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桜餅

春が好きだ。どうして?と訊かれると、「気温がちょうどいいから」とか、「ぽけぽけとした眠たい空気感がいいから」とか、「花見で盛大に外飲みできるから」とか、そういう理由を人に答えてきた。実際パッと思いつくのはそういう点なのだけど、じっくり考えてみると、春という季節はそんなに呑気でもない感じがする。

得体の知れなさがある。
冬の寒さがまだ残っていて、そこに生ぬるい風が吹いている。そのアンバランスさが奇妙で。夢か現かというぼんやりとした空気感のなか、出会いやら別れやら、世の中はもぞもぞと変わっていって。
常にモヤがかかっているような。世界にしても、人にしても、思考にしても。

やわらかい不気味さを醸している。そんなところがなぜか好きだ。あんまりくっきりはっきりしすぎていると疲れるからかもしれない。正気で居続けるにはしんどすぎるぜ人生。

川上未映子『春のこわいもの』(新潮文庫)読んだ。この季節のモヤを味わうにはぴったりな短編集。

まず帯で引用されている本文の怖さ、よーーくわかる。

 思いがけない電話がかかってきたとき。
 もう何年も音沙汰のなかった人の名前をメールの差出人欄に見たとき。
 べつに自分が何かした覚えもないのに、不安とも後悔ともつかない感情が突きあげて緊張が走り、一瞬で汗をかく。そういう予期せぬ小さな再会が、わたしは怖い。

「娘について」より

こういう「予期せぬ小さな再会」は、春ならではだと思う。
環境が変わったりで、ふと懐かしのあの人は最近どんな感じなんだろうなんて考えたりして、連絡してみようかな〜と思い立つものなのかな。私は毎年そんなに変わりないし、自分から連絡するのが苦手でまず送らないのでよくわからん。

そういえば最近、覚えのない人からLINEがきて震えている。「お久しぶりです。GWにそちらに遊びに行くのですが、ご飯とかどうですか?」的な内容だった。
酔ってるときに交換した人なんだろうか。名前はカタカナで「タカシ」みたいな、よくある名前。プロフィール画像設定なし、ステータスメッセージも設定なしで、背景画像が外国かどっかの町並み。情報なさすぎる。誰なんだ。

わからんすぎるので未読で置いておいたんだけど、こりゃ過去のトーク見ないと手がかりないぞと思って、意を決して夜中に開いてみた。
やりとりがない。誰なんだよ。怖いよ。「○○です。よろしくお願いします」「こちらこそ。また飲みましょう!」みたいなんあるじゃん普通。
えーーー。交換はしちゃったけどおそらく会うことないだろうと思ってトーク消しちゃったのかな。とりあえず放置してある。自己紹介送ってきてくれ、飯はそれからだ。

本の話に戻ると、帯に引用されていた「娘について」という短編が、心をガリガリと刮いでくる感じで絶妙なイヤさだった。
貧しく放任主義な環境で育った主人公と、裕福で過保護気味な家庭で育った親友、この二人がそれぞれ小説家と女優という夢を追いながら東京でルームシェアをする。

「自分は何者かになれるのだろうか」と必死にもがいている時期に、この親友のような、ゆるーく活動しつつ暮らしに困ることはなくて、最悪戻るところもあって、みたいな恵まれた環境にある人が身近に居たら、そりゃモヤモヤする。
親友は親友でそういう「恵まれた環境」に縛り付けられているんだけど、こっちとしては正直「知らねえよ」だよね。余裕ねんだわ。

しかし好機というものはランダムに訪れるもの。いやこいつが軌道に乗るとかありえないでしょ!という気持ちが湧いてきてしまうのも必定。つい阻害してしまうのも。

誰にでもきっとある邪悪さだと思う。自分の奥底にあって、見ないようにしている黒い部分。
そういう禍々しいものが、ふわふわした桜色の包みの中にそっと詰め込まれている。という印象の短編集だった。春霞のような読後感。

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