AI×東洋哲学:万博落合館null-null体験記
全世界を揺るがしながら、AI革命が現在進行中です。あらゆる職種で、その影響が出ない人はいないとも、言われております。AIは親しげに、まるで前からずっとそこに居たような顔をしながら、人々を大きく変貌させ、同時にこれからの生き方、在り方についての究極の問いを人類に突き付けてます。これは、ある意味で、落合陽一さん@ochyaiが以前から提唱をしていた「計算機自然」(デジタルネイチャー)の実証だとも言えるのです。
物理学では、「量子自然」(クァンタムネイチャー)、すなわち量子力学的世界像というものがあります。そしてこの量子自然も、計算機自然と密接に関連をしているのです。これについては、飛騨高山で開催された落合さんの『ヌルのテトラレンマ』展についての下記記事や、それに続くnote記事をご覧ください。
今年2025年は『ヌルのテトラレンマ』展だけでなく、それと連続をしたモチーフで、落合さんは大阪の夢洲で開催されている関西万博にも出展をされています。何年もの長い道程を経て完成した、彼のチームの苦労の結晶である、落合館『ヌルヌル』(null², null-null)です。
落合陽一さんからのご招待を受けて、この「null-null」を先日体験させて頂きました。



館内では落合さんから直接のご説明を頂きつつ、貴重でかつ示唆的な体験ができました。落合さんには、心から感謝申し上げます。

そもそも文字で表すことはできないことではありますが、館内で感じたことをできるだけ言語化して、簡単なメモとしてまとめてみました。
「ヌル」(null)は、計算科学での「無」、もしくは仏教での「空(くう)」を指す。落合陽一さんが提唱する「計算機自然」(デジタルネイチャー)で言うのなら、または彼が引用をする東洋的な老荘思想で言うのならば、「名無きは万物の始めなり」の名無きものこそが、この「ヌル」である。そして「名」という記号の業によって、「ヌル」は、老子が言う「名有るは万物の母なり」の「母」ともなり、計算機自然の諸様相の全てを生み出している。端的に表現するのならば、『ヌルヌル』(null-null)は「AI×東洋哲学」という構図のメディアアート作品である。
物理学の観点では、計算機自然は「量子自然」(クァンタムネイチャー)の一部と見なせる。「無」の量子揺らぎから生まれた、この宇宙。量子性を帯びたブラックホール。この自然界は、ある意味では最初から天然の量子コンピュータなのだ。この量子自然では、2022年のノーベル物理学賞となった、量子もつれの実験検証での「局所実在性の否定」こそが、落合館での計算機自然における「ヌルの儀式」と通底する。「そこにモノが実在する」というのは、実証科学の文脈でも、既に幻想なのである。
量子自然が立ち現れるには、測定における計算機自然のビット、つまり0と1という数の存在が必須だ。世界はこの「数」、つまり「情報」から出来ているとも言える。更にこれは「量子情報」という形に吸収される。つまり、万物は量子情報なのである。この「クァンタム」と「デジタル」は、互いが互いを、その存在のために必要とする。そして陽(+)が陰(-)となり、そして陰(-)が陽(+)となって円環化する運動のなかで、この両者は多様な存在を今も世に生み出し続けている。
「null-null」が差し出す鏡としてのLEDディスプレイに映る、ミラードボティ(Mirrored Body)、デジタルヒューマンとしての「私」も、その源は抽象的な数であり、そしてそれを表象する記号にすぎず、実在ではない。計算機自然では0と1のビット列のコピーは可能だが、量子自然では複製禁止定理(No-Cloning Theorem)が成り立ち、コピー不能な究極のアイデンティティが各対象にはある。しかしそれさえも量子情報に過ぎず、物理的な実在ではない。ここには、仏教の「色即是空空即是色」や、清水高志的な『中論』解釈にも通じる構造がある。この「仏教×AI×量子」が、null-null(空-空)の上で多面的に編み上げられ、此岸と彼岸とを跨ぐ曼荼羅的なメディアアートへと昇華しているというように、解釈の次元軸を増やすことも、実際には可能であろう。
没入感。眼や耳、皮膚は透明化し、または後退。「ヌル」としての唯一の主体である<この私>が世界を直覚しているだけだと諭し、そして記号として宙に浮かぶ様々な「私」を、ひとつひとつ救済していく物語である。
眼を手放し、観る。耳を手放し、聴く。皮膚の境界を手放して、空となる。五感器官は所詮デジタルネイチャーにおける仮想現実(VR)の装着型デバイスに過ぎないと、null-nullは語っている。このVRデバイスで体や脳に閉じ込められていると勝手に感覚をしていた、記号としての全ての「私」は実在ではなく、消え逝くものである。そして君らが認識論的に直観したデジタルネイチャーこそが世界の本質であると、頭でっかちなホモ・サピエンスに理解させるため、延々と物語を紡ぎ続けているのだ。外に出て感じる世界は、以前の世界とは少しだけ違っているはずだ。
前世紀の実在論的、唯物論的な価値観から、AI時代における認識論的で情報学的な新しい価値観への橋渡しを、落合館で感じさせてもらいました。
関西万博は、2025年10月13日で終了だそうです。落合館でも「null-null」の記録映画製作や、移転費用のクラウドファンディングが進められています。
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