空から落ちてきた少女が俺に世界の敵と言った 第5話「選べていないあと」
第5話
目を開けた瞬間、右側に体温がある。
近い。
遅れて、部屋の輪郭が追いつく。
ルナがいる。
——そこに至るまでの過程が、思い出せない。
カイは上体を起こす。
シーツが擦れる。
その音だけが、やけに現実的だ。
「いつからそこにいる」
ルナは少しだけ考える。
「さっき」
短い。
その“さっき”が、どこにも繋がらない。
昨日、店に戻った。
椅子に座った。
そこまではある。
だが——
今の距離に至る線がない。
カイは息を吐く。
「繋がらない」
言葉にすると、それだけが残る。
ルナが立ち上がる。
布の擦れる音。
「外」
カイは顔を上げる。
「外?」
「確認」
意味は足りない。
だが、拒否する理由も浮かばない。
カイは立ち上がる。
——もう立っている。
動き出す前の感覚がない。
玄関へ向かう。
ルナは先にいる。
その位置も、最初から決まっていたみたいに動かない。
ドアを開ける。
外の空気が入る。
通りはいつも通りだ。
人がいる。
車が通る。
風が抜ける。
何も壊れていない。
ルナが歩く。
カイはその後ろにつく。
距離は近い。
変わらない。
詰めてもいない。
離れてもいない。
ただ、揃っている。
「どこに行く」
言った感覚が遅れてくる。
ルナは振り返らない。
「見えるところ」
歩く。
見慣れた道。
のはずだ。
だが、その確信だけが弱い。
角を曲がる。
視界が開ける。
オープンカフェ。
テーブルが並んでいる。
ルナが止まる。
「ここ」
カイは足を止める。
決めた記憶はない。
だが、迷いもない。
そこにいる。
座る。
——座った瞬間、隣にいる。
椅子を引いた感覚は曖昧だ。
だが、距離だけははっきりしている。
最初から、こうだったみたいに。
カイは横を見る。
ルナがいる。
近い。
変わらない。
ウェイトレスが来る。
「ご注文は?」
カイはメニューを見る。
読める。
意味も分かる。
だが——
選ぶ前が、ない。
ルナが指を差す。
「これ」
示しているだけだ。
選んでいるようには見えない。
カイは別のものを頼む。
口が先に動く。
理由は残らない。
注文は通る。
会話も成立している。
世界は正常だ。
料理が運ばれてくる。
皿が置かれる。
音が、少し遅れて届く。
カイは皿を見る。
湯気。
匂い。
現実だ。
口に運ぶ。
気づくと、皿が少し減っている。
食べたはずだが、その途中がない。
横を見る。
ルナがいる。
距離は変わらない。
カイは体をわずかにずらす。
半歩。
——変わらない。
次の瞬間、距離は元に戻っている。
動いた感覚だけが残る。
カイは視線を落とす。
テーブル。
皿。
手。
全部、正常だ。
「一つ聞く」
声は低い。
ルナは答えない。
拒否でもない。
ただ、そこにいる。
カイは続ける。
「ここに来る前、俺は何を選んだ」
ルナは少しだけ間を置く。
「選べてない」
短い。
それだけ。
カイはすぐには返さない。
言葉を探す。
だが——
探す前が、ない。
「……そうか」
納得はしていない。
だが否定もできない。
皿を見る。
減っている。
食べた結果だけが残っている。
皿が空になる。
いつ終わったのかは分からない。
だが、終わっている。
ウェイトレスが皿を下げる。
音が遅れて届く。
周囲のざわめきが戻る。
風。
会話。
足音。
全部、正常だ。
ルナが立ち上がる。
気づいたときには立っている。
「行こ」
小さい声。
カイは立ち上がる。
——もう立っている。
椅子の音が後から来る。
ルナは歩き出している。
カイはその後ろにつく。
距離は変わらない。
近いまま。
揃ったまま。
カイは一度だけ足を止める。
止めた感覚が、遅れて来る。
それでも——
距離は変わらない。
動いた感覚だけが残る。
今日分かったことは一つだけだ。
——選ぶ前に、結果だけがある。
だが。
その結果が正しいのかどうかだけは、
まだ、分からない。

