「飲み会がつまらない」のは衰えではない。価値基準のKPIが更新された構造的理由
正直に言う。
私は、長いあいだ、飲み会を、仕事の一部だと思っていた。
付き合いも、仕事だった。
飲み会も、勉強だった。
人脈は、財産だった。
だから、誘われれば、行った。
気が進まなくても、それが大人の務めだと思っていた。
行けば、何か得るものがある。
顔を売れば、いつか役に立つ。
そう信じて、二十年、数えきれないほどの席に、座ってきた。
だが、五十代になって、おかしなことに気づいた。
最近、飲み会が、つまらない。
楽しくない。
心が、動かない。
ただ、時間とお金が、過ぎていく。
長いあいだ、これを、自分が枯れた証拠だと思っていた。
人生が、つまらなくなったのだと。
今は、違う。
これは、人生がつまらなくなったのではない。
評価指標が、切り替わったのである。
つまらないことと、合わなくなったことは、別である
まず、切り分けたい。
「つまらなくなった」と「合わなくなった」は、別の現象だ。
つまらなくなったは、対象に問題がある状態だ。
合わなくなったは、自分の側が、変わった状態だ。
この二つは、感覚として、見分けがつきにくい。
どちらも、心が動かない、という同じ結果になるからだ。
ここで、一つの比喩を持ち込みたい。
システムは、何を成功とみなすかを、指標で決めている。
KPIという。
何を測り、何を良しとするか。
その指標に従って、システムは、自分の働きを評価する。
ここで、大事なことがある。
KPIが変わると、同じ行動の評価が、まるで逆になる。
たとえば、処理した件数を指標にしていたシステムが、ある日、指標を、顧客の満足度に切り替えたとする。
すると、それまで高く評価されていた「とにかく大量に捌く」という行動が、急に、評価されなくなる。
行動は、何も変わっていない。
変わったのは、何を価値とみなすかの、指標のほうだ。
人間も、同じだ。
若い頃の私のKPIは、人付き合いの量だった。
何人と会ったか。
何回、顔を出したか。
どれだけ、人脈を広げたか。
その指標で測れば、飲み会は、高得点だった。
だが、五十代になって、私のKPIは、静かに切り替わっていた。
量ではなく、心が動いたかどうか、へ。
飲み会がつまらなくなったのは、飲み会が劣化したからではない。
測る指標が、量から、心の振幅へ、切り替わったからである。
古い指標で、新しい自分を測っている
少し、踏み込みたい。
ここで、人を苦しめる現象が起きる。
KPIは、静かに切り替わる。
だが、本人は、それに気づかない。
中身の指標は、もう量ではなくなっているのに、頭は、まだ古い指標で、自分を採点し続ける。
すると、何が起きるか。
飲み会に行かない自分を、責め始める。
付き合いが悪い。
人脈を広げる努力を、怠っている。
このままでは、取り残される。
古い指標で測れば、たしかに、低得点だ。
だが、その指標は、もう、現在の自分の価値観と、合っていない。
合っていない指標で測れば、何をしても、満たされない。
これを、指標のずれという。
人が、五十代で漠然とした不全感を抱えるのは、能力が落ちたからではない。
中身の価値観は新しくなったのに、評価する指標だけが、古いまま、放置されているからだ。
私は、ここで一つ、白状しておく。
二十年、私は、古い指標を、後生大事に握りしめていた。
人付き合いの数こそが、ビジネスパーソンの豊かさだ。
そう、信じ込んでいた。
だから、飲み会がつまらなくなったとき、まず、自分を疑った。
自分が、ダメになったのだと。
だが、よく見ると、ダメになったのではなかった。
ただ、新しい自分を、古い物差しで、測っていただけだった。
満たされないのは、人生がつまらないからではない。
更新されていない古い指標で、新しい自分を採点しているからである。
指標を変えることと、全部を切り捨てることは、別である
ここで、抵抗を感じる人がいるはずだ。
心が動くものだけを選ぶなど、わがままではないか。
付き合いを全部断ったら、人間関係が、立ち行かなくなるだろう。
その気持ちは、わかる。
私のなかにも、その声がある。
だから、慎重に切り分けたい。
指標を変えることと、過去を全部否定することは、別である。
KPIを切り替えるとき、優れた運用者は、古い指標を、全否定はしない。
量を追った時期にも、意味はあった。
あの頃の人付き合いが、今の自分を作った面も、確かにある。
切り替えるとは、過去を捨てることではない。
これから何を価値とみなすかを、選び直すことだ。
だから、すべての飲み会を、断る必要はない。
心が動く席には、行けばいい。
心が動かない席は、無理に行かなくていい。
すべてを切り捨てるのではない。
指標に従って、配分を変える。
それだけだ。
ここに、二重否定を一つ置きたい。
心が動くものを優先することを、わがままだと思わなくていい。
ただし、心が動かないという理由だけで、本当に大切な義理や関係まで切る言い訳にするのは、やめたほうがいい。
そして、自分のセンサーも過信するな。
「これは、もう心が動かない」という判断は、ときどき、ただその日、疲れていただけのことを、永遠の答えと取り違える。
一度の退屈と、本当の不一致は、近いが、同じではない。
ここに、三つの問いを置く。
第一に、あなたが最近つまらないと感じるものは、本当につまらないのか、それとも昔の楽しみ方が、合わなくなっただけか。
第二に、あなたを採点している指標は、いつ作ったものか。まだ、今の自分に合っているか。
第三に、あなたが「行かなければ」と思うとき、それは心が求めているのか、それとも古い指標が、命じているだけか。
この三つに正直に答えると、たいてい、二つ目で、はっとする。
私も、はっとした。
不全感の本質は、楽しみが減ったことではない。
価値を測る指標が、更新されていないことである。
心が動く時間を、誰と過ごすか
最後に、構造から少し離れた話をしたい。
ここまで、指標の話をしてきた。
だが、本当に伝えたいのは、たぶん、そこではない。
五十代になって、私は、一つの単純なことに気づいた。
人生の残り時間は、有限だ。
若い頃は、時間が、無限にあるような顔をしていた。
だから、つまらない席にも、平気で座っていられた。
取り戻せると、思っていたからだ。
だが、残り時間が見えてくると、計算が変わる。
何人と会ったかではなく、誰と過ごしたか。
何回顔を出したかではなく、どんな気持ちで過ごしたか。
私は、これを構造として運用することにした。
気合や根性で「付き合いを増やそう」とするのではなく、心が動くかどうかを、新しい指標として、静かに採用する。
人を責めるより、構造を見る。
付き合いの悪い誰かを責める前に、その人の指標が変わっただけかもしれない、と構造を見る。
自分を責めるより、構造を見る。
飲み会に行きたくない自分を責める前に、指標が更新されただけだと、構造を見る。
そして、思うのだ。
若い頃の私は、人付き合いの数が、豊かさだと思っていた。
四十代は、ただ、壊れないことが、豊かさだった。
五十代になって、少し分かってきた。
豊かさとは、心が動く時間を、増やすことなのかもしれない。
たとえば、家族と、声を出せる場所へ行く。
昔の歌を、今の自分の声で、歌い直してみる。
聴き慣れた歌に、また泣く。
馴染んだうどんを、ただ、美味しいと思う。
仕事は、しれっと終わらせて、残業はしない。
そして、時々、心が動く場所で、泣く。
そんな暮らしを、昔の私なら、生ぬるいと笑ったかもしれない。
だが今は、思う。
それくらいが、たぶん、人間には、ちょうどいい。
たくさんの人に囲まれる輝きではなく、心が動く時間を、大切な人と過ごして、その人を少し安心させられる光。
それで、十分だ。
最近、飲み会がつまらなくなった。
それは、人生がつまらなくなったのではない。
何を豊かさと呼ぶか、その指標が、静かに、新しくなっただけだ。
本当の豊かさとは、心が動く時間を、誰と過ごすか。
ただ、それだけのことなのかもしれない。
最近、そんなことを、思うのである。
この記事は、いずれ「人間を構造で読む」シリーズの一冊として、書籍化を構想している。付き合いに疲れたすべての人が、古い指標を手放し、心が動く時間を、自分で選び直せるために。
気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。
合わせて読みたい関連記事
▼ 感情を消費せず、自分と組織を守るための静かなスタンス
怒らない上司
https://note.com/quiet_emu2080/n/ne8ec973a6e19
▼ 不毛なやり取りを回避し、大切なリソースを守る調整技術
不毛な調整をスコープアウトする、現場の調停プロトコル
https://note.com/quiet_emu2080/n/n3a49f518e1d2
▼ 人生と現場を「構造」で捉え直す思考OSの全体像
PMという仕事は、誰も教えてくれない——20年現場で学んだことの全目次(無料公開中)
https://note.com/quiet_emu2080/n/nc727b32351ab
©shiraco|PMPおじさんの実践ノート @NoteCcm42090
構造学。──人を責めず、構造を見る。
問題は、人ではない。構造が、人をそう動かしている。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!