なぜ、忙しい人ほど「何もしていない」と言われるのか
正直に言う。
私は、忙しさは伝わるものだと思っていた。
働いていれば、誰かが見ている。
動いていれば、いつか評価される。
そう思っていた。
だが、現実は違った。
一番動いている人間が、一番「で、何やってるの」と聞かれる。
一番止まっている人間が、一番「いつもありがとう」と言われる。
長いあいだ、これを理不尽だと思っていた。
今は、違う。
これは理不尽ではない。
構造である。
忙しさは、量ではない。記録の問題である
まず、切り分けたい。
「忙しい」と「忙しそう」は、別の現象だ。
忙しいは、本人の内部状態である。
忙しそうは、他者の観測結果である。
この二つは、しばしば一致しない。
むしろ、本当に忙しい人ほど、忙しそうに見えない。
理由は単純だ。
本当に処理量が多い人間は、処理することに全リソースを使う。
だから、「自分はいま、これだけのことをやっています」と外部に出力する余裕がない。
逆に、処理量が少ない人間ほど、余ったリソースを「やってる感」の出力に回せる。
ここで、一つの比喩を持ち込みたい。
処理には、ログがある。
システムは、何かを実行するたびに記録を残す。
いつ、何を、どれだけ処理したか。
それがログだ。
ログがあるから、後から「このシステムは正常に働いていた」と証明できる。
問題は、ここからだ。
ログは、自動では読まれない。
誰かが、ログを開き、検索し、解釈して、初めて意味を持つ。
開かれないログは、存在しないのと同じである。
そして、忙しい人のログは、たいてい開かれない。
本人が忙しすぎて、ログを見せる時間がないからだ。
忙しさが評価されないのは、働きが足りないからではない。
ログが、誰にも読まれていないからである。
「やってる感」は、ダッシュボードの問題である
少し、踏み込みたい。
組織には、二種類の人間がいる。
膨大なログを淡々と吐き出し続ける人間。
そして、わずかなログを美しいダッシュボードに変換して見せる人間。
ダッシュボードとは、ログを要約し、可視化したものだ。
数字を一目でわかる形にする。
グラフにする。
色をつける。
経営は、生ログを読まない。
ダッシュボードを見る。
これは怠慢ではない。
人間の処理能力は有限だ。
すべての生ログを読んでいたら、判断が間に合わない。
だから、要約された情報を見る。
合理的な設計である。
ここに、悲劇が生まれる。
ログを大量に持っている人ほど、それを要約する余力がない。
ログをほとんど持っていない人ほど、それを盛大に飾る余力がある。
結果、ダッシュボードの面積で、評価が決まる。
働いた量ではなく、見せた量で決まる。
私は、ここで一つ、自分の経験を白状しておく。
二十年、いろいろな現場を見てきた。
そのなかで、最も静かに働いていた人間が、最も先に消えていった現場を、いくつも知っている。
そして、最も声の大きかった人間が、最も長く残った現場も、同じだけ知っている。
私はそれを、長いあいだ、世界の不公正だと思っていた。
だが、よく見ると、不公正ではなかった。
ただ、出力の設計が下手だっただけだ。
評価されないのは、努力が足りないからではない。
ダッシュボードを、誰も作っていないからである。
「黙って働く」は、美徳ではなく、設定ミスである
ここで、抵抗を感じる人がいるはずだ。
黙って働くのが、本物だろう。
見せびらかすのは、二流だろう。
その気持ちは、わかる。
私のなかにも、その声がある。
だから、ここは慎重に切り分けたい。
黙って働くことと、何も出力しないことは、別である。
職人は、黙って良いものを作る。
だが、その良いものは、最終的に「もの」として外部に出る。
料理人は、語らない。
だが、皿の上に結果が乗る。
つまり、職人の出力は、自動的にダッシュボード化されている。
問題は、現代の多くの仕事が、皿の上に乗らないことだ。
調整。
根回し。
未然に防いだトラブル。
起きなかった障害。
これらは、出力として可視化されにくい。
特に、未然に防いだトラブルは厄介だ。
優秀な人間が早期に手を打つと、障害は起きない。
障害が起きないから、誰も気づかない。
気づかれないから、評価されない。
一方、手を打たずに障害を起こし、徹夜で派手に復旧した人間は、英雄になる。
これを、消火活動のパラドックスと呼ぶ人もいる。
火を消した人より、火事を出した人が褒められる。
火を出さなかった人は、最初から存在しないことになる。
ここに、二重否定を一つ置きたい。
黙って働くことを、やめなくていい。
ただし、黙って働けば伝わるという信仰は、捨てたほうがいい。
沈黙は、誠実さの証ではない。
ただの、ログの非公開設定である。
そして、自分のセンサーも過信するな。
「自分は十分に伝えている」という感覚は、しばしば過大評価だ。
発信者は、自分の出力を百と感じる。
受信者は、その三割しか受け取っていない。
ここに、三つの問いを置く。
第一に、あなたの仕事のうち、皿の上に乗っているものは、何割か。
第二に、未然に防いだことを、誰かが知る仕組みは、あるか。
第三に、あなたの「黙っていれば伝わる」は、誠実さか、それとも面倒くささからの逃避か。
この三つに正直に答えると、たいてい、痛い。
私も、痛かった。
評価されないのは、性格が地味だからではない。
出力の設定が、デフォルトのまま放置されているからである。
ログは、自分のために残す
最後に、構造から少し離れた話をしたい。
ここまで、評価のための出力の話をしてきた。
だが、本当に大切なのは、たぶん、そこではない。
ログを残す本当の意味は、他人に評価されるためではない。
自分が、自分を見失わないためだ。
忙しい日々は、流れていく。
何をしたか、覚えていられない。
気づけば、半年が過ぎている。
そんなとき、ログだけが、自分がたしかに動いていたことを教えてくれる。
私は、これを構造として運用することにした。
気合や根性で「自分はがんばっている」と思い込むのではなく、記録という構造で、自分の足跡を残す。
評価は、その副産物でいい。
人を責めるより、構造を見る。
あの人は怠けている、と責める前に、あの人のログが読まれる仕組みがあるかを見る。
自分を責めるより、構造を見る。
評価されない自分を責める前に、自分のログを誰かが開ける状態にあるかを見る。
そして、思うのだ。
たぶん、すべてを見てもらう必要はない。
ダッシュボードを全世界に公開する必要はない。
ただ、自分が信頼する数人が、ときどき自分のログを開いてくれる。
それで、十分なのかもしれない。
友達100人より、戦友3人。
その3人にだけ、ログの閲覧権限を渡しておく。
それくらいの、静かな出力で、いい。
忙しさは、伝わるものではない。
残し、開かれて、初めて意味を持つものである。
この記事は、いずれ「人間を構造で読む」シリーズの一冊として、書籍化を構想している。働くすべての人が、自分のログを、自分の手で取り戻すために。
気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。
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