💟第25話 昭和維新運動に邁進-出山還俗・僧籍離脱
🟡昭和維新運動に邁進
🟠錦旗会三河支部を結成
昭和4年(1929年)2月、田中光顕伯爵から明治維新の真相秘話を聞き出し、頭山満翁から空前絶後の御教訓を得て、国体問題への懊悩が雲散霧消した芳聖は、
同年6月、錦旗会三河支部を結成して支部長に就任し、「皇政復古、神政維新、皇国体の真姿開顕」を標榜する昭和維新運動に立上がり、三河各地で、国体明徴講演会を実施するなど啓蒙活動に邁進していました。
🟠昭和維新の春の空
「昭和維新」というのは、王政復古を旗印に行なわれた明治維新を更に徹底しようというもので「皇政復古、神政維新、皇国体の真姿開顕」という言葉に象徴される民族精神の復興運動であります。
分かりやすく言うと、西洋かぶれした精神では、建国精神に基いて国際社会への貢献が出来ないので、本来の日本民族の精神、日本的生命観に立ち帰ろうという精神的復古運動であります。

当時の世相は、「権門上に傲れども、国を憂うる誠なし、財閥富を誇れども、社稷を思う心なし、ああ人栄え国亡ぶ、盲たる民世に躍る、治乱興亡夢に似て、世は一局の碁なりけり」の「青年日本の歌」の歌詞ように、
貴族・財閥等の特権階級は物欲の虜になって堕落し、政治家は党利党略に明け暮れ、中産階級の思想的頽廃及び経済的逼迫は深刻であり、
外交は、非主体的で、ワシントン及びロンドン軍縮会議における屈辱的な妥協など、欧米的世界秩序に盲目的に組み込まれ、国民の思想は個人主義・マルクス主義など反国体思想に満ちており、
しかも国民の生活は貧しく、特に農村部の疲弊のひどさは、その子女を身売りするほどで、日本は漂流する難破船のような不安定な状況でした。

🟡住職辞職・僧籍離脱を勧告される
🟠常時尾行を付される
こうして、芳聖が昭和維新運動に乗り出すや、昭和4年(1929年)の5月頃から、特高警察の常時尾行が付くようになり、危険人物・特別要視察人として検察当局の弾圧が始まったのです。
特高警察の常時尾行が付くようになった原因は、田中伯爵に三浦家系譜を見せたため、その筋から「内務省警保局」に指令が行き、そこから全国の警察に連絡が行ったのだろうと芳聖は述べています。
南朝正統家の嫡孫である芳聖が、堂々と「国体明徴論」を振りかざして「皇政復古、神政維新、皇国体の真姿開顕」と獅子吼して奔走すれば、
明治天皇の皇統が二代で断絶したあとの皇室が、嘘で固めた、まるで鵺のような正体不明の存在である事を熟知していた田中伯爵には、芳聖は、さぞや「危険人物」に見えた事だろうと思うのです。
🟠住職免職・僧籍離脱処分
さて、芳聖に特高警察の常時尾行が付くようになって暫く経った昭和4年(1929年)6月頃、西山深草派総本山「誓願寺」の宗務当局執事の松井慶厳氏(芳聖の兄弟子)が、富永慶法管長の特使として日曜院にやって来て、住職免職・僧籍離脱という宗制宗規上の最も重い処分を言い渡したのです。
その理由は、「多年寺門の経営を怠り蠢動し、危険人物として、検察当局の常時監視を受くる身分となりたるは不届至極、宗派の体面を汚す事甚だしく僧侶にあるまじき仕儀なれば」でした。
住職の芳聖に特高警察の常時尾行が付いたため、驚いた日曜院の檀家総代が本寺の安楽寺にご注進するや、安楽寺では、本当の理由を知る由もなかったが、国家権力者から睨まれるのを恐れて、芳聖を一方的に処分したのだと思います。トカゲの尻尾切りですね。
🟡出山還俗-新段階への前兆
その当時、日曜院には、高齢で病の床に伏し、余命幾ばくもない先住職のお庫裏さんが居ました。
そこで、芳聖は「済南事変から帰還してまだ間がないのに、今すぐこの処分を執行すれば、監督官庁の文部省からお咎めがあるやも知れず、かえって富永慶法師匠に迷惑が掛かるといけないから、時期が来るまで暫く待ってくれ!」と言って時を稼ぎ、
昭和4年(1929年)8月24日、数えの10歳で仏門に入ってから満16年目の記念日に、出山還俗したのです。数えの26歳でした。
もし、芳聖の方から住職退職を申し出たとしたら、「お寺で養育して貰った恩は忘れたのか!」と言われたと思います。
表面的には苦難と見える「住職免職・僧籍離脱の勧告」は、大御神の教導計画通りで、新たな段階へと進む前兆であり吉兆でありました。
💟天照大御神の御子教導計画に基づく神謀援慮により、三浦芳聖は、16年間の僧侶時代に別れを告げて出山還俗し、天下の浪人となりました。表面的には苦難と見える処分は、大御神の教導計画通りで、新段階へと進む吉兆でありました!
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