【特別授業 4/5】『人はなぜ生きられるのか?』──無欲という「欲」
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最後の特別講義
あれからまた、1週間が過ぎた。
四月の空気は少しずつ湿り気を帯びはじめ、構内の桜も、最後の花びらを惜しむように枝先に残っていた。
昼休み、窓際の席。僕たちは、いつものように並んで食事をしていた。
ミナト、サキ、リサ、ケン。
何度か顔を合わせるうちに、少しずつコミュニケーションが自然になってきた4人だが、どこか不思議な一体感があった。
「なあ、みんな……本当に医者になるんだよな、俺たち」ケンがスープを一口飲んでぽつりと言った。
リサが小さく笑う。「いまさら?」
「うん。でもさ。最近、この体をどう鍛えるかってより、この体で何ができるかって考えるようになって……フィジカルだけじゃ足りないな、って。何かこう、もっと内側?」
「えっと、筋トレの話?」リサがつっこむと、ケンはちょっとだけ笑って肩をすくめた。
「でも、わかるかも。医学じゃなくても、やりたいことあるのかもって、最近ちょっと思うようになってきた」
サキは小さく頷いた。
僕は、少しだけ言い淀んだあと、口を開いた。
「実は僕も……最近、数学の講義を受けるたびにさ、ああ、やっぱりこっちの世界にも生きていたかったのかもな、って思うんだよね」
しばし沈黙が落ちる。
「……でも、どうなんだろうね」サキがぽつりと言った。
「何が?」とケン。
「持ち回りって言ってたけど、私たち以外の人たちが受けてる特別講義ってどんな感じなんだろう」
「そういえば聞いてないよね」リサも言った。
「……なんで俺たち、今ここにいるんだろうな」
その言葉が落ち着く前に、時計の針が午後の講義の始まりを告げる。
「行こうか。最後の特別講義、だもんね」
リサは、誰のものか分からない机の上の紙ナプキンを、何気なく片づけながら言った。
4人は、言葉少なに席を立ち、午後の陽射しのなかを本館へと歩き出した。
「欲望」の設計
僕たちは先週と同じ教室に入り、前回と同じ席に座った。
誰も口にしなかったが、4人とも同じ席に自然と落ち着くことに、僕は少しだけ違和感を覚えた。
扉が音を立てて開いた。
葉山先生は、何も言わずに入ってくると、ゆっくりと黒板の前に立った。
今日は、白衣がピシッとしており、ネクタイを締めている。珍しいことだった。
「──やあ。また会えたね」
いつもの口調だった。
先生は黒板に向き直ると、チョークを手に取り、「欲望」という文字を書いた。
「さて、今日はこの話から始めよう」
「前回までで、人がいつでも動き出せる状態に設計されていることは見てきたね。
でも、それだけじゃ不十分だ。“動けること”と“動くこと”の間には、大きな違いがある。今日は、その最後の鍵──欲望について考えていこう」
先生の声が、教室をゆっくりと満たしていく。
「欲望がなければ、人は動かない」
先生はそう言い切った。
「食べたい、知りたい、触れたい、認められたい──どれも、私たちが行動を起こす根源的な力だ。つまり、欲望こそ、生を方向づける設計なのだ」
「たとえATPがあっても、体温があっても、神経が接続されていても……動機なき機能は空転する」
先生は一度黒板を見てから、またこちらに向き直した。
「行動を引き出すには、“どこへ向かうか”という指令が必要だ。それを決めるのが、脳の設計だ」
先生は、ゆっくりと黒板に図を描き始めた。
「側坐核にまずシグナルが立ち上がり、扁桃体が感情として色づけ、前頭前野が“行こう”と判断する──
欲望とは、これらの間で醸成されていくものなんだ」
チョークで描かれる図の輪郭が、少しずつ明瞭になっていく。
「欲望は、ただの本能ではない。そこには方向がある。食欲は栄養へ、性欲は種の保存へ、承認欲求は社会的つながりへ、探究心は知識や意味へ」
先生は歩みながら、言葉を重ねる。
「このとき中心にいるのが、ドーパミンという神経伝達物質だ。ドーパミンは“報酬予測誤差”を検出する。予想以上の結果が得られたときに強く放出され、脳に“この行動は価値がある”と刻みつける」
「つまり、努力して手に入れた報酬の方が、何もせずに得た報酬よりも価値があると感じるのも、ドーパミンがその差異を際立たせるからなんだ」
先生は歩みを止めた。
「そしてもう一つ。こうした欲望の源流は、単純な生理的なものから、より複雑な社会的欲求、自己実現へと階層的に構成されている。視床下部、扁桃体、前頭前野──それぞれが異なる階層で、異なる欲望に関与している」
「脳は、欲望を学習し、そしてそれを通して進化してきた──そう言っても過言ではない」
教室が静まり返る。
「つまり、欲望は人間らしさを支える核だ。だが、ここでひとつ、難題がある。欲望は、強ければいいというわけではない」
「暴走すれば、自らを滅ぼすことになる。渇望が理性を越え、社会は壊れ、個人は壊れ、身体すら壊れてしまう」
無欲の逆説
「では、こういう問いを立ててみよう」先生はチョークを止めて、教室を見渡した。
「無欲は理想だろうか?」
これはもはや医学部の授業なのか?
ふと僕は思った。
「足るを知れ、欲を捨てよ、といった言葉がある。確かに、欲望は人を苦しめることもある。戦争も、飢えも、貧富の差も、多くは欲望の延長線上にある」
先生は一呼吸置き、少し表情を和らげて続けた。
「しかし──無欲になりたい、という感情ですら、実は“無欲であることで得られる精神的報酬”を求めているかもしれない。あるいは、欲望から解放された自分でありたい、という理想像への欲求だ」
「このときの報酬は、典型的な快情動──喜びや高揚といった感覚というよりも、むしろ葛藤のなさや整合性の感覚として現れる。これは脳内では、ドーパミン系だけでなく、内側前頭前野や帯状皮質、さらにはセロトニン系など、広範な調整系が関わっているとされる」
「また、正義、信念、義務感──これらも、そうすることで世界を良くしたいという、欲望の表れと言える。正義を貫くことで得られる納得感、信念と現実が一致したときの一貫性の感覚、役割や義務を果たしたときの満足、こうした”理念的欲望“は、前頭前野や帯状皮質、内側頭頂葉といった高次領域で、“自分でいられた”という感覚を与えてくれる」
先生は、手元のチョークを持ち直し、黒板に再び小さな図を描いた。
「そして──誰かのために生きる、という行動もまた、脳は報酬として捉えている。相手の喜びを見て自分の報酬系が活性化する、いわば“共感の報酬”だ。これは扁桃体、前頭眼窩皮質、内側前頭前野など、共感や利他性に関与する領域が深く関係している」
「つまり、私たちが“無私”や“利他”と感じる行動にも、脳はきちんと“意味づけ”をしている。そして、それはやはり“そうありたい”という、欲の一形態として現れる──そう捉えることができる」
先生は少し間を置いて、続けた。
「さらに、感動すること、涙を流すこと、喜びを分かち合うこと──これらも単なる感情の揺らぎではない。社会的な絆を強め、共通の記憶を刻み、集団の結束を支える、“生きるための欲望”だ」
「たとえば、誰かの死に涙を流すことも、ただの情緒ではない。それは、守るべきものを認識し、次の世代へ何かを伝えるための、生物としての戦略だ。」
教室に沈黙が流れた。
その静けさの中で、言葉では捉えきれない何かが漂う。
しばらく経って、リサが口を開いた。
「でも......欲望以外に、人を動かすものはないのでしょうか?」
先生は一呼吸置き、ほんのわずかに視線を落とした。
「そうだね。”それをしなければいけない気がする“という説明のつかない感覚、これは欲と言えるのか。
それとも──他に根源的な何かが、人間には埋め込まれているのだろうか」
先生はゆっくりと黒板の横に戻り、チョークを置いた。
そして、一呼吸置いて、視線を4人に向け、微笑みながら言った。
「その答えは──いずれ、君たち自身が見つけることになるだろう」
その一言が、僕たちの胸の奥に、ひっかかりのように残った。
(最終回へつづく)
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