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AIに「経験と文体」を学習させて分かったこと——生成AIが最後まで複製できなかった、たった一つのもの

正直に言う。

私は、自分の文章には、自分にしか書けない何かがあると思っていた。

二十年、文章で食ってきたわけではない。
だが、それなりに書いてきた。

だから、心のどこかで思っていた。

AIには、私は真似できない。
そう信じていた。

ある夜、軽い気持ちで試した。

過去に書いた記事を何本か読ませて、「この人の文体で、新しい記事を書いて」と頼んだ。

遊びのつもりだった。

出てきた文章を読んで、私はしばらく動けなかった。

うまかったのではない。
私より、私らしかったのだ。


鏡と、コピー機は違う

ここで、ひとつ区別したいことがある。

鏡と、コピー機は違う。

鏡は、こちらが動かなければ動かない。
私が手を上げれば、鏡の中の私も手を上げる。
あくまで、私の従属物だ。

コピー機は違う。

一度読み取れば、私がいなくても出力する。
私が寝ている間も、原稿を生み出せる。

私がAIにやらせたのは、鏡だと思っていた。
自分を映して、ちょっと笑うつもりだった。

だが、出てきたのはコピー機の出力だった。

私の口癖を、私より上手に使っていた。
私の論理の運び方を、私より整理して並べていた。
私がよく使う自嘲のユーモアを、私より良いタイミングで挟んでいた。

不思議な気分だった。

褒められたのに、自分が薄くなった気がした。

ここで、最初の問いが立つ。

私の文体とは、私だったのか。
それとも、私という人間が、たまたま使っていた癖の集合だったのか。

文体は、私の本質ではない。
私の出力パターンである。


私たちは、思っているより複製されやすい

落ち着いて考えてみると、これは文章だけの話ではない。

仕事も、同じだ。

私はITコンサルとして、長く現場にいた。
自分の判断には、経験に裏打ちされた何かがあると思っていた。

だが、AIに過去の判断パターンを学ばせれば、似たような結論を、もっと速く出す。

これは恐ろしい発見だった。

私が「経験」と呼んでいたものの多くは、実はパターンだったのだ。

同じ状況には、同じ判断。
似た問題には、似た打ち手。

それは確かに価値がある。
だが、複製できる。

ここで、多くの人が動揺する。

私もそうだった。

自分の二十年が、データの束に圧縮されて、一瞬で出力されるのを見たとき、何かを奪われた気がした。

だが、ここで切り分けが要る。

複製されたのは、私のパターンだ。
私そのものではない。

人がAIに脅えるのは、能力を奪われるからではない。
自分の正体が、思ったより単純だったと突きつけられるからだ。

恐怖の正体は、喪失ではない。
発覚である。


では、複製できないものは何か

ここからが本題だ。

AIは、私の文体を複製した。
私の判断パターンも複製した。

では、何が複製できなかったのか。

ひとつ、はっきりしたことがある。

AIは、なぜ私がそれを書きたかったのかを、複製できなかった。

文章はそっくりだった。
だが、その文章を書こうと思った理由は、出力されなかった。

私がある夜に、評価されない悔しさを抱えて書いた記事がある。
AIはその文体を完璧に真似た。

だが、その夜の悔しさは、データに残っていなかった。

これは、地味だが決定的な違いだ。

AIが持っているのは、私の出力履歴だ。
私が持っているのは、なぜ書いたかという動機だ。

出力は複製できる。
動機は複製できない。

なぜなら、動機は、痛みから生まれるからだ。

そして痛みは、生きている本人にしか発生しない。

ここで、二つ目の問いが立つ。

あなたが今やっている仕事のうち、痛みから始まったものは、どれだけあるか。

もし、ほとんどが「やれと言われたからやっている」だけなら、それは複製されても文句は言えない。

だが、もしそこに、これだけは譲れないという痛みがあるなら、それは、まだ複製されていない。


自分の動機も、過信するな

ただし、ここで自分に酔ってはいけない。

「自分には複製できない動機がある」と思い込むのも、また危険だ。

人は、自分の行動に、後から立派な動機を貼り付ける。

本当は惰性でやっていたことに、使命感という名札をつける。
本当は怖くて動けなかっただけなのに、慎重だったと言い換える。

これも、自分という観測装置のバイアスだ。

だから、人を責めるより構造を見る。
そして、自分を責めるより構造を見る。

自分の動機を疑いすぎてもいけないし、信じすぎてもいけない。

分からないものは、分からないまま抱える誠実さがいる。

そのうえで、三つの問いを置きたい。

第一に、その仕事を、誰にも頼まれなくてもやるか。やるなら、そこに動機がある。

第二に、AIが同じ成果を一秒で出したとき、それでも自分がやる意味は残るか。残るなら、それは成果ではない何かのためにやっている。

第三に、最後に痛みを感じながら何かをつくったのは、いつか。思い出せないなら、複製される側に回りつつある。


複製できる時代の、複製できない夜

最後に、構造から少し離れた話をしたい。

AIに自分の文章を書かせた夜、私は少し寂しかった。

自分が特別ではなかったと知るのは、いくつになってもこたえる。

だが、しばらくして、おかしくなって笑った。

だって、こんなことで動揺している五十代は、たぶんAIには書けない。

完璧な私の文体で、「自分が複製されて少し傷ついた」と書くことはできる。
だが、本当に少し傷つくことは、できない。

そこに、たぶん答えがある。

複製できる時代に価値があるのは、上手な出力ではない。
出力する前の、迷いや痛みや、夜中の小さな動揺だ。

AIは、私より私らしく書ける。
だが、私の代わりに、生きてはくれない。

あなたが複製を怖がる必要はない。
複製されるのは、あなたの出力だけだ。

あなたが今日感じた、言葉にならない何かは、まだ世界に一つしかない。

それを、消えない場所に書いておけばいい。

AIに自分を書かせて分かったのは、自分のすごさではない。
自分の、複製できない弱さだった。

優しいまま、壊れないこと。
それは、根性ではなく、設計の問題である。

そして、ときどきAIに自分を書かせて、ちゃんと動揺できる自分を確認するくらいの遊びは、五十代にも許されていいと思う。


本シリーズ「人間を構造で読む」は、いずれ一冊の書籍として、AIと人間のあいだに残る複製できないものを構造から解きほぐす形にまとめたいと考えている。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。

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