【短編集‐花の冠】第二四話『語りかえ』
語りかえ
図書館は静まり返っていた。
青い表紙の本が、机の上で眠っている。ページは閉ざされ、風が吹いても、もう動くことはなかった。
サリムはその本をじっと見つめていた。
隣では、グラージュが無言のまま佇んでいる。
「ねえ、グラージュ……」
サリムの声が、小さく空気ににじんだ。
「この本。書き直すことって、できないかな」
グラージュは、ほんのわずかに顔を上げた。
その目は、何かを探すように彷徨っていた。
「書き直す……何をだ」
「この記憶の本に書かれてる、フェイルの最後の場面……」
サリムは一拍おき、言葉を選んだ。
「……死ななかったことにするのは、無理かもしれない。
でも、たとえば……最後の言葉を変えることなら?
もしも違う言葉を残していたら、グラージュだって……今みたいに苦しまなくてもいいように思うんだ」
沈黙が落ちた。
グラージュは目を閉じ黙った。
サリムは、それでも言葉を続けた。
「それが、グラージュの救いになることも、あるんじゃないかなって……」
「……そんなことは不可能だ。過去は変えることはできない」
そのときだった。
風もないのに、大木の葉がさわりと揺れた。
幹の奥から、低く、深い声が響いてくる。
古い時を幾重にも重ねたような響きだった。
「傍観者たちよ。お前たちの思考は、まだ若い。だが、その歩みは確かに“語り部”の域へと近づいている」
サリムとグラージュが顔を上げた。
図書館の中央、大木の根元が淡く光を放ち、古びた幹にひび割れのような紋様が浮かんでゆく。
「今、お前たちが触れようとしているもの……それを、我らは“語りかえ”と呼ぶ」
「かたりかえ?」
サリムが大木の言葉を繰り返す。
「それは、過去を……記録を書き換えることではない。 あくまで“語りの形”を変えることで、“別の意味”を浮かび上がらせる」
机の上の青い本が、ふわりと風もなく一枚だけ頁をめくった。
「お前たちは、もはやただの傍観者ではない。
これより先、お前たちは“語り部”になろうとしている。
しかし、それは試練と禁忌の道であることを忘れてはいけない」
その言葉を受けて、サリムとグラージュは、ただ黙って視線を交わした。
確かに何かが動き始めていた。けれど、それが正しいのかどうかは、誰にもわからなかった。
本の頁が、ひとりでにめくれていった。
そこは闇が張り付いたように真っ黒だった。
《続く》
