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【読むだけで参拝体験】駒繋神社|頼朝が愛馬をつないだ“決意”の神社

一本の松が、神社の名前を変えました。

かつてこの神社は「子の神」と呼ばれ、
地域の人々の守り神として信仰されていました。

ところが、源頼朝が奥州へ出陣する前、
境内の松に愛馬をつなぎ、戦勝を祈願したことから、

神社はいつしか

「駒繋神社」

と呼ばれるようになったと伝えられています。

馬をつなぐという、たった一つの行動が、
九百年以上語り継がれる物語になりました。

今回は、源頼朝ゆかりの「駒繋神社」を巡ります。

▶前回の記事はこちら



◆はじめに|神社の名前を変えた一本の松

駒繋神社は、もともと「子の神(ねのかみ)」と呼ばれ、
この地域の鎮守として古くから信仰されてきた神社です。

平安時代後期、源頼義・義家親子は前九年の役へ向かう途中、
この地で武運を祈願したと伝えられています。

それから約一世紀後。

源頼朝が奥州征伐へ出陣する際、義家ゆかりのこの神社を訪れました。

頼朝は境内にあった一本の松へ愛馬をつなぎ、
戦勝を祈願したといわれています。

その故事は人々の間で語り継がれ、

「駒をつないだ神社」

という意味から、
いつしか「子の神」は駒繋神社と呼ばれるようになりました。

神様の名前ではなく、一人の武将が残した行動によって神社の名が変わる。

全国を見渡しても、そんな由来を持つ神社は多くありません。

だからこそ駒繋神社は、
決意を胸に新たな一歩を踏み出す人にふさわしい神社なのかもしれません。

◆駒繋神社とはどんな神社か

駒繋神社は、もともと

「子の神(ねのかみ)」
「子明神(ねのみょうじん)」

と呼ばれていた神社です。

御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)。

古くから、安産の神、福の神、
そして縁結びの神として人々の信仰を集めてきました。

その後、源頼朝が奥州征伐へ向かう際、
境内の松に愛馬をつないで戦勝を祈願したという故事から、
神社は「駒繋神社」と呼ばれるようになったと伝えられています。

名前は変わっても、
人々の願いを受け止める神社であることは変わりません。

現在でも安産祈願や縁結び、
家内安全などを願う多くの参拝者が訪れています。

◆なぜ午年に駒繋神社を巡るのか

午年は、新しい一歩を踏み出す年です。

夢へ向かって歩き始める人もいれば、
人生の大きな挑戦へ向かう人もいるでしょう。

そんな午年に訪れたい理由が、駒繋神社にはあります。

この神社の名は、源頼朝が奥州征伐へ向かう途中、
境内の松に愛馬をつないで戦勝を祈願したという故事に由来しています。

馬をつなぎ、祈りを捧げる。

それは、ただ旅の途中で休憩したという話ではありません。

これから始まる戦いへの覚悟を決める時間だったのでしょう。

人は、新しい挑戦を前にすると、不安や迷いを抱えるものです。

それでも前へ進むと決めたとき、初めて道は開けます。

午年は、勢いよく走り出す年。

だからこそ、その一歩には「決意」が必要です。

駒繋神社は、

「決意を胸に、新たな道へ踏み出す場所」

なのかもしれません。

夢へ向かう人。

新しい環境へ挑戦する人。

人生の節目を迎える人。

そんな人の背中を、静かに押してくれる神社です。

◆読む参拝|頼朝ゆかりの地を巡る

世田谷の住宅街を歩いていると、
突然、深い緑に包まれた小さな森が現れます。

その森の中に静かに鎮座しているのが駒繋神社です。

入口は二カ所あり、片方は住宅街の中にひっそりと入口があります。
鳥居の前に駐車場があるので車で行く人はそちらから入ることになります。


鳥居の手前に駐車します

もう1カ所は、キレイに花や木が彩りを与える遊歩道の途中にあります。
その遊歩道は昔そこに蛇崩川という川が流れていた場所で、
今でもその名残で鳥居の前に橋が残っています。


今でも残っている橋

私は駐車場側から入りましたが、
本来は遊歩道側から入るのが正式なルートです。

さて、遊歩道側から橋を渡ると右に曲がりながら上っていく階段を上ります。
その上った小高い丘の上が境内になります。

この先が境内になります

上るとすぐ右脇に小さな社がありました。


南を守護する稲荷社

これはこの神社の南北に建立されている二社の稲荷神社の内、
南を守護している稲荷神社です。
ご祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)。
正面には駒繋神社の社殿が鎮座しています。


社殿

社殿では厄払いをはじめ、
神前結婚式やお宮参りなどの祈願も行われています。
社殿の左奥にも小さな社が建立されています。


御嶽神社、榛名神社、三峯神社の三社

ここには御嶽神社、榛名神社、三峯神社の三社が祀られています。
それぞれ、ご祭神が

  • 大口真神(おおぐちのまがみ)

  • 火産霊神(ほむすびのかみ)、埴山毘売神(はにやまひめのかみ)

  • 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)

五穀豊穣、盗難・火難除、家内安全のご利益があります。

社殿から左に向くと正面にはもう一つの出入り口と鳥居。

その鳥居の手前左側に手水舎と招魂社。
この社は国のために御身を捧げられた250柱の英霊が祀られています。


招魂社

鳥居の右側には神楽殿が建立されています。
この神楽殿は時代劇にも使用されています。


神楽殿

神楽殿の左側に社務所があります。


社務所

社務所の右奥に小道があり、その先に北を守護する稲荷神社があります。


北を守護する稲荷社

境内を歩いていると、
それぞれの社が本殿を囲むように円形に配置されていることに気付きます。

まるで神様たちが中央の社殿を守っているようにも見える、
美しい境内です。

また境内には、世田谷名木百選に選ばれた木々や、
神社の名の由来となった「駒繋の松」も残されています。

歴史の舞台となったその松を前にすると、
源頼朝が愛馬をつないだ光景が、ふと目に浮かぶようでした。

◆下馬という地名が生まれた日

源頼朝が奥州征伐へ向かう途中、
この地で思いもよらない出来事が起こりました。

沢を渡ろうとした愛馬が突然暴れ出し、
深みに落ちて命を落としてしまったのです。

頼朝は亡くなった馬をその場に手厚く葬り、

「これから先、この沢を渡る時は必ず馬から下り、
手綱を引いて渡れ」

と命じました。

この故事から沢は「馬引きの沢」と呼ばれ、
やがて周辺は下馬引沢村と呼ばれるようになります。

これが現在の「下馬」という地名の由来と伝えられています。

また、出陣前には近くの子の明神(現在の駒繋神社)で武運を祈願し、
奥州平定後にも再び参拝して戦勝を報告しました。

愛馬を失った悲しみ。

神への祈り。

そして戦勝の感謝。

駒繋神社には、
源頼朝の人生を象徴するような物語が今も語り継がれているのです。

現在でも芦毛塚は大切に保存され、
源頼朝と愛馬の物語を今へ伝えています。

◆まとめ

今回巡った駒繋神社は、ただ歴史の古い神社ではありませんでした。

源頼朝が愛馬を松につなぎ、武運を祈願した故事から、
その名が生まれた神社。

そして、
「下馬」という地名にもつながる歴史を今に伝える場所でもあります。

境内には、古くから人々の願いを受け止めてきた社が静かに佇み、
九百年以上の時を超えて多くの人々を見守り続けています。

午年は、新しい一歩を踏み出す年。

勢いよく走り出すことも大切ですが、
その前に立ち止まり、自分の決意を固める時間もまた大切です。

源頼朝が出陣前に祈りを捧げたように。

愛馬をつなぎ、覚悟を決めたように。

駒繋神社は、

「決意を胸に、新たな道へ踏み出す勇気」

を静かに授けてくれる神社なのかもしれません。

夢へ向かって歩き始める時。

人生の新しい扉を開く時。

そんな節目に、もう一度訪れたくなる神社でした。

ここまで、午年に巡ると良いとされる神社を一緒に巡ってきました。

「目標を定める」
「勝負へ踏み出す」
「導きを信じる」
「決意を固める」

そんな馬にまつわる物語をたどってきました。

神社には、それぞれ異なる歴史や伝説があります。

その物語を知ってから参拝すると、
きっと見える景色も少し違ってくるはずです。

午年の神社巡りはいったんここで一区切りとなりますが、
これからも歴史や伝説が息づく神社を「読むだけで参拝体験」として
紹介していきます。

これからも、一緒に神社の物語を巡っていきましょう。

▶午年に巡ると良い神社の記事はこちら


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