小説【檻のベッド】(第2話) 『白ひげとどんぐりの帽子』
目が覚めた。
天井の色を見て、ここが病室だとすぐに理解する。
お腹の痛みはもうなかった。それにまず、自然と息が漏れた。
ゆっくりと身体を起こす。
スマホを手に取った。
LINEの通知の多さを見て、困る。
事情を知っている友達。
知らない友達。
すでに母親から話が伝わっている担任。
順番に、丁寧に返信した。
最後に、昨日、適当に流した母親のLINEを読む。
明日、9時に着きます。
文字から決意みたいなものを感じる締めの一文に、「はぁ……」と、うなだれた。
宣言通りの時間、母親が病室に現れた。
「あれほど外来の数値を気にしなさいって言ったのに。お父さんも仕事を早退してきて、大変だったんだからね!」
弾丸のような小言に適当に相槌を打って、謝って、
「いつも通り炎症反応がなくなったら退院だから、お父さんにも言っておいて」
と事務的に伝えて、なんとか帰ってもらった。
慌ただしい午前中が終わり、体調が良くなっている私に、あの時間が訪れる。
「……暇なんだよなぁ」
我ながら不謹慎極まりないひとり言だが、待つことが治療という、こんな患者がいるのもまた、事実なのだ。
私は4人部屋の病室を見回した。
右隣は、カーテンが閉まっている。子どもをあやすような母親の小さい声がした。
斜め向かいも、カーテンが閉まっている。声は聞こえない。寝ているのかもしれない。
そして、足の方向となる向かい側のカーテンは開いていて、ベッドがあるはずのスペースに、何もなかった。
なぜか。
その理由に、覚えがあった。
うるさくしないように上半身を起こし、ベッドサイドのスリッパを履き、立ち上がる。
点滴台を連れて、病室を出た。
ナースステーションの前に、それはあった。
私の向かい側にあるはずのベッドが。
異様なほど柵が高く、間違っても中の子どもが転落しないようにされている。それは納得できる。
ただ、置いてある場所が、病室ではないのだ。
ナースステーションのカウンターにぴったり付けているとはいえ、通る関係者すべての目に止まる。
その光景を私は、ずっと前から動物園の檻のように感じていた。
「……ひどいな」
見世物のような仕打ちに対してではない。
そうさせている、付き添いを何らかの事情で拒否している、親に対してだ。
いくら小児科には保育士さんがいるからといって、我が子が心配ではないのだろうか。しかも入院しているというのに。
病室で、一人でナースコールを押せない子は多くいる。怖くて押せない、話ができない、そもそもナースコールを理解していない。事情を挙げればきりがない。その心配のある子が『檻のベッド』になってしまう。
そんな弱い子どもを一人に──。
『檻』を見て思う私は、ふと、『檻』からの視線に気づいた。
点滴台のガラガラ音が派手にならないように、ゆっくりと近づいていく。
そこに彼女はいた。
枕元にちょこんと座り、ぱっちりと開いた目で、不思議そうにこちらを見ていた。
「可愛い……」
思わず声が出た。
すぐ側まで寄る。
鼻から管を入れているのだろう。それを固定するテープが鼻下から両の頬にかけて貼られていて、けれど、悲壮感はない。白ひげを生やしたお人形さんのようだ。
しかもその『白ひげ』には、看護師さんが描いてあげたと思われるハートや、星や、くまさんのイラストが愛らしさを際立たせている。
私は見惚れていた。
それに気づいたナースステーション内の看護師さんが、中で作業をしながら目で合図をくれる。
『そうなの、可愛いよね』
そんな、目と目の会話をした。私は看護師さんに向かって、うんうんと頷いた。
可愛い子は、言葉を発せず、きょとんとしていた。明るい茶色の髪は耳元くらいまでの長さで、まるでどんぐりの帽子を被っているみたいだ。
幼稚園児か、小学1年生か。大人しくて、良い子な印象だった。
「夜は、ベッドを病室に戻すんですか?」
カウンター越しに、看護師さんに訊いた。
「今夜から戻す予定なの。良くなってきたからね」
「そうだよねー」と、看護師さんは可愛い子にも声をかけていた。
良くなってきた。それはなによりだ。
でも、それ以上は訊けない。
『なに』が良くなったのか、『どんな』病気なのか。『なぜ』ここに一人でいなければならないのか。他の患者のことは訊けないし、話せない。病院には厳しい守秘義務があるからだ。
私は昔得た知識を勝手に思い出し、推測した。
鼻管を入れているということは、胃や腸のものが何らかの理由で外に出せない。
溜まり続けて苦しい状態を管で吸い上げ、管の先の廃液バッグに出す。
看護師さんの言った『良くなってきた』は多分、
吸い上げが上手くいって、スッキリして楽になったということなんだろう。
──今夜から、戻す予定なの。
私から視線を外し、持っている人形をいじる子に、バイバイと手を振った。
「また今夜ね」
聞こえなくてもいいくらいの声で、呟いた。
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