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【論文渉猟】金は通貨に戻るのか──史上最高値と史上最大の下落が同じ年に来た理由


◆今回のレポート◆

Ronald-Peter Stöferle et al., "Back to the Monetary Future (In Gold We Trust report 2026)" (Incrementum AG, 2026年5月20日)

  • 概要:20周年を迎えた金市場の年次分析レポート。2025〜26年の記録的な価格変動を振り返りつつ、信認の低下・地政学的分断・財政赤字の常態化を背景に、金が準備資産・担保・決済の各層で通貨的な役割を取り戻



2025年、金は64%上昇して1979年以来の記録的な年になりました。2026年1月には史上最高値を更新。ところがその2か月後、今度は史上最大の月間下落が来ます。安全資産と呼ばれてきた金に、いったい何が起きているのでしょうか。

今回、富良野とPhronaが読み解くのは、金の調査レポートとして20年の歴史を持つ In Gold We Trust の2026年版です。レポートが描くのは、金の値動きの話にとどまりません。通貨への信頼そのものが値付けし直され、金が静かに通貨システムの中へ戻りつつあるという、大きな見取り図です。

構造から積み上げていく富良野と、言葉の手触りから違和感を掘り当てるPhrona。二人の対話は、レポートの主張を丁寧にたどったあと、その先にある問いへ進みます。金が戻ってくるとして、それは通貨のどの機能に戻ることなのか。そしてデジタル化された金は、はたして金そのものなのか。読み終える頃には、金本位制の復活かどうかという古い二択とは別の場所に立っているはずです。


売られた安全資産

富良野: 今年の金市場、数字だけ並べるとかなり奇妙なことになってるんですよ。2025年に64%上がった。これは1979年以来の上昇率です。それで2026年1月に史上最高値の5,595ドル。ところが3月に、1か月で611ドル下がった。こちらは史上最大の月間下落です。

Phrona: 最高値と最大の下落が、ほとんど続けて来たんですね。

富良野: In Gold We Trustという年次レポートがあって、今年で20年目なんですが、その2026年版がこの乱高下を正面から扱っています。初版が出た2007年には金は670ドルくらいでしたから、20年でほぼ7倍です。

Phrona: 7倍。でも、その途中に今回みたいな急落が何度もあったわけでしょう。

富良野: そこがこのレポートの面白いところで、急落をむしろ型として説明するんです。2008年のリーマン危機のとき、金は29%下がった。2020年のコロナ初期にも12%下がった。安全資産のはずなのに、危機のたびに売られている。

Phrona: 危機のときこそ買われるものだと思ってました。

富良野: 普通はそう考えますよね。レポートの説明は逆で、危機のときに金が売られるのは、金が危ないからではなくて、売れるからだと。追証がかかって現金が要るとき、値がつくものから売るしかない。売りたいものではなく、売れるものを売る、という言い方をしています。

Phrona: ああ。手放したいから売るんじゃなくて、手放せるから売られてしまう。いちばん頼りになる人が、真っ先に駆り出されるみたいな話ですね。

富良野: うまいこと言いますね。実際、今回の急落の引き金も金自体の問題じゃないんです。イラン危機でホルムズ海峡が封鎖されて、湾岸の産油国のドル収入が止まった。彼らは長年ドルの余剰を金に換えてきたので、現金が要るとなったら金を売るしかない。

Phrona: じゃあ、下がったという事実と、金という資産の性格とは、分けて考えないといけない。

富良野: レポートはさらに踏み込みます。2008年も2020年も、急落のあとに中央銀行が大規模な緩和をやって、金はそこから大きく上がった。リーマン後の量的緩和で金は3倍、コロナ後は7割の上昇。だから今回の急落も終わりではなく、次の上昇の起点だと読むわけです。

Phrona: それは、金に強気な人たちの読みですよね。過去に都合のいい型を見つけてきていないかは、頭の隅に置いておきたいけれど。

ポイント解説

危機のさなかに金が売られる現象は、市場ではよく知られている。理由は単純で、金には買い手が途切れないからだ。株や社債は危機の底で値がつかなくなるが、金は最悪の局面でも売れる。だから証拠金の追加を迫られた投資家は、守りたい資産を守るために、売れる資産である金を手放す。2026年3月の下落率27%は、2008年10月の29%とほぼ同じ水準だった。金の急落は金への信頼の崩壊ではなく、金以外への信頼が崩壊したときの、換金の集中として起きる。

ただし、ここから先のレポートの読み筋には注意がいる。過去2回の急落が中央銀行の緩和を呼び、それが金の大相場につながったという観察は事実として正しい。しかしそこから、今回も同じ経路をたどるはずだと結論するのは、事実の記述ではなく将来のシナリオである。In Gold We Trust は一貫して金に強気な立場のマクロレポートであり、その分析には検証可能な数字と、立場を反映した解釈が同居している。本記事では以後、どこまでがレポートの観察で、どこからが彼らの賭けなのかを腑分けしながら読み進める。

信認という見えない基盤

Phrona: 急落の話より、私はレポートの土台にある考え方のほうが気になりました。トラスト、信認の話です。

富良野: 20年間の分析の核心はそこだと、著者たち自身が言っていますね。信認は社会を成り立たせる見えない基盤で、通貨システムを支える見えないインフラでもあると。国家の約束が信じられなくなると、人は紙のお金を長く持たなくなって、実物資産に逃げる。

Phrona: 金の価格が上がっているというより、通貨への信頼が下がっている。同じ現象を裏側から見ているんですね。

富良野: レポートの言い方だと、信認がいま値付けし直されていて、市場はその判定をオンス単位で下している。1945年から続いたアメリカ中心の秩序、いわゆるパックス・アメリカーナが終わりつつあるというのが彼らの時代認識です。

Phrona: ずいぶん大きく出ましたね。

富良野: 大きい話なんですが、挙げている材料は妙に具体的なんですよ。たとえばアメリカの金準備。約8,133トンで世界最大なんですが、帳簿上はいまも1オンス42.22ドルで記録されている。1973年に法律で固定された値段のままなんです。

Phrona: 市場ではいま4千ドル台なのに?

富良野: そうです。だから市場価格で評価し直すだけで、帳簿の上に1.2兆ドル規模の含み益が現れる。国債を発行せずに財政の余地が生まれる計算です。財務長官が政府資産の収益化に言及していて、FRBも準備金の再評価に関する各国の経験をまとめた論文を出した。単なる思考実験ではなくなりつつある。

Phrona: 会計の書き換えだけで1.2兆ドル。手品みたいですけど、1934年にルーズベルトが金価格を引き上げたときも、似たことをやったんでしたっけ。

富良野: 20.67ドルから35ドルへ。ドルを41%切り下げた計算になります。前例はあるんです。ほかにもBRICS圏で、金を4割組み込んだ決済単位の研究が進んでいたり、上海黄金取引所が金を担保や決済に使える仕組みを整えていたり。

Phrona: 誰も金本位制に戻るとは宣言していないのに、あちこちで金が制度の中に戻る準備だけが進んでいる。レポートが静かな再通貨化と呼ぶのは、そういう意味なんですね。

富良野: 布告によらず、機能によって戻る。革命ではなく進化だと彼らは書いています。

Phrona: その言葉、きれいすぎて逆に引っかかります。機能によって通貨に戻るって、具体的にはどの機能に戻るんでしょう。

ポイント解説

再通貨化とは、金が通貨としての役割を取り戻す過程を指すレポートの中心概念である。その根拠として挙げられる動きは三つの水準に分かれる。第一に中央銀行の購買。2025年の863トン、金額にして過去最高の952億ドルという公的部門の買いは、すでに起きている事実だ。第二に米国の金準備再評価。これは検討されている政策構想であり、実現していない。第三にBRICSの決済単位構想。40%を金、60%を主要5か国の通貨バスケットで構成するこの案は、ロシアの研究者による研究プロジェクトであって、BRICSの公式プログラムではないとレポート自身が明記している。事実、構想、研究。この三つの位相を混ぜると、再通貨化はもう決まった未来のように見えてしまう。

一方で、レポートが紹介する戦略的ポジション競争という見方は、研究段階の構想がなぜ各国の行動を動かすのかをうまく説明する。仮に金を組み込んだ決済圏が将来できるなら、そのとき自国通貨がどんな条件で組み込まれるかは、その時点の金保有量で決まる。1990年代、ユーロに参加する国々がどのレートで自国通貨を固定するかを競ったのと同じ力学だ。制度がまだ存在しないからこそ、存在したときに備えた席取りが始まる。中国、インド、トルコの目立った金購入は、この読みと整合する。構想は実現していなくても、構想があるという事実だけで現実が動く。信認の低下とはつまり、こういう先回りの連鎖のことでもある。

通貨のどの機能に戻るのか

富良野: さっきの問い、実は一番大事なところだと思うんです。通貨というのは一枚岩の機能じゃない。価値を保存する、交換に使う、値段を測る物差しになる、準備として持たれる、担保になる、最後の清算に使われる。全部別の仕事です。

Phrona: 金で買い物する社会には、たぶん戻らないですよね。値段が動きすぎるし、会計だって円やドルのままでしょうし。

富良野: 戻らないでしょう。だから金本位制は復活するかと問うと、答えはノーで終わってしまう。でも問いを機能ごとに分解すると景色が変わります。準備資産としては、もう戻っている。中央銀行が年に800トン以上買う世界が、4年続いていますから。

Phrona: それが一段目。

富良野: 二段目が市場商品化。ETFですね。昔は金を持つには地金を買って保管する必要があった。それが証券口座で買えるようになった。2025年のETFへの資金流入は800トンで過去最大です。ただ、僕はここで一度切っておきたいんですが、ETFは金を買いやすくしただけで、使いやすくはしていない。

Phrona: 買うことと使うことは、違う?

富良野: ETFは投資商品です。値段がつきやすくなって、売り買いは厚くなる。でもETFの持ち分で支払いをしたり、担保に差し入れて何かを借りたりする世界は、まだ普通じゃない。市場化と通貨化のあいだには、思ったより距離があるんです。

Phrona: その距離を詰めるのが、三段目ということですか。

富良野: トークン化です。RWAという言葉を聞いたことがあるかもしれません。実物資産への権利を、ブロックチェーン上のデジタルな単位として表現する技術のことです。金庫の中の金は一切動かさずに、権利だけを細かく割って、即時に移して、担保に入れて、契約プログラムで自動的に清算する。

Phrona: 金の何が変わるんだろう。金そのものは金庫で寝ているだけなのに。

富良野: 金の側は何も変わりません。変わるのは金の可動性です。昔の金本位制で金が使いにくかった理由は、ほとんど物理なんですよ。重い、動かせない、細かく割れない、保管が要る、国境を越えるのに時間とコストがかかる。

Phrona: 制度の奥の金庫に鎮座して、動かないことで秩序を支えていた。それが今度は、動き回れるようになる。

富良野: 保管される価値から、移動する担保へ。そうなると四段目が見えてきます。日々の支払いはドルや円やステーブルコインのままで、その裏側の信用補完や清算の層に金が入る。表の通貨としてではなく、裏の担保として戻る。

Phrona: 表舞台に復帰するんじゃなくて、舞台の裏方に回る。でも、そこまで聞いて、かえって不安になってきました。その動き回る金って、本当に金なんでしょうか。

ポイント解説

対話で浮かんだ四つの段階を整理しておく。第一段階は準備資産化。中央銀行が外貨準備の一部を米国債から金に振り向ける動きで、これはすでに進行している。第二段階は市場商品化。ETFや先物を通じて金が投資家にとって扱いやすい金融商品になる過程で、これもほぼ完了した。第三段階が担保インフラ化。トークン化によって金への権利が金融システムの中を移動し、貸付や証拠金や清算に使われるようになる段階で、いま入口にある。トークン化された金の市場規模は2026年2月に60億ドルを超えたが、金市場全体から見ればまだ点にすぎない。第四段階の決済補助資産化は、その先の構想である。

ここで押さえるべきは、トークン化が解決する弱点と、解決しない弱点の区別だ。古典的な金本位制の失敗には二つの系統があった。ひとつは運用上の弱点。動かしにくく、割りにくく、決済に使いにくいという物理的な制約で、これはトークン化がかなりの程度まで解消する。もうひとつはマクロ経済上の弱点。金の供給量は経済の必要に応じて増えないから、通貨制度を金に縛ると不況時に金融緩和ができず、デフレ圧力が国際収支の赤字国を締め上げる。19世紀末から大恐慌にかけて各国が経験したこの硬直性は、金をどれだけデジタル化しても消えない。技術が解くのは金の使いにくさであって、金の増えなさではない。この線引きを飛ばすと、トークン化礼賛にも金本位制批判の蒸し返しにも、どちらにも転げ落ちる。

誰の負債でもない、は残るのか

Phrona: さっきの続きなんですけど。トークンを持っている人が持っているのは、金じゃなくて、金を渡すという誰かの約束ですよね。

富良野: そこが核心だと思います。金の強みは、誰の負債でもないことなんですよ。国債は政府の借金、預金は銀行の借金、ステーブルコインは発行体への請求権。金だけが、誰の約束にも依存しないで価値を持っている。

Phrona: なのにトークン化した瞬間、保管する会社、発行する会社、監査する法人、どこの国の法律で償還されるか。全部が約束の束になる。

富良野: 信用リスクのない資産を、信用と法制度と技術の上に載せ直す。この矛盾めいた操作こそが金のトークン化の正体です。便利さの源泉は全部、誰かが管理する請求権であることから来ている。

Phrona: 中立の金を運ぶために、中立じゃない乗り物に乗せるんですね。

富良野: しかも乗り物は増えていく。金を担保にお金を貸す。金担保のステーブルコインを発行する。そのトークンをさらに別の取引の担保に使う。金の上に、信用の階層が積み上がっていくわけです。

Phrona: それ、どこかで見た形じゃないですか。安全な資産を土台にして、その上に約束を重ねていって、土台は安全なままなのに、積み上がったもののほうが崩れる。

富良野: 2008年に住宅ローンで起きたことと相似形になりえます。金そのものが安全であることと、金を使った金融商品が安全であることは、別の命題なんです。ここを混ぜた瞬間に危なくなる。

Phrona: 冒頭の話に戻っちゃうんですけど。3月の急落で金が売られたのは、売れるからでした。もし金のトークンが担保として金融システムの奥まで入り込んでいたら、次の危機のとき、何が起きるんでしょう。

富良野: 価格が下がれば担保価値が下がって、追加担保の差し入れか強制清算です。自動清算のプログラムは事情を汲んで待ってはくれません。金は安全資産としてではなく、換金できる担保として真っ先に処分される。可動性を与えたことの代償が、危機のときに一気に表へ出る。

Phrona: じゃあ、金が金融の深いところへ戻っていくこと自体は、たぶんもう止まらない。でもそれが安定をもたらすのか、新しい脆さをもたらすのかは、まだ決まっていないんですね。

富良野: 決めるのは技術ではなく制度設計です。保管をどう分散するか、償還をどう保証するか、監査をどこまで透明にするか、信用の積み上げをどこで止めるか。このレポートは金の20年を追ってきましたが、次の20年の主題はたぶん、金をどう制度に埋め込むかという設計の問題になる。

Phrona: 金は5千年間ずっと変わらなかったのに、問われているのは金じゃなくて、私たちの約束の作り方のほうなんですね。

ポイント解説

金のトークンが直面する問いは、突き詰めれば一つに絞られる。金の中立性を、制度に埋め込んだあとも保てるか。物理的な金塊は発行体を持たず、どの国家の信用にも依存しない。しかしそれをデジタルな請求権に変換した瞬間、カストディアンの所在地、準拠法、監査法人の信頼性、発行体破綻時の資産保全、制裁対象者の扱いといった、すべて政治と法の問題が金に付着する。中央銀行が買っているのは物理的な金であり、民間が発行するトークンではない。この二つの潮流は、国家信用の外に立つ資産を求めるという動機こそ共有しているが、制度的にはまだ別々の川である。両者が合流するには、清算機関や規制当局が関与する準公的なデジタル金の基盤という橋が要る。

だとすれば、金の再通貨化とは過去への回帰ではない。金という最古の資産を、最新の金融基盤にどう繋ぐかという、まったく新しい設計問題である。レポートの表現を借りれば、金は通貨の中立国スイスのような位置に戻ろうとしている。ただしスイスの中立が地形ではなく外交と憲法によって維持されてきたように、金の中立もまた、素材の性質ではなく制度の出来によって守られるほかない。5千年変わらなかったのは金のほうで、変わり続けるのは金を取り巻く約束の網の目のほうだ。次の危機が試すのは、金の強度ではなく、その網の目の強度である。


この記事は、Projeteam, Inc. ウェブサイトで先行公開された

保管される価値から、移動する担保へ――金の再通貨化を四つの段階で分解する

を素材として対話形式で再構成したものです。元記事では、金の再通貨化を「保管される価値から、移動する担保へ」という視点で深掘りしています。あわせてご覧いただけると、議論がより立体的に見えてくるかもしれません。



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