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【オランダ移住生活】初場所編

深夜、チェコへと向かう寝台列車の客室。
その暗闇の中、私はオランダに来てから1番焦っていた。

スマホを無くしてしまった可能性があったのだ。

異国の地でのスマホの紛失。
それは死を意味する。
裸一貫で雪山に放り出されるようなものだ。

本格的な捜索は、明るくなってからになる。

きっと見つかるはずだ。

そう自分に言い聞かせていたが、不安は拭えない。当然眠れるはずもなく、私はこの日1日を振り返ることにした。

ーー

5月上旬。
オランダにゴールデンウィークはなかったが、私はたまたま5連休を手に入れた。

せっかくの5連休。このままでは、きっと5日間ベッドの上で過ごすことになる。
なにかしなければ、このまま腐ってしまいそうだ。

そう思い、私は勢いでチェコに住む日本人の友人に会いに行くことにした。
目的地はプラハ。

私はその場でスマホを取り出し、寝台列車を予約した。
発車時刻は22時半。

まだ時間には余裕がある。

どうせ友人に会うなら、オランダで洗練された私をお届けしたい。
そう思い、私は人生2度目となるオランダでの散髪へ向かった。

店はもちろん、前回の散髪で素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたホワイティーが在籍する店だ。

しかし、この日ホワイティーはいなかった。

待合室にいた客だと思っていた人物が、そのまま担当として現れた。

私は前回同様、
「Give me the coolest hairstyle in the Netherlands.(オランダで1番イケている髪型にしてくれ)」とオーダーした。

そのオーダーに対して彼は、髪の長さがガタガタに揃っていない、どこか不安になる髪型を完成させるというパフォーマンスで応えてみせた。

2回目の散髪は、大失敗だった。

オランダでは、美容師や理容師といった資格がなくても、誰でも髪を切ることができるらしい。そのため当たり外れが激しく、散髪はギャンブルのようだった。

私は愛用していたヌジャベスのキャップを深く被り、この状況をやり過ごすことにした。

ーー

アムステルダム駅に着いたのは、21時を過ぎた頃だった。

まだ時間に余裕があったので、私は駅でケバブを食べることにした。

日本ではケバブを食べる機会などほとんどなかったが、オランダに来てからは、お酒を飲んだ後の締めとして食べることが多くなった。
オランダなのか、ヨーロッパ全体なのかはわからないが、どうやら定番らしい。

その日食べたのは、フライドポテトの上にケバブの肉と野菜とチーズが乗った、ホイル焼きのようなタイプのケバブだった。

私はこのタイプのケバブを初めて食べたのだが、これがとても美味かった。
ヨーロッパで愛されている理由がよくわかる味だった。

会計は、日本円で3500円ほどだった気がする。

私はもう、値段を気にするのをやめていた。
オランダの物価にいちいち驚いていては、精神力が持たないのだ。

その後、水や食料、歯ブラシ、歯磨き粉などを購入し、私は改札へと向かった。

改札へ向かう途中、私はスマホで寝台列車の予約画面を確認した。

その時、衝撃の事実が発覚した。

なにも分からず予約したその寝台列車は、“Women Only”。
まさかの女性専用車両だったのだ。

私はオランダに来てから1番焦った。

このまま乗り込めば、国際問題に発展しかねない。

私は慌てて窓口へ向かい、駅員に事情を説明して車両変更を求めた。

すると駅員は、“ある表情”を浮かべた。

私は、その表情に見覚えがあった。

ーー

あれは小学4年生の時、地域のわんぱく相撲大会に出場した時のことだ。

休日に開催された相撲大会。負ければすぐに帰ることができる。
そのため、引率の担任も午前中で帰る気満々だった。

しかし、私はなぜか勝ち進んでしまった。

結果、準優勝。

そのせいで表彰式にも参加することになり、他学年の試合がすべて終わるまで待たなければならなくなった。

先生は、明らかにイライラしていた。

ようやく表彰式が終わり、私は銀メダルを首から下げたまま先生の元へ向かった。

すると先生は、

余計なことをしやがって。
めんどくさい。
早く帰りたい。

そんな感情を必死に隠しながら、しかし全く隠しきれていない顔で、私に言った。

「おめでとう」

ーー

駅員が見せた表情は、あの時の先生とまったく同じだった。変更には応じてもらえず駅員は、
「いいから行け」
と言わんばかりの態度で、私を通した。

不安になった私は、ホームにいた別の駅員にも車両変更を求めた。

しかし、こちらも同じだった。

あの時の担任の先生とまったく同じ表情を浮かべながら、
「いいから行け」
の一点張りだった。

ここまで、性別についてはっきり明言してこなかったが、私は男だ。
駅員たちには、私が女性に見えているとでもいうのだろうか。

寝台列車の客室は4人部屋だった。

もしかすると、予約されているのは私ひとりだけなのかもしれない。
だから駅員も通したのだろう。

そう思いながら客室へ入ると、すでに1人の女性が座っていた。

終わった。

彼女はおそらくオランダ人。
小柄で、私より年下に見えた。

短めのボブヘアーをセンター分けにしており、メガネ姿がどこか知的な雰囲気を漂わせていた。

その姿を見た瞬間、私はある人物を思い出した。

小学生の頃、1枚で100点になるベルマークを学校に持ってきたことで、「ベルマーク」というあだ名を付けられてしまった地元の女子だ。

雰囲気が似ていたため、私は彼女のことを心の中で“ベルマーク”と呼ぶことにした。

客室に侵入してきた私を見て、ベルマークは当然困惑していた。

私は慌てて事情を説明した。
するとベルマークは席を立ち、駅員を呼びに行ってくれた。

その後、駅員とベルマークによる話し合いが始まった。

どうやら駅員は、「この男と同じ部屋で一晩過ごしてくれ」とベルマークを説得しているようだった。

なぜ駅員サイドは、そこまで頑なに私を女性専用車両へ乗せたがるのだろうか。
一体、何に意地を張っているのか。
一般車両が満室には見えなかった。

話し合いの末、ベルマークは私との同室を許可してくれた。

その時のベルマークの表情には、あの時の先生のような
「余計な仕事を増やしやがって」
という空気は一切なかった。

むしろ、快く受け入れてくれた。

ベルマークは、素晴らしい女性だった。

そして、ベルマークもヌジャベスが好きだという事を話してくれた。

私が被っていたヌジャベスのキャップを見て、
“得体の知れないアジア人”から、“ヌジャベス好きのアジア人”へと認識をアップデートしてくれたようで、警戒レベルを下げてくれたのだ。

ヌジャベスが音楽を担当したアニメ「サムライチャンプルー」は世界的にヒットしており、ヨーロッパでもヌジャベスの名前は知られていた。

あの独特の浮遊感のあるサウンドは、ベルマークの心もしっかり掴んでいたようだった。

私は改めて、音楽という文化の凄さを思い知った。

言葉も、人種も、国境すら越えて、人と人との距離を縮めてしまう。

もし散髪に失敗していなければ。
もしヌジャベスのキャップを被っていなければ。

私はこのピンチを乗り越えられなかったかもしれない。

この時ばかりは、あのガタガタの髪型に仕上げてくれた美容師に感謝した。

その後、スマホの紛失に気づいたのは、消灯時間を過ぎてからだった。

ーー

消灯時間を過ぎた寝台列車の客室。その暗闇の中、今日1日を振り返ってみるとトラブルの連続だった。

スマホなしでのチェコ旅行。
それは、力士がふんどし無しで土俵に上がるようなものだろう。

私は先ほど感じた「オランダに来てから1番の焦り」を、爆速で更新した。

ベルマークにはすでに多大な迷惑をかけている。そんな状況で、
「スマホを探したいので電気をつけてもいいですか?」
などと言えるはずもなかった。

眠ることもできない。
私はただ、明るくなるのを待っていた。

やがて夜が明けた。

ベルマークが起きたことを確認し、私はスマホの捜索を開始した。

客室をくまなく探してみたが、スマホはどこにもない。

そんな私の様子を、ベルマークはどこか不安そうな表情で見つめていた。

私は、半ば諦めかけていた。

こんなところにはないだろう。

そう思いながら座席のシートを外した、その時だった。

座席の下から、見覚えのある力士のイラストが描かれたスマホカバーが姿を現した。

そこに、私のスマホがあったのだ。

助かった。

ベルマークも、自分のことのように喜んでくれていた。

プラハ到着まで、あと数時間。
生きる希望を取り戻した私は、ようやく眠りにつくことができた。

客室に響く列車の走行音は、ヌジャベスのサウンドにも負けないくらい心地よく感じた。

ーー

私とベルマークを乗せた寝台列車は、午前11時頃、無事プラハへ到着した。

ベルマークとは、ここでお別れだ。

私は、拙い英語で出来る限りの感謝を伝え、ベルマークと別れた。

ベルマークは素晴らしい女性だった。

そして私は、スマホがちゃんとポケットに入っていることを何度も確認しながら寝台列車を後にした。

見慣れているはずの、スマホカバーに描かれている力士達。

しかしその日だけは、力士たちの表情がいつもより少し晴れやかに見えた。

私のプラハの旅は、まだ始まったばかりだった。

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