昨年出会った中で一番美しい文章が詰まった1冊。 記憶の迷宮を彷徨う傑作『ネザーランド』
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◆ 運河に沈んでいた「記憶」の正体
2006年の春、ロンドンで暮らすオランダ人証券アナリスト、ハンス・ファン・デン・ブルークのもとに1本の奇妙な電話が届きます。電話の主は《ニューヨーク・タイムズ》の記者で、かつてニューヨークでハンスの友人だったチャック・ラムキッスーンという男の遺体が、ゴワナス運河で発見されたという衝撃的なニュースを告げました。両手に手錠をかけられた状態で見つかったその「残骸」は、ハンスを4年前の、あのアメリカ同時多発テロ事件の余波に揺れるニューヨークの記憶へと引き戻します。なぜ、トリニダード出身の野心家であり、クリケットを愛したチャックはそんな無惨な最期を遂げなければならなかったのでしょうか。そして、ハンスがニューヨークで過ごした孤独な日々には、一体何が隠されていたのでしょうか。この物語は、1つの死をきっかけに、喪失と再生、そして記憶の迷宮を彷徨う、昨年出会えた中で一番美しい文章が詰まった1冊です。
◉ 9.11、その余波の中で
物語の背景を支配しているのは、2001年9月11日に起きたあの惨劇です。ハンスはオランダのハーグに生まれ、ロンドンで成功を収めた後、さらなるチャンスを求めて家族と共にニューヨークへ移住しました。しかし、テロの発生によって、彼とイギリス人の妻レイチェルの信頼関係は静かに、しかし決定的に崩れ始めます。アメリカという国が抱えた深刻な恐怖とイデオロギーの対立に耐えかねたレイチェルは、幼い息子ジェイクを連れてロンドンの実家へ帰ってしまいました。1人ニューヨークに取り残されたハンスは、かつて多くの芸術家たちが住んだチェルシー・ホテルに身を寄せ、空虚で不安定な日々を過ごすことになります。
ハンスはこの時期の自分を、人生の「アフターマス」の中にいると感じていました。アフターマスという言葉には、同じ季節に2度目の草刈りをするという意味があります。ニューヨークという街は、何度でも思い出の刈り取りを迫り、過去を適度な長さに刈り込みたいという切実な願いを抱かせる場所なのです。ハンスの語り口は独特で、まるで同僚と語らう時のように、時と場所が異なる話題へ次々とリズム良く飛んでいきますが、その全てが彼の記憶の中では深く関連し合っています。彼はチェルシー・ホテルで出会った、天使の羽を背負ったトルコ人の青年や、独り言を呟く未亡人といった奇妙な隣人たちとの交流を通じて、自らの孤独を紛らわせていました。
◉ クリケット、移民たちの「ネザーランド」
孤独の底にいたハンスを救ったのは、少年時代に親しんでいたクリケットというスポーツでした。孤独から逃れるために再開したこの競技を通じて、彼はニューヨークという大都市の、全く違った側面を垣間見ることになります。彼が所属することになったスタテン・アイランドのチームには、トリニダード、ガイアナ、ジャマイカ、インド、パキスタンなど、様々な国からやってきた移民たちが集まっていました。そこでハンスは、後に運河で遺体となって発見されるチャック・ラムキッスーンと出会います。
チャックは非常に魅力的な、しかしどこか胡散臭い事業家でした。彼はコーシャー(ユダヤ教の戒律に適った)寿司の仕出し屋を営む傍ら、ブルックリンに広大なクリケット場を建設し、アメリカにクリケット革命を起こすという壮大な夢を抱いていました。チャックにとって、クリケットは単なるスポーツではなく、文明化と民主主義の象徴であり、人種や宗教を超えて人々を結びつける道徳的な力を持つものでした。彼はハンスを自分の夢に巻き込み、未開発の草原を「ボールド・イーグル・フィールド」と名付けて整備し始めます。
しかし、チャックの夢の裏側には、不法な数字の賭け事である「ウェーウェー」や、暴力的な取り立てといった暗い影が潜んでいました。ハンスはチャックの運転手役を務めながら、ブルックリンの底辺で繰り広げられる危うい取引を目撃することになります。それにもかかわらず、ハンスはチャックとの奇妙な友情の中に、ある種の慰めを見出していました。それは、想像の世界が現実を吸収し、辛い現実から逃げ込める居場所を確保してくれるような感覚だったのかもしれません。
そうした夢想に足を掬われずにいられるのは、多くの人が思うように、想像の世界と現実の世界との境界線がはっきりしているからではなく、その反対だからだと思う。つまり、想像の世界が現実の世界をうまく吸収しているからこそ、日々の活動にはいつも想像の世界が投影され、それらしい現実の辛さや怖さから逃れたいと思う時にはいつの間にか想像の世界に逃げ込んで、そこに自分の居場所を確保できるのだ。その夢想に欠陥があったりすると、かなり面倒なことになる - その欠陥のせいで、チャック・ラムキッスーンは最悪のトラブルに見舞われたと言えるかもしれない。彼は徹底的に夢想に耽ってはいなかった。彼には、自分のいる場所といたいと望む場所の間にある溝がはっきり見えていたのだ。だからこそ、その溝を超える方法を探そうと心に決めたのだ。
◉ 失われた時間と、再構築される物語
物語はニューヨークでのチャックとの交流と、ロンドンに残した家族との複雑な関係を並行して描き出します。ハンスは2週間おきにロンドンへ飛び、別居中の妻レイチェルと息子のジェイクに会いに行きますが、そこには常にもやもやとした霧が立ち込めていました。レイチェルには別の男性の影があり、ハンスは自分の家庭が崩壊していくのを無力感の中で見つめるしかありませんでした。かつての親密な関係は失われ、2人の会話はどこか他人行儀で、事務的なものに変わっていました。
それでも、ハンスは結婚という関係を諦めることができませんでした。彼は、結婚生活における些細な、しかし大事な瞬間を、歩道に落ちている安硬貨のように拾い集め、それを心の銀行に預けるようにして繋ぎ止めていたのです。
結婚という蒸気船は、言葉のやりとりという石炭を絶え間なく燃やし続けなければならない。
奇妙なことだが、こうした瞬間が結婚生活のなかでとても大切なものになる。人はそうした瞬間をひとつひとつ、歩道に落ちている安硬貨のように嬉しそうにポケットに入れ、急いでそれを銀行に預けていくのだ。まるで債権者たちがそれを取り戻そうとしてドアをバンバン叩いているかのように。大事な瞬間とはそういうものだ、と人は気づくようになる。
ハンスにとって、ニューヨークでのクリケットの仲間たちとの繋がりもまた、かけがえのないものでした。彼らは互いの素性も深くは知らない普通の人々に過ぎませんでしたが、誰かが窮地に陥った時には黙って面倒を見合う、不思議な絆で結ばれていました。その夏を「漉し器で漉してみれば、クリケットしか残っていなかった」とハンスが回想するように、スポーツは彼にとって唯一の確かな現実となっていきました。
クリケットの仲間を大切にすることがどうしてこれほど大事なのだろう、と思うときがよくあった。他の誰よりもかけがえのない人びとだと思うときもあった。シヴの家で夜を過ごしていたら、答えが見つかった、と思った。普通の人に過ぎないチームの仲間が大切なのは、シヴが面倒をみてもらったように、僕の身に何かがあったとき、面倒をみてくれるように頼めるからだ。この事実に気づいたとき、ぼくはもうすでに充分面倒をみてもらっていたことを知った。
◉ 過去との和解、そして未来へ
チャックの悲劇的な死と、ハンスの家族の再生。この2つの対照的な物語が重なり合う時、読者は「得るとは何か、失うとは何か」という根源的な問いに向き合うことになります。ハンスは最終的にロンドンに戻り、レイチェルとの関係を修復しようと試みます。それはかつての生活の継続ではなく、別の道を進んでいった2人が、もう1度新しく出会い直すようなプロセスでした。
また、物語の中ではハンスの母の死や、かつての恋人たちの記憶も重層的に語られます。ある年齢を過ぎた人間が抱える、過去の傷跡や歪みについて、ハンスは深い洞察を込めてこう表現しています。
ある年齢を過ぎた男ともなれば、古い扉のように、いわくのあるへこみやきしみがひとつやふたつはあるもので、その男をさらに利用しようと思う女は、かなりの部分を紙ヤスリで磨いたりカンナで削ったりしなくてはいけない。
ハンスは母の追悼会で、母が晩年に交流していたイェルーンという男性から、女性を口説く際の大切な教訓を聞かされます。それは、時間を無駄にしてはいけない、というシンプルな、しかし重みのある言葉でした。
「食事をごいっしょにいかがですか?」と言いました。ぐずぐずしてはいませんでしたよ。そんなことをするには歳を取りすぎていましたし、彼女もそうだったと思います。手間取ってはならない - 女性に関して私が学んだことはこれです。行動を起こすのが早ければ早いほど成功の確率は高くなるんですよ。
このアドバイスは、人生のあらゆる場面に通じる真理かもしれません。チャックのように夢に向かって「手間取らず」に突き進んだ結果、破滅を迎える者もいれば、ハンスのように「手間取って」彷徨った末に、ようやく自分の居場所を見つけ出す者もいます。
◉ 記憶という名の地下の国(ネザーランド)
ジョセフ・オニールの筆致はフィッツジェラルドを彷彿とさせるほど美しく、しかし『グレート・ギャツビー』の側からは見えなかった現代アメリカの狂気と不条理、そして滑稽さを見事に描き出しています。タイトルの『ネザーランド』には、主人公の祖国である「オランダ」という意味だけでなく、「地下の国」や「低い土地」という意味が込められています。それは、私たちが意識の下に隠し持っている記憶の地層や、移民たちが大都会の片隅で形成している目に見えないコミュニティを指しているのでしょう。
9.11以後の世界を、移民社会というプリズムを通して描いたこの傑作は、単なる社会派小説ではありません。それは、1人の男が自分自身から逃れ、記憶の世界を彷徨った末に、再び「今」という場所に着地するまでの、極めて個人的で痛烈な魂の記録です。
チャックは神経を集中してバスを追い越した。チャックは迅速に実にうまく運転した。「アンとおれは、赤ん坊のころからよく知っているんだ。アンはなにが起きてもずっとおれのそばにいた。ブラウンズヴィルには喧嘩ばかりしているマイク・タイソンがいたんだが、そこの通りで暮らしていたときも、アンは一度も不満を言ったことがなかった。つまりおれたちはずっといっしょなんだ。しかし、おれの理論では、おれにはふたりの女が必要だ」チャックはこれまで見せたことのない厳粛な顔つきをした。「家族の世話をして家を守ってくれる女と、生きているという実感を与えてくれる女が。ひとりの女に両方を求めるのはあんまりだろ」
チャックのこの奔放で身勝手な理論も、彼なりの「生きている実感」を求める必死な足掻きだったのかもしれません。彼は徹底的に夢想に耽っていたわけではなく、自分のいる場所といたい場所の間の溝をはっきりと見つめ、それを超える方法をクリケットという「夢」に託したのです。その結果がどうあれ、彼がニューヨークの空に描き出した壮大なビジョンは、ハンスの心の中に確かな重みを持って残り続けました。
物語の最後、ハンスは家族と共にロンドンの巨大な観覧車「ロンドン・アイ」に乗り込みます。ゆっくりと円の頂点へと向かう中で、彼は地上の迷宮のような街並みを眺め、隣にいる妻と息子の存在を改めて噛み締めます。かつてニューヨークのフェリーの上で母と眺めた夕日、そして今の家族と分かち合う地平線。過去と現在は複雑に絡み合いながらも、ハンスはようやく自分自身の物語を肯定し、新しい一歩を踏み出す準備ができたようです。
もしあなたが、今、人生の「アフターマス」に立ち止まっていると感じるなら、ぜひこの本を手に取ってみてください。オニールのしなやかでエレガントなボイスが、あなたを視覚化された言葉の旅へと誘い、失われたものの中に隠された新しい価値を教えてくれるはずです。
ハンスが息子のジェイクに、「来年ね」とクリケットを教える約束をしたように、未来はまだ、私たちの手の中に残されているのですから。
静かなロンドンの夜が、ハンスとその家族を優しく包み込んでいきます。
