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人として扱うか、駒として扱うか

「あの人は、人を駒のように扱う」

職場の愚痴で、誰もが一度は耳にしたことがある表現ですね。そして、私たちがこの言葉を使うのは、不満や怒りを感じ、相手に対して不信感を抱いているときです。

人を駒(こま)として扱うことについて今日は考えてみます。



「人」と「駒」の違いとは?

まず、前提として「人」と「駒」の定義を考えてみます。

駒とは、人ではないものです。道具とか機械のことを指しています。将棋の駒が分かりやすいですが、駒自体には独自の意志がありません。駒自体が自ら場の空気を読んだり、感情によって行動が変わったりすることはなく、ただ使う側の意図通りに動かされるだけの存在です。

一方で「人」は、感情を持ち、自らの意志で考え、周囲の状況を察知して動く存在です。

つまり、「人を駒のように扱う」ということは、感情や意志を持つ人間を、それらを持たないただの道具として扱うってことになります。人間の尊厳を根底から無視した行為だからこそ、私たちは本能的に「失礼だ」「許せない」と感じるのでしょう。人は誰しも、常に人として扱われなきゃね。

対価なき道具扱いが不満を生む

では、日常や仕事において、具体的にどのような時に、駒として扱われたと感じるのか。

例えば、職場で突然、自分のキャパシティや状況を一切無視して無茶な業務を押し付けられた時とか。あるいは、何の背景説明も感謝の言葉もなく、ただ「これやっといて」と機械のボタンを押すかのように命令された時とか。

ここで重要なのは対価と見返りのバランスなんだとおもうんです。 本来、道具(駒)を必要とする場合、私たちは使用するために何らかのコストを払います。人間関係や仕事において人を動かすのであれば、それは金銭的な対価(給与や報酬)であったり、精神的な見返り、つまり感謝の言葉や正当な評価であったりするべきです。

人を駒のように扱って反感を買う人は、対価も払わず、あるいはそれに見合う労いの言葉もない状態で、相手を都合のいい道具のように消費しています。だからこそ、扱われた側は深く傷つき、失礼だと憤慨するのです。

仕事上の駒は契約の一部

しかし、ここで少し視点を変えて、ビジネスの側面で考えてみます。

仕事において、私たちは会社やクライアントと業務委託契約や雇用契約(労務提携)を結びます。これは、あらかじめ定められた業務を提供し、その対価として金銭を受け取るという明確な約束です。

極論を言えば、この契約関係の中では、私たちは組織の目的を達成するための駒として機能しているとも言えます。駒扱いされると、腹立たしいですが、駒として機能しているのは致し方ないことなのかもしれませんね。

なぜなら、お互いに納得の上で契約を結び、対価を支払う・受け取るという合意のもとに行動しているからです。会社だとJob DescriptionやR&Rで明文化されていますよね。

もちろん、頭では分かっていても、心が追いつかないのが人間です。ここで整理すべきは、法律と倫理がごっちゃになっている点です。

法律とは、ここでは契約書のことです。白黒がはっきりしている客観的なルールのこと。給料が支払われているか、契約通りの業務範囲か、といった客観的な事実に基づき、絶対に守るべきものです。法律やルールは違反してはいけないものですからね。

一方、倫理は、法律ではカバーしきれない広い範囲において、人の感情に関わる部分です。主観的であり、白黒がはっきりしません。同じように仕事を指示されても、「駒のように扱われた」と不快に感じる人と、全く気にせず淡々とこなす人の違いが出るのはこのためだと思います。

「駒扱いされた」と憤慨した時

もし、職場で「駒のように扱われた!」と感情的に怒りを感じているなら、ルールがどうなっているのかを判断すると良いかと思います。

感情的に怒りを感じても、法律違反や契約違反ではなく、明確に自分の仕事の範囲内であり、対価が支払われているのであれば、そういうものだと割り切ってしまうのも一つ対処法です。だって、それは仕事だから。

「仕事だとしても、あの扱いや態度はひどいよね」と感情を剥き出しにして怒りをぶつけたところで、残念ながら事態は好転しません。それどころか、周囲からは、ビジネスと感情を切り離せない、許容度の低い人として露呈してしまうリスクがありますよ。

ここまでのことを上記4事象にまとめてみました。AとBのように、常に「人」として扱い、扱われることは当然ことです。しかし、Dのように仕事として、「駒」として扱われることがあります。

これはあくまでも、受け取り手の主観であることを認識することで、イライラしないで済むのかな。Cのように、プライベートの時に駒と扱われたときと、Dをごっちゃにしないことが、仕事においては重要ですよ。

私の場合

さて、ここまで楽しく考えてきましたが、最後に私の場合です。

私自身が、Dのようにルールに則った上で駒扱いされた時は、なんとか対処ができる方だったので、大きなストレスはありませんでした。倫理的・感情的な不満に対しては、私は対価をもらって、プロとしてこの役割(駒)をこなしているだけだとドライに捉えていたので。

さて問題は、私が、社員を駒扱いすることです。そのため感情的トラブルの原因を作ることが度々ありました。自分で言うのもどうかと思いますが、目下には優しく「人」として接することができたので良い先輩でした。

しかし、上役にはストレートのものを発言する傾向があり煙たがられていました。 特に、管理業務を疎かにしている上司に対しては、私は平気で駒扱い、つまり、役割をしていただくことを要求しました。

部下に駒扱いされた上司は、当然、私を面白く思わないので、私は冷たい仕打ちを受けることになります。それを分かった上でも、上司を攻撃したことが度々あります。攻撃と言っても業務を遂行する上での建設的な提案のことですよ。なぜなら上司はJDやR&Rを遂行していないから、つまりルール違反をしているから判断したからです。

部下というものは、上司には反論しないものですが、どうしても許せない上司というのはいるもので、私はルール違反は嫌いなので口に出して会議室で問い詰めた記憶が蘇ってきました。

その後、私は当然、冷遇されるのですが、今思い返しても、当時の判断は間違ってないです。ただやり方は間違っていました。それは、ルール違反を憎むあまり、私自身が相手の感情を無視し、上司を機能(駒)としてしか見ていなかったのです。

ちゃんと「人」扱いして要望を伝えるのが優秀なビジネスパーソンなのだから、正しい要求をしていたとはいえ、「駒」扱いして、人に接するべきではなかったと今では反省しています。当時はそんなスキルは持ち合わせてなかったんですけどね。


参照記事↓



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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com