整理してみたいと思います。特に僕自身が手応えを感じている「外的第3次元」と「外的第4次元」については、言葉としても意味としても、しっかりと残しておきたいなと思っています。
3-1. 外的第2次元:前後左右に動ける感覚
外的第2次元とは、地上レベルの理解で、前後左右に動ける状態のことです。
目の前の出来事や情報に反応し、実行に移すことができる状態です。局所的な判断には強くても、構造全体までは見えづらい次元とも言えます。
これは一般的な社会人は得られている視座です。
ビジネスにおける“論理的な視点”や“現場の解像度”に近い感覚です。目の前の問題にしっかりと向き合い、右か左か、前か後ろか、斜めに判断を動かしていくことができる、いわば「水平的な動き」が取れる状態です。
例えば、
・日々の業務で発生する課題を丁寧に処理していく。
・会議で出たアイデアにすぐに反応できる。先回りして準備をする
・先週発生した問題の原因を追究して施策を立案する。
こういった力は第2次元の能力だと思っています。
ただ、ここでの意思決定や視点は、基本的には“今この瞬間の文脈”の中で完結していることが多く、構造や未来、他の次元との接続までは見えていないことが多いように感じています。
3-2. 外的第3次元:宙に浮かぶ感覚──部分最適と全体最適の視点
外的第3次元とは
空中に浮かんで構造を俯瞰できる状態を指します。
高さを持って自分や組織を客観視し、部分最適と全体最適を同時に捉えることができる。意思決定に立体感が出てくるのがこのレベルです。
この感覚を持つのはハードルがあります。
この感覚を言語化するのは少し難しいですが、「地上で走っている自分を、空中から見るような感覚」と言えば近いかもしれません。つまり、“自分自身のことを客体として捉える”ことができる視点です。
例えば、ベンチャー企業の経営者であれば、
自らがプレイヤーでもあり、
チームのリーダーでもあり、
事業部の責任者でもあり、
会社全体の代表でもある、 という構造の中に同時に存在していることがよくあります。
このとき、「自分がどこに立って発言しているのか?」「今の判断はプレイヤー目線なのか?経営者目線なのか?」という視点を持たずに話してしまうと、矛盾が生まれたり、混乱を招いたりします。
このように、様々な視点が自分の中で交錯してしまう状態を、僕は“視座クラッシュ”と呼んでいます。僕自身もよく起きていました。
それを防ぐためには、自分自身も含めて全体の構造を客体的に捉える必要がある。これが第3次元の視座だと思っています。
具体的には、
「その施策は誰の視点で語っているのか?」
「それは全体最適になっているのか?それとも一部の満足度だけを見ていないか?」 といった問いが自然と湧いてくる状態です。
もう少し噛み砕いて言うと、
メンバーの部分最適は、チームの全体最適にはならない。
チームの部分最適は、事業部の全体最適にはならない。
事業部の部分最適は、会社全体の全体最適にはならない。
こういった“階層ごとの最適と全体最適のズレ”を、どこまで理解できているか?は、視座を考えるうえで非常に重要な観点だと思っています。
3-3. 外的第4次元:時間軸を超えて、“未来の副作用”を見通す
外的第4次元とは
時間軸を超えて未来の副作用を予見できる状態です。
今の選択が将来どう影響するかを構造的に把握できるレイヤーで、因果の“先”を見ながら行動できるのが特徴です。
ここが僕の中では、最も大きな転換点でした。そして最もハードルが高いです。
第3次元では「今の構造」が見えるようになりますが、第4次元になると、「時間軸を飛び越える感覚」が出てきます。
つまり、今取り組んでいる“この施策”が、2年後、3年後にどんな問題の火種になるかを、今この瞬間に予測できるようになる、そんな感覚です。
たとえば、ある人事制度を活躍している一部のメンバーの声を元に作ったとします。 一見、合理的で納得感のある制度に見えるかもしれません。ただ、その制度が「全体最適」ではなく「部分最適」になっていた場合、実は気づかぬうちに“崩壊への一歩”を踏み出しているかもしれません。
最も厄介なのは、それがまったく違う形で、まったく違う文脈の中で、時間差で発生するということです。
施策そのものが悪かったのではなく、“副次的な問題”を生み出す構造になっていたことに気づくのは、3年後だったりもする。だから当事者は気づけない。もしくは「なぜこうなったのか」がわからない。それを、“その時点で先に知っておく”という感覚。 これが第4次元の視座なんじゃないかなと思っています。
3-4. 内的な次元があることへの気づき
外的第三次元(宙に浮かぶ)、外的第4次元(時間軸を超える)を文言化してみた気づいたのですが、
「人間的な面についての視座を言語化できていない」
ということ。
例えば、事業活動をするにあたり、宙に浮かび、時間軸を超えた視座を持つ方がいたとして、ただことを「自分自身」の話になると、すごく防御的し、姿勢を見せたり、相手の靴を履けなかったり、素直ではなかったり、自分自身を客観視できないような、そんな方がいらっしゃるなと感じていました。
つまり、視座は「外的(外面)」と「内的(内面)」が存在すると言うこと。本ブログのアジェンダ3番で説明して参りましたのは「外的」中心であるため、「内的」についての視座についての言語化もすることにしました。
4. 内的視座の次元─ ─“自分の中の構造”に向き合う力とは何か
前項目まで「外的な視座」についてお伝えしてきましたが、視座を語るうえで、もうひとつ重要なのが「内的な視座」です。
外的視座が“構造や全体最適、時間軸”などの「外の世界」にどう向き合うかであるのに対して、
内的視座は「自分自身の中の構造」にどう向き合うかという話になります。
つまり、「人間としてどう在るのか?」「自分の中にどんな矛盾が存在しているのか?」「それをどう保持するのか?」という感覚です。
実は、前項目までを書いている途中で僕自身にも新しい気づきがありました。それは、どんなに外的な次元が高くても、内的な次元が育っていないと“視座が整った”とは言えないということです。
たとえば、ある経営者が宙に浮かんで全体最適を見ていて、時間軸の超越をして未来の因果までも見えていたとしても、いざ自分の話になった途端に防御的になってしまう。相手の靴を履けなかったり、自分自身の課題に素直になれなかったりするケースをよく見かけます。
僕自身も以前はそうでしたし、ここ数年でようやく、少しずつ“内的な視座”を持てるようになってきたように思います。本項目では、そんな「内的な次元」について、整理していきたいと思います。
4-1. 自分でも気づいていない自分を知ることができる
「内的視座」と言う難しい言葉を使っていますが、言い換えるのであれば「成人発達理論における発達段階」と同じ位の話になります。ただ、「発達段階」と言う言葉自体も専門用語になるため、理解をすることが難しいと思います。
本項目だけで、とてつもなく長文のブログが欠けてしまうため、なるべく完璧にまとめていこうと思うのですが、「内的視座」は「自分でも気づいていない自分を知ること」のファーストステップだと思っています。
この内的視座を上げるために、僕は様々な「人材開発」の類の用語と概念を学びました。例えば、
• メンタルモデル
過去の経験から無意識に形成された「思い込みの枠組み」
• シャドウ
自分の中で抑圧・否認している“見たくない自分”の側面
• サブパーソナリティ
内面に存在する複数の人格的な側面(例:無邪気な子供、批判者)
• インテグラル理論
自己・他者・文化・システムを統合的に捉える発達理論の枠組み
• 補いの声
不安や恐れを覆い隠すように発される“裏メッセージ”
• ヒーローアーキタイプ
無意識に演じている“理想の自分像”に気づくための枠組み
これらを深く学ぶと同時に、大きな気づきを得ました。それらを取得するために様々なワークを実施しました。例えば、
• 推論のはしご
自分の思考や判断の前提・プロセスを段階的に可視化するワーク
• 左側のセリフ
対話の裏にある“心の声”や未言語化の前提を掘り起こすワーク
• 2on2
相手の問いによって自己の奥底に潜っていく対話型自己探究
• 深層歪曲ワーク
思考や感情の歪み・偏りを見つけ、自分の解釈を修正する探究手法
• 免疫マップ
変化を妨げる“見えない抵抗”の構造を可視化・解体するための図解
• ヒドゥン・アジェンダ
表には出さないが、行動の根底で自分を縛っている“隠れた動機”
これらはものすごく深い自己探求で、内的視座を上げるにはものすごく適したワークであったと思っています。
また、自分にとっては“正しい行動”が、相手にとっては矛盾して見えるということはよくあると思います。
たとえばこんなケースです:
「メンバーに任せたい」と「最後は自分が確認したい」が同居している
「柔軟でありたい」と「自分の正しさは曲げたくない」が同居している
「変化を受け入れたい」と「安心できるルーティンに戻りたい」が同居している
「責任を分かち合いたい」と「評価は自分が受けたい」が同居している
「対話を大切にしたい」と「無駄な時間を使いたくない」が同居している
「新しいことに挑戦したい」と「今ある成果を失いたくない」が同居している
「厳しさを伝えたい」と「好かれていたい」が同居している
「透明性を大事にしたい」と「自分の本音は見せたくない」が同居している
「仲間を信じたい」と「失望したくないから距離を置きたい」が同居している
「ありのままでいたい」と「成果を出せる自分でいたい」が同居している
このような“内的な矛盾”を、高い視座で捉えることができなければ、自分自身も苦しくなりますし、周りの人たちも戸惑わせてしまう可能性があります。なぜならば、無意識的に「言っていること」と「やっていること」がずれてしまうからです。
4-2. 成人発達理論との接続──内的第3次元と第4次元の理解
この感覚を整理する中で、「成人発達理論」に出会ったことも大きな転機でした。
この理論では、人間の内面にも次元(段階)があるとされています。 それを僕なりに整理したものが以下です:
第1次元(反応次元):感情や欲求がそのまま行動に反映される。自己と反応が一体化している状態。
第2次元(関係性次元):自分と他者の違いに気づくが、他者の期待に強く影響される。承認欲求が強く、「いい人」であろうとする。
第3次元(自我構築次元):複数の価値観や欲求が自分の中に“同居している”と気づくが、その矛盾に混乱する。「本当の自分って何?」と探すフェーズ。
第4次元(構造編集次元):その矛盾を“構造”として捉え、意味づけし直すことができる。矛盾を保持し、自己定義を柔軟に書き換える。
たとえば、「任せたい」と「確認したい」の両方が自分の中にあることを受け入れて、そのうえで“どちらを選ぶか”を文脈によって調整できる。 このような状態が、第4次元の内的視座だと思っています。
4-3. 内的 × 外的 × 第n次元の整理をする
ここまでの内容を整理すると、下記の表で表現することができると思っていますので、ご覧いただけますでしょうか。あくまでも僕の認識でまとめた内容になりますので、ご認識までお願いします。


4-4. 掛け算の視点──外的×内的の成熟度
ここまでくると、視座というのは「外的な高さ」×「内的な深さ」の掛け算で成立しているんだなと感じています。
たとえば:
外的第3次元 × 内的第2次元
全体最適は語れるが、自分の感情や内面を扱う力が弱く、防御的な態度になる。表面的には良いことを言っていても、自分自身の話になると固まってしまうような状態。
外的第2次元 × 内的第4次元
問いは深く、自分の内面にも深くアプローチできるが、ビジネス上での構造理解や全体設計、メタ認知、システム思考にはまだ課題がある。思考の深さはあるけれど、全体を見渡す力が弱く、戦略に落とし込むことが難しい印象。
そして、両方の成熟度が高い人こそが、真に視座の高い人なのだと思います。
この“掛け算”に気づけたことで、僕自身の中でも視座というものがだいぶ立体的に理解できるようになった気がしています。
5. 掛け算で捉える──視座の成熟とはどういうことか?
ここまでの整理を経て、視座というものは「外的な構造理解」と「内的な自己理解」の掛け算で成り立っているということに、強く納得するようになってきました。
この感覚を得たことで、視座という概念が一気に立体的に、自分の中に定着したような実感があります。
5-1. 外的視座と内的視座は独立して存在する
まず、外的な視座と内的な視座は、それぞれ独立した成長軸として存在しています。
たとえば、
外的視座が高くても、内的視座が低い人は、「良いことは言うけれど、自分の話になると途端に防御的になる」
一方で、内的視座が高くても、外的視座が低い人は、「自分の内面の問いは深いが、ビジネス構造への理解や全体思考が弱い」
この2つの軸は、それぞれが重要で、かつ、片方だけが高ければいいというものではないのだと思います。
5-2. 外的第n次元 × 内的第n次元の“掛け算構造”
ここで、自分の中でかなり腑に落ちた考え方がありました。
それは「外的第n次元 × 内的第n次元」という掛け算の存在です。
たとえば、
外的第3次元 × 内的第2次元:
全体最適と部分最適のバランスを客観的に把握できてはいるけれど、自分の内面のことになると、感情を扱いきれず、防御的な姿勢になる。
つまり、組織や戦略については鋭いことを言えるが、自分の影や未熟さについては向き合わず、言い訳や外的要因に逃げてしまう。
外的第4次元 × 内的第2次元:
時間を超えて未来の構造や副作用まで見通せるような人でも、内面では他者の目を過剰に気にしていたり、自分の弱さを直視できなかったりする。
この場合、「賢いけれど、防御的で、どこか近づきにくい人」になりやすいと感じています。
逆に、
外的第2次元 × 内的第4次元:
自分の矛盾や葛藤を深く捉え、統合しながらも、ビジネス上では局所最適しか見えていない状態。
深い問いは持てるが、実務上の意思決定や構造的な俯瞰が弱く、成果に結びつきにくいことがある。
5-3. 両方の成熟を目指すという選択肢
ここまで見てくると、最終的には外的にも内的にも“第3次元・第4次元”を扱える人材こそが、視座の高い人なのだと感じます。
そして、それは決して“完璧”を意味するものではなく、むしろ「未熟さ」や「矛盾」や「複雑さ」を前提としながらも、それらを保持し、構造として扱えるというあり方なのだと思います。
僕自身、まだその領域に完全に到達しているわけではありません。ただ、少なくとも今は、「その掛け算の存在に気づけている」ということ自体が、大きな資産になっていると感じています。
この先、自分自身がさらにどんな成長をするのかはわかりませんが、こうやって「外的×内的」「水平×垂直」といった構造で世界を見つめることができるようになったことが、これからの人生や仕事において、確実に指針になってくれるのではないかと、そんなふうに思っています。
最後に
ここまで、少し長めの文章になってしまいましたが、視座というテーマについて、自分の言葉で整理をしてみました。
書きながら、「ああ、こういうことだったのかもしれない」と自分で再認識するような瞬間も多く、僕自身にとっても、とても有意義な時間になりました。
冒頭でもお伝えしたとおり、「視座」という言葉はとても抽象的です。
ただ、その抽象的な言葉の中に、自分の成長や、組織の進化、そして未来の選択肢までも含まれているのだと、今は実感しています。
僕自身、まだまだ発展途上です。
内的にも、外的にも、まだ見えていない自分がたくさんあると思いますし、これからも視座が崩れる瞬間や、自分の未熟さに向き合う場面もあると思っています。
でも、それでもなお、この「視座」というテーマに向き合うことができるようになってきたこと自体が、1つの成長なのかもしれません。
そしてこの感覚は、僕個人のためだけではなく、チームや会社、社会の中で生きる誰かにとっても、何かしらのヒントになるのではないかと感じています。
もしこの記事を読んでくださった方の中で、「最近、自分の感覚が少し変わってきたかもしれない」「視座って、確かにある気がする」と思ってくださった方がいたら、とても嬉しく思います。
今後も引き続き、自分の言葉で、構造で、社会と対話していきたいと思います。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
