【童心読書】『火曜日のごちそうはヒキガエル』が大人にこそ刺さる、3つの意外な深み
きのころさんに勧められて読んだ『火曜日のごちそうはヒキガエル』。
きのころさん曰く、「わくわく、ドキドキ、ほのぼの、ハラハラ、じ〜ん」」
の展開だそうで、ほんとかな?と思い読みました。
ホントでした!!!
こちらがきのころさんの記事です。
これを読んだら読まずにいられなくなり、探してやっと入手しました。
そこで今日は、この『火曜日のごちそうはヒキガエル』について書いてみたいと思います。
この少し風変わりで、どこか不穏な響きを持つタイトルから、皆さんはどんな物語を想像するでしょうか。
捕食者と獲物のスリリングな物語?
それとも、ユーモラスなどたばた劇?
1974年にラッセル・E・エリクソンによって発表され、今なお読み継がれているこの児童書は、筋書きだけを見ればとてもシンプルです。
けれど読み終えたあと、なぜか心に残り続ける。
そんな静かな余韻を持った一冊でもあります。
今回は物語の展開や結末には触れず、
「なぜ今、大人にこそ読んでほしいのか」を、3つの視点から書いてみます。
① 冷たい原題と温度のある邦題
原題は A Toad for Tuesday。
直訳すると、「火曜日のためのヒキガエル」。
感情の入り込む余地がなく、
どこか事務的で、目的だけが前に出た言葉です。
一方、日本語タイトル
『火曜日のごちそうはヒキガエル』 は、
「ごちそう」という、温度のある言葉をあえて選んでいます。
この直訳と意訳の落差は、
物語を読む前から、私の中に小さな違和感を生みました。
そして読み終えたあとになって、
「ごちそう」という言葉の意味が、
最初とは違って感じられたのです。
タイトルそのものが、
すでに物語の入口であり、
同時に余韻の一部になっているように感じました。
私だけかな?
② ウォートンは、とにかく「いいやつ」
この物語の主人公、
ヒキガエルのウォートンには、
読み終えたあと、多くの大人が
きっと同じ感想を抱くはずです。
「なんていいやつなんだ」と。
ウォートンは、
誰かを説得したり、
何かを勝ち取ろうとするタイプではありません。
ただ、自分にできる範囲で、
相手の時間の中にちゃんと存在しようとする。
その在り方が、
物語の空気を、少しずつ変えていきます。
読み終えたとき、
「なんていいやつなんだ」と
思わず口に出してしまう理由は、
そこにある気がしました。
その姿勢はとても地味で、
劇的な活躍とは無縁です。
でもだからこそ、
彼の蛙性(人間性と言ってもいい)は、
大人の心に強く残ります。
自分を守るために鎧を重ねてきた私にとって、
あの誠実さは、少し眩しいのです。
③ 「最後」に来る感動
この本は基本的に、
ウォートンの視点で進んでいきます。
ところが物語の終盤、
それまで多くを語らなかった存在が、
ぽつりと、言葉を置いていく。
それは、
名言集に載るような派手なセリフではありません。
けれど、
それまで積み重ねられてきた時間があるからこそ、
その一言は、驚くほど重く響く。
ここで大切なのは、
その言葉が感動的だから、というより
ウォートンの在り方が、その言葉を生んだ
という点です。
思いました。
「これが、きのころさんの語っていた『じ〜ん』なんだ」と。
ああ、読んでよかったです。
ありがとうございます。
こんな素晴らしい本を教えてくださる、
きのころさんってなんて素敵な人なんだ。
心からそう思いました。感動の相乗効果です。
まとめ:やさしさは、説明されないほうが強い
『火曜日のごちそうはヒキガエル』は、
冷たい原題と、温度のある邦題
自分にできることを誠実に行う主人公
最後にそっと置かれる言葉
これらが重なって、
大人の心にも届く読後感を生み出しています。
大きな出来事は起きません。
でも、
誰かの生活に少し触れることが、
関係をいい方向に動かしていけるのかもしれない。
そんな可能性を、
この本は説明せずに、手渡してきます。
最後に、ひとつだけ。
「最近あなたが味わった「ごちそう」は、何でしょうか?」
忙しい日々の中で、
見過ごしていた何かを、
そっと思い出させてくれる一冊です。
個人的な感想
やはり「赤」はいいですね。(そこじゃない)
忘れた頃に感動が来ました。(笑)

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読んだ本
・出版社公式作品紹介(評論社)
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