【実家じまい】プロローグ#1はじまりはお母さん|お母さんは死なない生き物だと思ってたよ【飯子さんちの実家じまい】

引井田飯子(ぴいた・ぱんこ)
40代主婦です
実家じまいの足音
先日【実家じまい】を体験しました。
その記録を書いていこうと思い、新たにマガジンを作りました。
今回は第1回目になります。
我が家の「きっかけ」のお話をお届けします。
最初にお断りしておきますが・・・
あまり愉快な話ではありません(; ・`ω・´)
なんか辛くなったらごめんなさい。(´・ω・`)
でも・・・
お付き合いいただけたら嬉しいですm(__)m
うちの母のこと
我が家が実家じまいをする事になったのは、母が亡くなったのがきっかけでした。
まずはうちの母の事を紹介がてら、少しだけ話させて下さい( ´∀`)
以下、2024年10月当時の日記からお届けします。
母の教え
私が子供の頃、足の痛みを母に訴えると・・・・

おそらく成長痛であろう、と見立てた母は
「庇うと歩けなくなるよ、普通にしてなさい」とひと言。
またある時は・・・


口の中に絵筆が刺さった私を見ても
慌てず、穏やかに
「口の中だからすぐ治るよ・・・普通に食べなさい。」
そしてまたある時は


思いっきり流血してる私の背中を見ても
慌てず、落ち着いて
「大丈夫、舐めておけば治るよ。
腰が曲がるといけないから背中曲げないで普通にしてなさい。」
とにかく母は小さな私達姉妹に何かピンチがあっても
落ち着いて、慌てず、いつもどおり、特別扱いせずに、
でもとても優しく、広い心で育ててくれました。
母の「だいじょうぶ!」というひと言は、何よりも心強いものでした。
どんな恐ろしいことも吹き飛んでしまう、凄い魔法のような言葉でした!!
おかげさまで三人の姉妹は皆
明るく、たくましく、朗らかで、
案外ピンチにも強く育ったのでは無いでしょうか。
普通に
慌てず
特別扱いすること無く・・・
もしかしたらこれが「母の教え」というものなのかもしれません。
しかし

幼い頃に
私が一番恐れていた出来事が
起きてしまった。
普通には出来んものだ。
先日、母が亡くなった。
84歳だった。
初七日を終えて
母が亡くなり、早や初七日が終わった。
慌ただしいような、マッタリしたような、変な日々だった。
徐々に日常が戻ってきた。

食事も今まで通り作らねば。
買い物に行く。

母の好きな野菜を見つけては
無意識に思い出す。
母はもういないのだ。
不思議。
母が居ない世界。
またあるときは

天気の良い休日。
「実家に行ってみようかな」とか
「電話でもしてみようかな」とか
必ず母のこと思い出すようになってる。
でも、母はもういないのだ。
(2024年10月某日)
生きた証を残したい
辛い話にお付き合いいただきまして、誠にありがとうございましたm(__)m
こうやって描くことで、母が生きていたことを残せる気がし、記事にしました。
それから、私の生まれ育った家庭があったことを書き残しておきたい、という思いもありました。
超個人的なお話にここまでお付き合いいただいて、本当にありがたいです(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
今日は6月17日。
どうしてもこの日に書いて、マガジンのスタート記念にしたかったんです。
なぜなら今日は母の誕生日だったから・・・
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
これから
母が亡くなったあと、すぐに実家が無くなったわけではありません。
片付け話などが色々あります。
ここが本来ならみなさんが一番興味をお持ちのところですよね!
そちらは愉快に書けそうですのでご安心を。
その前に・・・やっぱり母の話をしないわけにはいかない!
まだもう少し、母と過ごした最期の日々のことを語りたいなぁと思っています。
暗かったらごめんなさい。
ええ、きっと暗いことでしょう!
それでも、またお付き合いいただけたら嬉しいです(^^)
引井田飯子(ぴいた・ぱんこ)でした〜〜〜\(^o^)/
⬇次回記事コチラ
⬇マガジンでまとめて読む!
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたチップは世のため人のために使わせていただきます!
それからいつも寒そうなOTTOとムスメに服を買ってやります。
ついでに紙とペンを買います。