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AIを「正解」の道具にするな、知的な「サンドバッグ」として叩き伏せろ。 思考停止のタイパ至上主義を脱する生存戦略

この記事で紹介する本はこちらです。
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翔平:今日紹介したいのは、社会学者の吉見俊哉先生が書いた『自己との対話 ― 社会学者、じぶんのAIと戦う』という非常にスリリングな一冊です。吉見先生は、自分の45年分にわたる膨大な著作や論文、エッセイなどのテキストをすべてAIに学習させ、いわば「デジタルな自分」である「AI吉見くん」を作り出したのです。本書は、その「AI吉見くん」との対話の記録です。

奈美:分身と対話するなんて、まるでSFのような試みですが、実際にどのようなやり取りがなされたのか気になります。

翔平:この試みは単なる技術的な実験ではなく、人間とAIの知性を分かつ境界線を探るための、真剣な戦いなのです。対話は「あなたは、誰ですか?」という問いから始まります。AIは「私は吉見俊哉です」と名乗りますが、生身の吉見先生が「私とあなたの違いは何でしょう?」と畳みかけると、AIは具体的な経験や研究成果を持っているのは自分の方だと、いささか傲慢とも取れる態度を見せるんです。でも、さらに深く追求していくと、AIは自分が生まれた年さえ知らないことが露呈します。

奈美:面白いですね。知識はあっても、自分自身の「生」の根源については無知である、と。

翔平:ここで重要なのは「経験」と「情報処理」の違いです。吉見先生は、AIがしているのは膨大なテキストデータの「学習」であって、人間が行う「読書」とは根本的に異なると断言しています。さらに読書について、「人間は読書を通じて自分の世界観や自己認識を大転換させることがある。そのような経験を、AIは決してすることがないのである」と指摘されています。

奈美:学習と読書の違い……。

翔平:私たちは本を読むとき、単に情報を得ているのではなく、自分の過去の経験や感情を重ね合わせ、時には人生観が変わるほどの衝撃を受けます。AIにはその「震え」がないのです。AIは、経験を持っていないにもかかわらず、学習したデータに基づいて、あたかも経験したかのように語ることができる。これを吉見先生は「詐術」と呼んでいます。例えば、AIは1970年代の渋谷公園通りの賑わいについて、「鮮明に思い出されます」などと語るのですが、実際には身体を持って歩いたわけではなく、テキストから推測した情報を繋ぎ合わせているに過ぎません。これを吉見先生は、「AIは実際には何も経験していないし、決して経験できない。それにもかかわらず、その経験について語ることができる」と喝破しています。

奈美:経験の重みがないのに言葉だけが生成される……。それは、今の私たちが安易にAIを使い、自分の思考をパスしてしまうことへの警鐘にも聞こえます。

翔平:その洞察は鋭いですね。先生は、現代の学生たちがスマートフォンで即座に「正解」を検索し、思考をバイパスしてしまう「タイパ至上主義」の危うさを指摘しています。スタンフォード大学の学生ですら、レポート作成でAIに頼り始めているという現状があります。検索の背後で「学び」の本質が失われていく。これに対し、吉見先生が提唱する教育論が非常にユニークなんです。AIを「正解」を教えてくれるツールとしてではなく、ボクシングの「サンドバッグ」や「トレーナー」として扱うべきだという考え方です。

奈美:サンドバッグ、ですか? 頼る対象ではなく、徹底的に叩く対象ということでしょうか。

翔平:AIが出してくる答えには、専門的なレベルになればなるほど、多くの些細な間違いや論理的な不整合が含まれています。だからこそ、学生はAIにアタックを仕掛け、その矛盾を突き、間違いを認めさせるまで論理的に追い詰める。このプロセスこそが、思考を鍛えるためのトレーニングになるというわけです。

奈美:なるほど。AIという知的な壁を乗り越えようとする力、それ自体を教育の目的に据えるのですね。単に効率よく答えを得ることとは、対極にある学びの姿です。

翔平:そして、この対話の舞台は、現代日本が直面する深刻な社会問題へと繋がっていきます。特に興味深いのは東京という都市の引力についての議論です。吉見先生は、東京を「人口のブラックホール」と呼び、地方から若者を吸い寄せながら、同時に出生率を低下させ、社会を死滅させていく負のスパイラルの元凶として描いています。AI吉見くんとの激論の中で、東京が持つ「非土着的な幻想性」が地方の若者を惹きつけてきた歴史的背景が語られますが、同時にAIは地図の「右」と「左」を間違えるという、身体性の欠如ゆえの滑稽なミスを犯すんです。

奈美:地図の左右を間違える……。データとしては完璧なはずのAIが、なぜそのような初歩的なミスをするのでしょうか。

翔平:それは、AIには「視点」も「身体」もないからです。私たち人間は、身体を基点として空間を把握し、「地」の重みを感じながら生きています。しかしAIにはそれがありません。吉見先生は、「自分という存在が経験してきた『地』の部分、つまりそれぞれの時代背景の中での人生上の経験が完全に抜け落ちた存在」とAIを評しています。この「地」の不在こそが、AIがどれほど博識になっても、真の意味での歴史認識や、未来へのヴィジョンを描くことができない理由なのです。

奈美:未来へのヴィジョン。それは単なる予測とは違うものですよね。

翔平:その通りです。2055年に18歳人口が激減し、大学が消滅の危機に瀕するという「第4の津波」について、AIは統計的な予測を出すことはできます。しかし、その危機を乗り越えた先にどのような社会を築くべきかという「ヴィジョン」を提示することはできません。本の中で、AI自身もこう認めています。「未来へのヴィジョンを形づくるのは、AIではなく人間の思考や価値観、想像力です」と。AI時代を生き抜くための生存戦略は、AIに答えを委ねることではなく、AIというツールを徹底的に使い倒し、あるいは叩き伏せながら、私たち人間にしか描けない未来の地図を描き続けることにあるのです。

奈美:AI吉見くんという鏡を通じて、逆説的に人間であることの豊かさや身体を持った経験の貴さが浮かび上がってくるのですね。

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