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成長しなくちゃと思っていた。でも最近、減らすことばかり考えている——20年PMをやって気づいたこと

正直に言う。

昔は、成長とは足し算だと思っていた。

もっと勉強する。もっと経験する。もっと人脈を増やす。もっと仕事をする。もっと頑張る。社会人になってからの二十年間、ずっとそんなことを考えていた。

それは間違いではなかった。実際、その積み重ねが今の自分を作ってくれた。何もないところから始めたのだから、足していくしかなかった。土台のない場所に建物は建たない。最初の二十年は、土台を作る時期だったのだと思う。

でも最近。気がつくと、考えていることが変わっていた。

増やすことより、減らすことばかり考えている。

これは衰えではない。少なくとも私はそう思っている。むしろ、ようやく成長の意味が分かってきたのではないかと感じている。

第一章 昔は「もっと」が正義だった

若い頃は、知らないことばかりだった。

会議で出てくる用語が分からない。資料の作法が分からない。客先での立ち振る舞いが分からない。とにかく分からないことが多すぎた。だから、知識を増やす。経験を増やす。人脈を増やす。仕事を増やす。

その足し算には意味があった。何もないところから、自分を作っていく時期だったからだ。空のディスクに何かを書き込んでいく作業に似ている。容量はたっぷりある。書き込めるだけ書き込めばいい。むしろ、書き込まない方が損である。

二十代から三十代にかけて、私は「もっと」を信じていた。残業も厭わなかった。本も買えるだけ買った。資格も取れるだけ取った。研修にも片っ端から出た。週末に勉強会に行くのも普通だった。今思えば、よくあれだけのものを詰め込んだと思う。

そして、その時期にやったことは無駄ではなかった。土台ができたのは確かである。だから、もし今二十代の人がこれを読んでいたら、誤解しないでほしい。あなたの時期は、まだ足し算の時期である。引き算は、もっと先の話だ。

第二章 五十代になると、敵は「不足」ではなく「過剰」になる

PMを二十年やって気づいた。

失敗するプロジェクトの多くは、能力不足ではなかった。

やることが多すぎた。会議が多すぎた。資料が多すぎた。関係者が多すぎた。ルールが多すぎた。確認フローが多すぎた。承認者が多すぎた。

つまり、足りないから失敗するのではなく、増やしすぎて壊れていた。

これはサーバーで言えば、メモリ不足ではなく、プロセス過多で落ちている状態である。リソース自体は十分にあるのに、同時に動かしているものが多すぎて、結果として何も処理できなくなっている。スワップが発生し、応答が遅れ、最終的にタイムアウトする。能力ではなく、設計の問題だ。

人生もよく似ている。五十代になると、若い頃のように何でも詰め込むと、確実にどこかが詰まる。詰まった部分から壊れる。だから、増やす前に「これは本当に必要か」を問う回数が、自然に増える。これは慎重になったのではない。経験的に学習しただけである。同じ場所で何度か転んだ人は、その場所を覚える。それだけの話だ。

第三章 「捨てる」は後ろ向きではない

昔は、やめることに罪悪感があった。

誘いを断る。付き合いを減らす。情報を追わない。新しいことを全部やらない。流行りのSNSをやらない。話題のドラマを観ない。

すると、成長を諦めたような気がしていた。「あいつは最近、勉強していない」と思われそうで怖かった。実際にそう言われた経験もある。誘いを断ると、次から呼ばれなくなるのではないかと不安になった。

でも違った。

本当に難しいのは、始めることではない。やめることだった。

始めることには勢いがあれば足りる。だが、やめることには判断がいる。何を残し、何を手放すか。これは情報処理ではなく、価値判断である。そして価値判断は、年齢を重ねた人の方が上手くなる。なぜなら、過去の選択の結果を実際に見てきたからだ。

若い頃の自分は、判断材料が少なかった。だから「とりあえずやる」が最適解だった。今は判断材料が増えた。だから「やらない」を選べるようになった。これは退化ではなく、進化である。少なくとも、私はそう定義することにしている。

第四章 減らすことの方が、増やすことより技術がいる

ここで強調しておきたい。

減らすという行為は、増やすという行為より、はるかに難しい。

増やすのは、誰でもできる。極端な話、適当に手当たり次第に動けば、何かしらは増える。だが、減らすには「何を残すか」を決めなければならない。残すものを決めるには、自分にとって本当に大事なものが何かを知っていなければならない。

これが難しい。多くの人は、自分が何を大事にしているのかを、実は知らない。私自身、五十代になるまで、自分が本当に大事にしているものを言語化できなかった。日々忙しくしていれば、考えなくて済む。考えなくて済むから、忙しさを言い訳に使う。忙しさは、判断を先送りするための便利な装置である。

減らすという作業は、その先送りを終わらせる作業でもある。だから怖い。先送りしてきたものと向き合うことになるからだ。怖いから多くの人は、減らさない。減らさないまま、五十代になり、六十代になる。そして気づく。減らせなかった結果、自分の人生に何が残っているのかが分からない、と。

第五章 ベテランの仕事は「増やす」ことではなく「守る」こと

若手は、「これもやりましょう」と言う。

その力は大切だ。新しい提案、新しい機能、新しい仕組み、新しい資料。組織には増やす力が必要である。若い人がいなければ、組織は静かに停滞する。

しかし、ベテランの役割は、「本当に必要?」と問い続けることだった。

会議を減らす。資料を減らす。機能を減らす。仕事を減らす。承認フローを減らす。報告書のページ数を減らす。

これは若手の足を引っ張る行為ではない。むしろ逆である。余計なものを減らすことで、若手が本当に大事な仕事に時間を使えるようにする。守備の仕事だ。攻めの仕事は若手に任せ、守りの設計をベテランが引き受ける。それが分業として健全な形である。

私が新人だった頃、上司が「これは要らない」と言ってくれたことが何度かある。当時は不満だった。「せっかく作ったのに」と思った。だが、今振り返ると、あの「要らない」のおかげで、自分のリソースが本当に大事なところに向けられた。あの上司は、減らすという形で私を育ててくれていた。気づくのに二十年かかった。少し遅い。

第六章 減らすと、見えてくるものがある

不思議なことに、減らすと、本当に大事なものが浮かび上がってくる。

机の上の書類を全部しまった瞬間に、残った一枚の重要性が際立つ。スケジュールから三つの予定を消した瞬間に、残った一つの予定が際立つ。連絡先を整理した後に残った数人の存在が、改めて大事に感じられる。

これは「無くしてから気づく」のとは違う。意図して減らすからこそ、残ったものの輪郭がはっきりする。減らすことは、残ったものへの解像度を上げる作業でもある。

サーバーで言えば、不要なプロセスを止めることで、本当に走らせたいプロセスにCPUとメモリが回るようになる。性能を上げるには、強いCPUを買うのではなく、不要なバックグラウンドプロセスを止める方が、しばしば効果的だ。これは技術者なら誰でも知っている。だが人生になると、なぜか皆、強いCPUを買おうとする。買い続けて、棚に並べて、満足する。動いていないのに。

第七章 人間関係でも同じことが起きていた

仕事だけの話ではない。人間関係でも、同じことが起きていた。

昔は、人脈を増やすことが正義だと思っていた。名刺交換会に行く。SNSのフォロワーを増やす。とにかく繋がる。繋がっていれば、いつかどこかで役に立つだろう、と。

だが、五十代になって気づいた。本当に大事なのは、繋がりの数ではない。深さである。年に一度しか会わなくても、会えば何時間でも話せる関係。これが何本あるかで、人生の豊かさは決まる気がしている。

そして、深い関係は、数を絞らないと作れない。全員と深く付き合うのは不可能だ。時間が足りない。エネルギーが足りない。だから、選ぶしかない。選ぶというのは、選ばないものを決めるということだ。これも引き算である。

選ばなかった人を切るわけではない。ただ、エネルギーの配分を変えるだけだ。それでいい。全員に同じだけのエネルギーを配ろうとすると、結局誰にも届かなくなる。これも、サーバー設計と同じ理屈である。

第八章 減らすという形の成長

ここまで書いてきて、改めて思う。

成長というのは、足すことだけではない。減らすことも、立派な成長である。

むしろ、年齢を重ねてからの成長は、ほとんど引き算の形をしている。要らないものを見極める力。手放す勇気。残すものを決める判断。これらは全部、減らす方向の能力だ。

足し算の成長は、若い頃に向いている。エネルギーがある。時間がある。失敗してもやり直せる。だから、増やすという形の成長が機能する。

引き算の成長は、年齢を重ねた人に向いている。経験がある。判断材料がある。残された時間が見えている。だから、減らすという形の成長が機能する。

どちらが優れているという話ではない。時期によって、有効な成長の形が違うだけである。問題は、足し算の時期を終えても、足し算しかできない人がいることだ。引き算ができないまま、過剰な人生を抱え続けて、最後に潰れる。これが一番もったいない。

結論

若い頃の成長は、足し算だった。

年齢を重ねてからの成長は、引き算なのかもしれない。

知識を増やすことより、余計なものを減らす。人脈を広げることより、大切な人を大切にする。仕事を増やすことより、本当に価値のある仕事を残す。

最近、「何を手に入れるか」より、「何を手放すか」を考える時間が増えた。

そして不思議なことに、昔よりも少しだけ、生きるのが楽になった。

楽になったのは、能力が落ちたからではない。背負っていた荷物のうち、本当に背負わなくていいものを下ろせるようになったからだ。下ろしてみると、案外、無くても困らないものが多かった。むしろ、下ろしてからの方が、本当に大事な荷物をしっかり持てるようになった。

成長とは、増えることだと思っていた。違った。

成長とは、本当に大事なものが分かるようになることだった。

そして本当に大事なものは、いつも、思っていたよりずっと少なかった。


次回予告

頑張らないといけないと思っていた。でも最近、「機嫌よく生きる」の方が大事だと思っている

頑張ることが正義だった時代。だが五十代になって気づく、もう一つの正解について。二十年PMの経験と五十代の実感から、機嫌よく生きるという技術を解剖する。


本記事を含む一連の記事は、書籍化を視野に入れながら執筆を続けている。

気合や根性ではなく構造として自分を運用する。人を責めるより、構造を見る。自分を責めるより、構造を見る。優しいまま、壊れないこと。誰かに勝つ輝きではなく、自分を壊さず誰かを少し安心させられる光。短期評価ではなく長期残存価値である。

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