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松屋プレミアム牛めしが教えてくれた“選択肢の消し方”

「選べます」は、時に一番巧妙な値上げになる

ある日、電車に乗ろうとした。

普通席とグリーン席がある。

普通席は安い。
グリーン席は高い。

当然、私は普通席に乗る。

すると数年後。

駅員が笑顔でこう言う。

「お客様。サービス向上のため普通席を廃止しました」

「今後は全席グリーン席です」

なるほど。

座席は良くなった。

確かに良くなった。

しかし私は思う。

「それ、グリーン席を選んだんじゃなくて、普通席が値上がりしただけでは?」

松屋のプレミアム牛めし騒動
を振り返るたび、私はいつもこういった光景を頭に思い浮かべる。



プレミアム牛めしは本当に“選択肢”だったのか

松屋はかつて、

  • 牛めし 280円

  • プレミアム牛めし 380円

を並行販売していた。

消費者は選べた。

安い牛めしもある。

少し高いプレミアムもある。

これは理想的だ。

高級寿司屋もあれば回転寿司もある。

軽自動車もあれば高級車もある。

選択肢が増えること自体は悪ではない。

むしろ歓迎される。

問題はその後だ。

気が付くと安い方が消えた。
残ったのはプレミアム牛めしだけ。

すると消費者は気付く。

あれ? 

……値上げ?


人は値上げが嫌いなのではない

ここで面白い事実がある。

多くの企業は勘違いしている。

人は値上げが嫌いなのではない。

人は「値上げを値上げと言わないこと」

が嫌いなのだ。

例えば。

「原材料高騰のため100円値上げします」

これは腹が立つ。

だが理解はできる。

一方で。

「品質向上しました!」

「サービス向上しました!」

「プレミアム化しました!」

と言われて、

気付けば支払額だけ上がっている。

こちらは妙にモヤモヤする。

なぜか。

消費者は金額そのものではなく、

誠実さを見ているからだ。

人は損をすることより、

騙されたと感じることを嫌う。


プレミアム化という名の魔法

現代社会には不思議な魔法がある。

その名も、

プレミアム化。

価格を上げたい。

でも値上げと言いたくない。

そこで商品名を変える。

パッケージを変える。

少し改良する。

そしてこう言う。

「プレミアムになりました」

すると値上げではなく進化に見える。

企業からすれば合理的だ。

株主も喜ぶ。

利益率も改善する。

だが消費者は馬鹿ではない。

本能的に理解している。

「結局、前より高くなってるよね?」と。


世の中はプレミアム牛めしだらけである

実はこれは牛丼業界だけの話ではない。

身の回りを見れば同じ現象だらけだ。

コンビニのおにぎり。

以前は100円前後だった。

今では高級米。
高級海苔。
高級具材。

気付けば200円近い。

パンもそう。

昔は食パンだった。

その後、

高級食パンになった。

ふわふわ。

もちもち。

耳まで美味しい。

確かにそうだ。

しかし同時に、

安い食パンはどんどん姿を消した。

ハンバーガーもそう。

コーヒーもそう。

ホテルもそう。

サブスクもそう。

ありとあらゆる商品が、

「値上げ」

ではなく

「プレミアム化」

という言葉をまとって現れる。

現代人は毎日、

プレミアム牛めしに囲まれて生きている。


本当に失われたのは価格ではない

だが私は思う。

問題は価格ではない。

もっと大事なものが消えている。

それは、

選択権だ。

贅沢したい人がいる。

節約したい人がいる。

今日は豪華にしたい日もある。

今日は財布が厳しい日もある。

本来、市場とはそのために存在する。

しかし安い選択肢が消え続けると、

人は選んでいるようで選ばされる。

自由市場のようでいて、

実際には誘導される。

プレミアム牛めししかない世界とは、

グリーン席しかない世界だ。

そこに自由はあるだろうか。


「良いもの」は必ずしも幸福を増やさない

私たちはよく勘違いする。

品質が上がれば幸福も増えると。

しかし人間はそう単純ではない。

毎日ステーキを食べても飽きる。

毎日高級ホテルに泊まっても慣れる。

毎日プレミアム商品ばかりになれば、

それはもうプレミアムではなく日常になる。

そして日常になった瞬間、

人はまた安さを求め始める。

なぜなら人間は、

価格と品質の両方を見ているからだ。

品質だけで幸福は決まらない。

選択できることそのものが幸福なのである。


心を打たれる珠玉の一文

人は高い商品を嫌うのではない。
高い商品しか選べなくなる世界を嫌うのだ。


グリーン席だけの社会へ

松屋のプレミアム牛めしは、単なる牛丼の話ではない。

これは現代社会そのものの縮図だ。

便利になった。

高品質になった。

洗練された。

その代わりに、

少しずつ選択肢が消えていく。

そして私たちは今日も言われる。

「より良い商品になりました」

もちろん、それは本当かもしれない。

しかし忘れてはいけない。

もし普通席がなくなったのなら。

もし安い選択肢が消えたのなら。

それは進化である前に、

まず値上げなのだ。

そして本当に問われるべきなのは、

牛めしの値段ではない。

私たちがいつの間にか失っている

「選ぶ自由」そのものなのである。

…………。

…………。

私:あれ!? いまって、もしかして 松屋「プレミア牛めし」と言わなくなっていて、まさか、まさか「牛めし」として売っている!?

AI:はい。

実はあなたの違和感、かなり核心を突いています。

時系列で並べるとこうです。

  1. もともと「牛めし」があった

  2. 「プレミアム牛めし」が登場

  3. 店舗ごとにプレミアム牛めしへ置き換え

  4. 2021年、「プレミアム牛めし」を終了

  5. しかし価格はプレミアム牛めし基準

  6. 名前だけ「牛めし」に戻る

つまり、

牛めし → プレミアム牛めし → 牛めし

という不思議な一周をしています。

あなたの記事の視点で言うと、

普通席

プレミアム普通席

プレミアム普通席を「普通席」に改名

です。笑

だから現在の松屋ではメニュー表に「プレミアム牛めし」という名称はほぼありません。

しかし歴史を知っている人からすると、

いや、それ昔プレミアム牛めしって呼んでたやつだよね?

という感覚になるわけです。

これ、マーケティング的には結構面白い現象で、

最初は

「高価格帯の商品を追加しました」

だったものが、

最終的には

「それが標準商品になりました」

に変化している。

そしてさらに数年経つと、

新規客は昔の牛めしを知らないので、

「牛めしはこういう価格の商品」

だと思うようになる。

企業から見ると自然な価格改定。

古参客から見ると、

「プレミアムの看板だけ外して定着させた」

ように見える。

だからあなたのネタはかなり鋭くて、

記事タイトルにするなら、

「松屋はプレミアム牛めしを廃止したのではない。プレミアム牛めしを“牛めし”に改名しただけだった。」

の方が、さらに刺さるかもしれません。

私:ちょ、待てよ。w
ならさ

  1. もともと「牛めし」があった

  2. 「プレミアム牛めし」が登場

  3. 店舗ごとにプレミアム牛めしへ置き換え

  4. 2021年、「プレミアム牛めし」を終了

  5. しかし価格はプレミアム牛めし基準

  6. 名前だけ「牛めし」に戻る

  7. また「プレミアム牛めし」が登場 ←

こんなこともあるんじゃあねぇの!?


AI:それはかなりありそうで笑います。

そしてもし出たら、歴史はこうなります。

  1. 牛めし

  2. プレミアム牛めし

  3. プレミアム牛めし(改名して牛めし)

  4. 新プレミアム牛めし

そして客は思う。

「待ってくれ。
じゃあ今の牛めしは何だったんだ?」


さらに進むと、

  • 牛めし

  • プレミアム牛めし

  • 特選プレミアム牛めし

  • 極プレミアム牛めし

が並ぶ。

すると一番安い「牛めし」は消える。

そして10年後。

「極プレミアム牛めし」が

『牛めし』に改名される。

完全に一周です。


これ、実は牛丼だけの話じゃなくて、

  • スターバックスのサイズ

  • スマホのPro

  • 車の上位グレード

  • サブスクのプレミアムプラン

でも起きる現象なんですよね。

企業は常に「上」を作る。

するとその「上」がいつの間にか標準になる。

そしてまた新しい「上」を作る。


あなたの記事の締めなら、

プレミアムとは高級品のことではない。
昨日の標準価格を忘れさせるための名前である。

とか、

私たちはプレミアム牛めしを食べているのではない。
元プレミアム牛めしを「普通」と呼ぶ世界に生きている。

あたりが、かなり皮肉が効いていて刺さると思います。 😏

私:お、じゃあ書いてくれよ。





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