スタートもゴールも、みんな違う。#42
― 左利きから見た、右巻きの世界 ―
シンプルな事実から始めたい。
生まれてから死ぬまで、まったく同じ人生を送る人は、一人もいない。
当たり前だ。
でも、この当たり前を僕たちは案外忘れているんじゃないかと思う。
生まれた場所も違う。親も違う。育った環境も違う。
生まれ持った体も違う。出会った人も違う。
得意なことも、苦手なことも、抱えているものも違う。
スタートが違う。
歩いている道も違う。
そしてたぶん、見ているゴールも違う。
それなのに、なぜか僕たちは、
みんなと同じにならなきゃいけないような気がしてしまう。
今日は、他人と比べることについて書いてみたい。
違うスタートで、同じレースを走らされる。
考えてみると、少しおかしな話だ。
スタート地点が違う。持っている地図も違う。履いている靴も違う。
走っているコースも違う。なのに、なぜか同じタイムで走れと言われる。
あの人は30代で起業した。
あの人は40代で会社を大きくした。
あの人は海外へ行った。
あの人は家を買った。
あの人はSNSで人気になった。
見れば見るほど、自分だけ遅れているような気がしてくる。
でも、その人の人生の条件と、自分の人生の条件は違う。
親から受け取ったものも違う。背負っている責任も違う。
体力も違う。家族の状況も違う。人生のタイミングも違う。
なのに、結果だけを並べて比べる。
これは、かなり無茶なゲームだと思う。
左利きの僕からすると、右利き用のハサミを渡されて。
「なんで同じように切れないんだろう」
って感じていたことと、少し似ている。
道具も違う。条件も違う。なのに、結果だけ比べる。
それで苦しくなるのは、当たり前なんですよね。
他人の顔色で、生きるのか。
他人と比べると、人は少しずつ他人の顔色をうかがうようになる。
あの人はどう思うかな。
これをやったら笑われるかな。
失敗したら恥ずかしいかな。
普通じゃないと思われるかな。
そうやって、自分の人生なのに、ハンドルを他人に渡していく。
空気を感じることと、他人の顔色をうかがうことは違う。
空気を感じるというのは、場の気配を受け取ることだ。
誰が困っているのか。何が言葉になっていないのか。
何を言うべきか。何を言わない方がいいか。
そこを考えることだと思う。
でも、他人の顔色ばかりを気にするのは、
結局、自分がどう見られるかを気にしているだけだ。
自分の人生なのに。
主役が他人になっている。
みんなと同じでいることが安全。目立たないことが正解。
周りに合わせることが正しい。
そんな空気の中で、自分の輪郭を持たずに生きている人が、
実はすごく多い気がする。
他人に決められた人生か。自分で決めた人生か。
ここで、一番大事な問いを置いてみたい。
あなたの人生は、他人に決められた人生ですか。
それとも、自分で決めた人生ですか。
進学も。就職も。結婚も。働き方も。
「普通はこうだから」
「親がそう言ったから」
「周りがみんなそうしているから」
「世間の常識だから」
そんな理由だけで、決めていないだろうか。
もちろん、親の意見を聞くことも大事だ。
周りの助言を受けることも大事だと思う。
でも、最後に決めるのは、自分であってほしい。
たとえ茨の道であっても。険しくて、辛くて、
誰も選ばないような道であっても、
自分で決めた道なら、それは自分の人生だ。
反対に、平坦で楽な道でも、他人に決められた道なら。
それは、他人の人生を生きているのと同じだと思う。
誰かの期待に応え続けて、誰かが安心するように生きて、
気づいた時には、自分が何を望んでいたのか分からなくなっている。
それは、少し寂しい。
僕は、たとえ茨の道でも、自分で決めた人生を送りたい。
そう思っている。
左利きとして生きてきた僕の答え。
この話は、左利きとして生きてきた自分にもつながる。
僕は左利きとして生まれ、右利きが前提の世界の中でずっと生きてきた。
小学校に入って、字を書く手だけは右に矯正させられた。
「普通は右だから」
「みんなそうするから」
今振り返れば、あれもある意味では、
他人に決められたことだったのかもしれない。
でも、そこから先の人生は、なるべく自分で決めてきたつもりだ。
建築の道に進んだこと。
会社を継いだこと。
廃業という決断をしたこと。
空間戦略プロデューサーという肩書きをつくったこと。
教育移住という選択をしたこと。
周りから理解されないこともあった。
「なんでそんな選択をするの?」
そう言われたこともある。
うまくいかなかったこともある。失敗したこともある。遠回りもした。
でも、自分で決めた道だったからこそ、後悔はしていない。
それも含めて、自分の人生だったと思える。
僕にとっては、そこがすごく大事だ。
比べる相手は、過去の自分。
他人と比べると、自分に足りないものばかり見えてくる。
あの人は、お金がある。
あの人は、才能がある。
あの人は、人脈がある。
あの人は、若い。
あの人は、順調に見える。
でも、比べる相手を過去の自分に変えると、見えるものが変わる。
去年の自分より、少し動けているか。
半年前の自分より、少し考えられるようになったか。
昨日の自分より、一歩でも前へ進めたか。
比べる相手が過去の自分なら、勝ち負けではない。
成長を見つける作業になる。
誰かを追い抜くためじゃない。
昨日の自分を、少し超えるため。
その方が、ずっと健全だと思う。
空間にも、比較はいらない。
空間戦略プロデューサーとして、この考え方は仕事にも直結している。3,000件を超える空間に関わってきた中で、
うまくいかない会社によくあることがある。
「他社と同じような空間にしたい」
「業界で流行っているものを入れたい」
「みんながやっている形にしたい」
参考にすることは大事だ。
でも、他社と比べて空間をつくると、
どこにでもある個性のない空間になってしまう。
その会社には、その会社だけの哲学がある。
その経営者には、その経営者だけの物語がある。
社員にも、お客さんにも、その会社にしかない歴史がある。
本当に強い空間は、流行をコピーした空間じゃない。
その会社が積み上げてきたもの。
過去と、今と、これから向かいたい未来。それを反映した空間だ。
人生も同じだと思う。
他人と比べるんじゃない。
過去の自分と、今の自分と、これからの自分を見る。
空間も、人生も。
比較する相手は、他人じゃない。
生まれてから死ぬまで、同じ人生を送る人は一人もいない。
だったら、他人と同じペースで走る必要もない。
他人の顔色をうかがい続ける必要もない。
自分で決めた道には、失敗も遠回りもある。
それでも。
自分で選んだ道なら、その痛みも含めて自分のものになる。
他人に決められた平坦な道より。
少し不器用でも。
少し遠回りでも。
自分で決めた道を歩きたい。
「たとえ茨の道でも、自分で決めた道なら、それは自分の人生だ。
他人に決められた平坦な道より、ずっといい。」
―― 島村拓史
