「スニーカー」という言葉はKedsから始まった。#PR
1. オフィスの廊下に響く「コツコツ」という体制側のノイズ
オフィスの廊下や駅のコンコースで、「コツコツ」と重苦しい革靴の足音を響かせている同世代の男たち。彼らは気づいていない。その音が、すっかり体制側に組み込まれてしまった「うるさいおじさん(老い)」の象徴であることに。

若い頃、私たちはもっと軽やかに、足音を立てずに街を歩いていたはずだ。いつの間にか重い革靴を履き、社会の歯車として分かりやすい「大人の足音」を鳴らすようになってしまった。 今回は、そんな体制側のノイズを消し去り、再び街の裏路地を自由なステップで歩くための靴。現代のスニーカーの起源にして、最強のローテク・ギア「Keds(ケッズ)」と、その闘神「PRO-Keds(プロケッズ)」の真実に迫る。
2. 「スニーカー(忍び寄る者)」の起源は、足音を消すステルスギア
そもそも、なぜゴム底の運動靴を「スニーカー」と呼ぶのか。その語源は、ひとつのブランドの誕生に遡る。1916年に産声を上げた「Keds」だ。

当時、人々が履く靴といえば、硬い革底のブーツや短靴ばかり。街中には常に重苦しい足音が溢れていた。そこに突如として現れたキャンバス地とラバーソールのKedsは、歩いても「全く足音がしなかった」のだ。 翌1917年、ある広告代理店がこの無音の靴に目をつけ、「誰にも気づかれず、静かに忍び寄る(Sneak)ことができる靴」という意味を込めて「Sneaker(スニーカー)」と名付けた。
つまり、スニーカーとは元来ファッションアイテムではなく、既存の社会のノイズから身を隠し、気配を消すための「大人のステルスギア」として誕生したのだ。
3. アパレルではない。巨大ゴム企業が生み出した「歩行用タイヤ」
Kedsに隠されたもう一つの真実。それは、この靴がアパレルメーカーやデザイナーの作品ではないということだ。 生みの親は、1892年に設立されたアメリカ最大のゴム製造トラスト「USラバー・カンパニー(後のユニロイヤル社)」。車のタイヤや重機の工業用ホースを製造する、ゴリゴリの重工業メーカーである。

彼らは考えた。「車の足回りにゴム(タイヤ)を履かせるなら、人間の足にも履かせればいいじゃないか」と。 車好きの40代なら、愛車の足回りにミシュランやピレリのタイヤを履かせることにロマンを感じるだろう。Kedsのキャンバス生地と、高温の窯で焼き上げられる加硫ゴム(バルカナイズド・ラバー)の分厚い塊は、ファッションではなく、アメリカのモータリゼーションを支えた企業が作ったヘビーデューティーな「歩行用タイヤ(工業製品)」なのだ。
4. 「PRO-Keds」。敗者が愛したアンダーグラウンドの武装
その後、この「歩行用タイヤ」はさらなる進化を遂げる。1949年、当時絶対王者だったコンバースを打倒すべく、プロスポーツ向けのハイエンドライン「PRO-Keds」が設立されたのだ。
「ロイヤルアメリカ」や「ロイヤルプラス」といった名作を生み出し、一時はNBAのスーパースターの足元を飾った。しかし結果的に、メインストリーム(表舞台)の覇権争いではナイキやコンバースの前に敗れ去ることになる。 だが、物語は終わらない。1970年代のニューヨーク。ブロンクスやハーレムの裏路地で、初期のヒップホップ黎明期を生きるB-boyたちが、このPRO-Kedsのタフなゴム底を「Uptowns」と呼び、熱狂的に愛したのだ。
王道(メインストリーム)に背を向け、泥臭いストリートでタフに生き抜くための武装。PRO-Kedsは「美しき敗者」にしか似合わない、アンダーグラウンドの王としての矜持を持っている。
5. 革靴を脱ぎ捨て、無音のタイヤで街を走破しろ
40代の男よ、自らの存在を誇示するような「コツコツ」という体制の音(革靴)を鳴らして歩くのはもうやめにしよう。
今こそ足元にUSラバー社のタイヤ(PRO-Keds)を装着し、アスファルトの衝撃を無音で吸収しろ。最新ハイテクスニーカーのような過保護なクッションはない。だが、足裏にダイレクトに伝わる地球の硬さは、あなたが今、確かに自分の足で歩いているという実感を与えてくれるはずだ。
街のノイズに溶け込み、誰にも気づかれずに、自分の道をいく。スニーカー本来の「忍び寄る者(Sneaker)」としての生き方を取り戻すための、これは最高に知的な投資である。
