「やめたい」。杖の僕と、コートでフルスロットルの娘。――火花を散らして走る君に、僕は何も言えなかった
はじめに
「塾、辞めたいんだけど」
中学3年の初夏、部活の引退が近づき、周りの誰もが「ここから受験モードだ」と目の色を変えて塾に通い始めるこの時期に、次女がぼそりと言った。
夕食の片付けをしている妻の後ろ姿に向かって、引き止める隙を与えないような、まっすぐな声だった。
部屋の隅でそれを聞いていた僕は、小さな衝撃とともに、胸の奥がすっと軽くなるのを感じていた。
思えば、彼女が自分の人生において「何かを辞める」という明確な意思表示をしたのは、これが初めてだった。
第1章:優秀な「後追いランナー」の限界
振り返ると、彼女は常に「優秀な後追いランナー」だった。
数年先を走る姉の背中を見上げながら、その足跡を正確になぞるように育った。
姉が入ったからという理由で始めたミニバスケットボールでも、彼女は持ち前の負けず嫌いを発揮した。
姉に追いつきたい、負けたくない。
その一心で、泥臭く、無茶苦茶に練習する子だった。
気づけば僕もチームのコーチになり、指導に熱が入った。
彼女はめきめきと頭角を現し、地域の選抜チームにも選ばれた。
誰もが認める、チームのヒーローだった。
中学に進学しても、その無双モードは続くものと、誰もが信じて疑わなかった。
しかし、彼女を待っていたのは、努力や根性だけではどうにもならない、残酷な身体の壁だった。
周りの選手たちの身長がぐんぐんと伸びていく中、次女の身長はピタリと止まった。
最初は、これまでの圧倒的な練習量と技術の貯金で、なんとかカバーできているように見えた。
いや、親である僕たちが「カバーできているはずだ」と思い込みたかっただけなのかもしれない。
最上級生になり、彼女たちがチームの主軸になった頃、彼女のプレイを見るのは、正直に言えば少し苦しかった。
それはまるで、高速道路を、軽自動車がフルスロットルで火花を散らしながら爆走しているかのようなプレイだった。
ディフェンスに入れば、体格のいい相手に文字通り吹き飛ばされる。
果敢にオフェンスで突っ込んでも、上空から無慈悲なブロックショットを喰らう。
外から放つ3ポイントシュートは、リングに届かないことも多い。
それでも彼女は、一切の手を抜かなかった。
さらに残念なことに、彼女は学業も優秀だった。部活で土日までボロボロになるまで動き回り、帰宅してから深夜帯を中心に猛勉強を重ねた。
完璧でありたかったのだろう。
結果として、慢性的な寝不足とストレスが彼女の身体を蝕み、皮肉にもそれがさらに「身長が伸びない」という悪循環に拍車をかけたようだ。
周囲から体格に関する心ない言葉を浴びせられたこともあったらしい。
それでも彼女は走り続けた。
僕がそうであるように、途中で投げ出すことは悪だと、教え込まれてきたかのように。
第2章:我が家にいた「昭和チックなコーチ」
だが、限界は静かに訪れていた。
部活を引退する少し前、彼女は僕に隠れて、妻にだけ本気で泣きながら胸の内を明かしたのだという。
「もう、バスケを続けたくない。私には、バスケ以外の選択肢がなかった」
妻からその話を聞かされた夜、僕の子育ての価値観は、音を立てて崩壊した。
そして同時に、冷や水を浴びせられたような恐怖を感じた。
僕の中では、ただの「父親としての普通の叱責」や「ちょっとしたアドバイス」のつもりだった。
だが、彼女にとっては違ったのだ。
家の中でも、僕の背後には「昭和チックな怖いコーチ」の影が常にチラついていた。
ノッているときはいい。
けれど、ひとたび「やらかし」たとき、父親である僕にとって普通の叱りが、彼女にとっては1000倍くらいビビる対象になっていた。

僕は無意識のうちに、「こうあるべき」という息の詰まるようなレールを家庭内に醸し出し、彼女から逃げ道を奪っていたのだ。
良かれと思って敷いたレールが、我が子を追い詰める凶器になっていた。
その傲慢さに、背筋が凍る思いがした。
第3章:「選んだ」のではなく、「選ばされていた」
選択肢がなかった、という言葉に、最初は少し反発を覚えた。
自分で選んでバスケを始めたじゃないか。
中学入学前から自主練にも行っていたし、誰かに無理やりやらされていたわけじゃない——そう言いたくなる自分がいた。
でも、少し冷静になって振り返れば、分かることがあった。
しかも、僕自身がチームのコーチになったことで、バスケは我が家の生活の中心に居座るようになった。
保護者付き合いも、地域とのつながりも、すべてがバスケを軸に回っていた。
中学入学前から練習に参加させ、コーチである父親が家にもいる。
そんな環境で「バスケをやらない」という選択肢を、彼女はそもそも持たされていなかったのだ。
「選んだ」のではなく、「選ばされていた」——彼女の言葉は、そういう意味だったのかもしれない。
それだけではなかった。
僕が退院して、まだ杖に頼りながらの生活を始めた頃。
彼女は、誰に言われるでもなく、いつも以上に必死にコートを走っていた。
「怪我をしたパパに、頑張ってる姿を見せたい」
そんな言葉を、彼女は口にしたことはない。
でも、あの時期の彼女のプレイを思い返すと、そうとしか思えない必死さがあった。
生真面目な彼女らしい、不器用な優しさだったのだろう。
父親を励ますために、娘が身体を壊れる寸前まで追い込む。そんな構図に、僕は長い間気づけなかった。

第4章:走れなくなって、初めて分かったこと
もし怪我をする前の僕だったら、あの告白を聞いてもなお、「頑張れ」と言っていた気がする。
走れる父親のまま、コートの外から声を張り上げていたと思う。
だが今の僕は、走れない。
杖をついて、コートの外に立つことしかできない。
彼女が全力で走る姿を、ただ見ていることしかできない自分に、何度も歯がゆさを感じてきた。
けれど、皮肉なことに、その「走れなさ」が、僕に一つのことを教えてくれた。
「頑張れ」は、言う側が背負うものを何も背負わずに言える、一番簡単な言葉だったのだと。
彼女に「辞めたい」という言葉を無理に飲み込ませていたのは、他ならぬ僕自身だったのだと、ようやく気づけたのだ。
だからこそ、周りが受験に向けてラストスパートをかけるこの時期に、彼女が口にした「塾を辞めたい」という言葉は、僕にとって極上の救いだった。
彼女が初めて、僕の顔色を伺うのをやめ、自分の意志でレールを降りる決断をした瞬間だったからだ。
「いいんじゃない、辞めても」
僕がそう言うと、彼女は少し拍子抜けしたような顔をして、それから嬉しそうに笑った。
第5章:自分で組んだ、だらしなくて愛おしいスケジュール
それからの我が家は、少しだけ変わった。
何より、部活を引退し、塾を辞めてから、家族の会話が確実に増えた。
僕のトーンも、彼女の受け取り方も、どこか柔らかくなった気がする。
塾を辞めた彼女は、決して怠けているわけではない。
彼女なりに「自分製のスケジュール」を組み、一応は机に向かっている。
夕方に「一旦仮眠をとる」というマイルールを挟み、夜中にかけて、勉強や自分のやりたいこと、頼まれごとを黙々とこなしている。

自分で選んだ時間だからこそ、そこにはかつての「深夜の猛勉強」にあったような張り詰めた悲壮感はない。
自分の時間を自分の意志でコントロールしている、だらしなくも健康的な時間がそこには流れている。
そんな風に、ようやく自分の人生の地図を自分で広げ、自分の足で歩き始めた彼女だが、実は一つだけ、おもしろい欠陥がある。
極度の、方向音痴なのだ。
コート上であれだけパスコースを読み、見事な「空間認識能力」を発揮していたくせに、一歩外に出ると、電車の「上り下り」すら分からない。
しかも、すぐに乗り物酔いをする。

だからこれまでは、どれだけ遠い遠征先であっても、ママチャリをフルに漕いで、物理的に自力で目的地まで行くという、おそろしく力技な移動をしていたらしい。
最近になって、ようやく「隣の駅までの電車の乗り方」を学習したレベルである。
時折、スマホを片手に、自分で選んだ大好きな友人との待ち合わせ場所に向けて、大真面目に真逆の方向へ歩いていっては、道に迷っているようだ。
結び:思いきり迷子になりながら、生きていく
でも、それでいい。いや、それがいいのだと思う。
親が敷いた、絶対に迷わないはずの高速道路を、火花を散らしながらフルスロットルで走らせる必要なんてなかった。
これからの彼女の人生は、きっと迷子だらけだ。
高校受験という最初の岐路を越え、新しい街に行けば、何度もルートを間違え、電車を乗り違え、誰かに手を引かれながら進むことになるのだろう。
怪我をして、走ることも、追いかけることもできなくなった。父親としてのインプットの足りなさに、何度も焦った。
でも、走れなくなったからこそ、見えたものがある。
正解のレールなんて、最初からなかった。
「頑張れ」も「諦めるな」も、あの頃の僕が、何も背負わずに口にしていた言葉だったのかもしれない。
自分で選んだ道を、思いきり迷子になりながら、ゲラゲラ笑って進んでいく彼女のちぐはぐな後ろ姿を、僕はこれからも特等席で見守り続けていきたい。
杖をついて、僕も、隣で少しずつ迷子になりながら。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
人それぞれ感じ方は違うと言いますが、私と同じような気持ちを抱えている方々にとって、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
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