【オランダ移住生活】決断編
【前回のあらすじ】
チェコに住む日本人の友人に会うため、間違えて予約した女性専用車両の寝台列車に乗ることになってしまった私は、子供の頃に出場した地域のわんぱく相撲大会で準優勝の成績を収めた。
決断編
日本を訪れた外国人は、ゴミが落ちていないことに驚くという。
それは日本人として、とても誇らしいことだ。
しかし私からすると、ヨーロッパにトイレが見当たらないことの方が驚きである。
無事にプラハ駅へ到着した私は、まずトイレを探して駅構内をさまよい歩いた。
プラハ駅の看板はポカリに似ていた。
本来なら、初めて訪れた異国の駅に心を躍らせる場面なのだろう。
しかし、その時の私にそんな余裕はなかった。
昨晩食べたケバブが腹の中で暴れ出し、寝台列車から続く腹痛は限界に近かったのだ。
チェコの歴史や文化に触れるのは後でいい。
今の私に必要だったのは、便器だった。
ようやく見つけたトイレの前には、門番のような男が立っていた。
その男は、私のような腹痛に苦しむ旅人たちを何人も見てきたのだろう。
一目見ただけで理解した。
この先へ進むには金が必要なのだ。
ヨーロッパではトイレが有料であることは珍しくない。
私は2ユーロを支払い、トイレを使用する権利を手に入れた。
日本円にして400円ほどだろうか。
普段なら高いと思う金額だ。
しかし、この時の私にはそんな感覚はなかった。
むしろ安いとさえ思った。
チェコの友人よりも先に、私は便器との再会を果たさなければならなかったのだから。

無事、トイレとの感動の再会を果たし、暴れ回っていたケバブを体外へ送り出すことに成功した私は、そこである事実に気がついた。
紙がなかったのだ。
2ユーロを支払ったにもかかわらず、このトイレにホスピタリティという概念は存在しなかった。
私はズボンがハンカチだと思って育ってきた。
当然、ハンカチやティッシュを持ち歩く習慣などは無い。
この危機的状況を解決するべく、私は思考の海の奥深くへと意識をダイブさせた。
…寝巻きとして持ってきたスウェットを犠牲にし、お尻を拭くか。
…今履いているパンツを犠牲にし、お尻を拭くか。
ーーー熟考の末、私はパンツを犠牲にすることを決断した。
解決策を導き出すことには成功した。
そうなると、替えのパンツをちゃんと持ってきているか確認が必要だ。
私はリュックの中を確認することにした。
もし替えのパンツがなければ、ノーパンでプラハの街を歩かなければならない。
その事実に気づいた時、それはそれで魅力的だと思った。
ノーパンでプラハの街を歩いたという経験は、私の鉄板トークの仲間入りをするに違いない。
私の心の中の『ごきげんよう』のサイコロにも、「ノーパンでプラハの街を歩いた話」という一面が刻まれることは間違いないだろう。
略してノープラである。
むしろここは替えのパンツが無かった方が美味しい。
伝説になる予感がした。
そう思いながら荷物を探していると、リュックの奥底から圧縮されたポケットティッシュを発見してしまった。
普通にパンツもあった。
少し残念だったが、お尻を拭くことには成功した。
本来なら喜ぶべきことのはずだった。
しかし私は、なにかを失ったような感覚になっていた。
ーー
駅を後にし、私はプラハの街を歩いた。
中世の面影を残した街並みは、とても美しかった。
石畳の道、歴史を感じさせる建物、行き交う観光客。まるで絵本の中に迷い込んだような景色だった。
この街並みをノーパンで歩く。
そんな世界線もあったのかもしれない。
人は生きていると様々な壁に直面する。
人生はトラブルの連続で、なかなか思い通りにはいかない。
しかし、そのトラブルさえも楽しむことができたなら、人生はもっと豊かなものになるのだろう。
私は、その経験を逃してしまったのかもしれない。
ノーパンの私の目に、この美しい街並みはどのように映ったのだろうか。
少なくとも今見えている景色とは、少し違っていたはずだ。
そんなことを考えながら、私は友人との待ち合わせ場所へ向かった。
