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香港の孤独のグルメ——なぜイタメシ屋がないのか、その謎を解きながら茶餐廳に辿り着いた話

プロローグ

香港に来るたびに、同じことを思う。

「パスタが食いたい」

別にパスタが特別好きなわけじゃない。でも一日中会議を終えて、ホテルに戻る夜道を歩いていると、なぜか無性にパスタが食べたくなる。

日本なら、どんな街にも必ず一軒はある。駅前のサイゼリヤでも、路地裏のこぢんまりしたイタリアンでも。でも香港では、どんなに歩いてもパスタが食べられる普通の店が見つからない。

スーパーに寄ってみた。パスタコーナーを探した。

ない。

いや、正確には「ほとんどない」。日本のスーパーなら棚1本分はある乾麺コーナーが、香港では数種類だけ、申し訳程度に置いてある。その代わり、麺のコーナーには出前一丁が40種類以上並んでいる。

「なぜだろう」

出張PMの職業病で、つい「なぜ」を問い始めてしまった。

第1章|香港にイタメシ屋が少ない理由——食文化の構造分析

PMとして「現象の裏にある構造を読む」癖がある。

イタメシ屋がない。これは現象だ。ではなぜか。

理由①:中華料理が生活の「インフラ」になっている

日本の街では「今日は何を食べようか」という選択肢が広い。和食・洋食・中華・イタリアン・フレンチ——どれも「普通の夕飯の選択肢」として並んでいる。

でも香港では違う。茶餐廳は、香港人にとって無くてはならない存在で、朝食・昼食・夕食・夜食、一日中利用できる食堂であり喫茶店として庶民の空腹を満たしつつ、ローカルの憩いの場でもある。

つまり日本人にとっての「どこにでもある定食屋」が、香港では「茶餐廳」なのだ。その地位があまりにも盤石すぎて、外国料理が入り込む余地が日本より少ない。

PMで言えば「既存のシステムが強固すぎて、新システムが入れない」という状況だ。

理由②:家で料理する文化が薄い

香港は世界でも有数の外食都市だ。共働き・狭い住宅・外食が安い——この3条件が揃って、「家でパスタを茹でる」という習慣が根付かない。

需要がなければ、スーパーに棚が増えない。棚が増えなければ、需要が生まれない——典型的な「鶏と卵」の構造だ。

理由③:「イタリアン=高級・特別感」という位置づけ

香港にイタリアンがないわけではない。ミシュランに載るような高級イタリアンは存在する。でも「気軽に立ち寄れる普通のイタリアン」は極端に少ない。

日本の「サイゼリヤ的なポジション」のイタリアンが、香港にはいない。

面白い逆転現象:茶餐廳のスパゲッティ

ここが一番面白かった。

茶餐廳のメニューには「叉燒湯意粉(チャーシュースパゲッティー)」があり、ハムとスクランブルエッグ添えバタートーストにミルクティーのセットで食べる定番メニューになっている。

スパゲッティはあった。ただし「中華料理の一部」として。チャーシューを乗せて、スープに浸して、ミルクティーと一緒に食べる——これが香港流のスパゲッティだ。

PMとして、このローカライズの発想は面白い。外から来た技術(パスタ)を、既存のフレームワーク(中華の味付け・食べ方)に組み込む——これはDXの「既存システムとの融合」に近い発想だ。

第2章|井之頭五郎的あてもの探し——香港ローカルフードの正解を求めて

孤独のグルメの井之頭五郎は、街を歩きながら「あの店が気になる」という嗅覚で飯屋を見つける。

出張PMも同じだ。知らない街で、本当に旨い飯を見つけるには、嗅覚と足が必要だ。

その日の夜、私はパスタを諦めて歩き始めた。

ステップ①:地元民が並んでいる店を探す

観光客が並んでいる店ではなく、地元の人間が並んでいる店——これが出張飯の鉄則だ。

PMとして、この判断は「一次情報を取りに行く」という習慣から来ている。ガイドブックは二次情報だ。現地の人間が選んでいる店が、一次情報だ。

歩いていると、路地の奥に明かりが見える。年配の男が一人、カウンターで黙々と食べている。テレビでは広東語のニュースが流れている。店の外に短い行列ができている。

これだ。

ステップ②:メニューが読めなくても入る

生存競争の激しい香港では、旨くない店は自然淘汰される。客が入っている店は、どこも間違いなく旨い。 

これがあれば、言葉が分からなくても大丈夫だ。指差しと「これ、ください」という身振りで何とかなる。

その夜入った茶餐廳で、隣の客が食べていたものを指差した。出てきたのは煲仔飯(ボウジャイファン)——土鍋で炊き上げた香港風釜飯で、具材の旨みがご飯に染み込んでいる料理だった。

炊き上がるまで20分待った。その間、香港式ミルクティーを飲んだ。

煲仔飯が来た。蓋を開けた瞬間、湯気が立ち上った。

旨かった。

第3章|PMの視点——「知らない顧客」へのアプローチ

茶餐廳でご飯を食べながら、仕事のことを考えていた。

「知らない環境に入ったとき、どう動くか」という問いは、PMの現場でも常にある。

新しいプロジェクトに参画した初日、知らないクライアントの会社に入った日——その状況は、知らない街で知らない飯屋を探すことと、構造が同じだ。

共通点①:既存のルールを先に理解する

イタメシ屋を探して失敗した理由は「日本の食文化のルールを香港に持ち込もうとしたから」だ。

PMとして新しいクライアントに入るときも同じ失敗をしがちだ。「前のプロジェクトではこうやった」「業界のベストプラクティスはこうだ」——これを最初から押し付けると、必ず反発される。

まず「ここのルールは何か」を理解することが先だ。

共通点②:現場の一次情報を信じる

地元民が並んでいる店が旨い——これは現場の一次情報だ。

プロジェクトでも、会議室の報告より「現場を歩いて気づいたこと」の方が正確なことが多い。現場のリアルな声が、意思決定の精度を上げる。

共通点③:分からなくても踏み込む

メニューが読めない茶餐廳に入ることは、「情報が不完全な状態での意思決定」だ。

PMとして完璧な情報が揃うまで動けない人間は、現場で詰まる。ある程度の情報で踏み込み、足りない情報は現場で補う——この判断力が、出張飯でも炎上案件でも同じように問われる。

第4章|旅先で一人飯を食べることの意味

孤独のグルメの五郎さんが一人でメシを食う理由が、出張を重ねるうちに分かってきた。

一人飯は「思考整理の時間」だ。

香港の茶餐廳で煲仔飯を食べながら、その日の会議を振り返る。うまくいったこと、うまくいかなかったこと、明日やるべきこと——食べながら、自然と整理が進む。

茶餐廳は早朝から深夜まで一日中利用できる食堂であり喫茶店として庶民の空腹を満たしつつ、ローカルの憩いの場でもある。

この「憩いの場」という性質が、思考整理に向いている。騒がしくはない。でも静かすぎない。自分のペースで食べながら、考えられる。

PMとして20年、出張のたびに「一人でメシを食う時間」を意図的に作ってきた。

その時間に気づいたことが、翌日の会議でアイデアとして出てくる。その時間に整理したことが、ステークホルダーへの提案として形になる。

旅先で鉄を食べることは「脳のデフラグ」だ。

Windowsのデフラグ機能——バラバラに散らばったデータを整理して、処理速度を上げる機能。一人飯は、一日の情報が散らばった状態の脳を整理して、次の行動への準備をする時間だ。

第5章|茶餐廳という「最強のインフラ」から学ぶこと

香港のテレビ局が「香港を代表するアイコントップ10」のアンケート調査を行ったことがある。その結果は、トラムやスターフェリーを抑えて、茶餐廳がトップだった。最も香港らしい食文化は?というアンケートでも、飲茶を抑えて、茶餐廳が第1位だった。

これを知ったとき、PMとして深く考えさせられた。

なぜ茶餐廳が「最も香港らしいもの」になったのか。

技術的に優れているからではない。高級だからではない。「何十年もかけて、香港の人々の生活に溶け込んだから」だ。

PMとして、システムやプロジェクトが「本当に根付く」条件は何かを、常に考えている。茶餐廳は、その答えを体現している。

安くて・速くて・旨い。朝でも夜でも開いている。相席を許容する文化がある。どんな人でも入れる敷居の低さがある——この全てが揃って、香港の「インフラ」になった。

DXプロジェクトでも同じことが言える。どんなに優れたシステムを作っても、「現場の生活に溶け込まなければ」使われない。茶餐廳が教えてくれたのは、「インフラになることの条件」だ。

エピローグ

香港出張の最後の夜、また茶餐廳に入った。

今度はメニューをじっくり眺めた。車仔麺(チェージャイミン)——好きな麺に好きな具を載せる食べ方で、1960年代のリヤカー屋台が起源の香港を代表する食文化 Noteを頼んだ。

麺が来た。具を選んで、スープに浸して食べた。

旨かった。

パスタのことは、もう考えていなかった。

「なぜイタメシ屋がないのか」という問いから始まって、茶餐廳という答えに辿り着いた。それはDXの話でもあり、PMの話でもあり、「知らない環境に溶け込む方法」の話でもあった。

出張飯は、旨い。それだけじゃない。考えるための時間だ。

次の香港出張では、絶対に煲仔飯と車仔麺の両方を食べる。それだけが今の楽しみだ。

シリーズ入口(全話一覧)→ https://note.com/quiet_emu2080/n/n17e8600f5a36

©shiraco|PMPおじさんの実践ノート @NoteCcm42090
孤独のグルメと出張PMの前編はこちら→ https://note.com/quiet_emu2080/n/nf46167fd2117
エンタメ×PM論マガジンはこちら→ https://note.com/quiet_emu2080/m/mf01b3630a0da


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